写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

梅雨明け 箱根湿性花園<神奈川考②-11>  

都心に霰アラレ雹ヒョウが降りようやく気象庁の「梅雨明け」が発表されました。すでに先週の7月10日ごろからからわが家の辺りはカンカン照りで、梅雨もどこへやら?でした。今年はそうとう長い夏になりそうなので、(寄る年波でもあるし!?)写真展の準備にかこつけて引きこもりの日々を過ごしていました。少し外出しようと箱根湿性花園に行きました。ここは箱根町が管理運営する植物園ですが、小さい範囲に様々な道をつくり行ったり来たりしていると楽しめます。狭いとはいえ南側には広大な仙石原湿性植物群落にもつながっているので、秋はススキの原を堪能できます。しかし、夏のこの時季は強い日ざしに花々も力なく、ただコオニユリだけが鮮やかなオレンジ色に自己主張していました。こんな時季も良いかも知れません。

箱根001


箱根002キキョウ
キキョウと蕾

箱根003カセンソウ
カセンソウ

箱根004ミソハギ
ミソハギ

箱根005コオニユリ
コオニユリ

箱根006トラノオ
トラノオ

箱根007ハエトリグサ
ハエトリギサ(食虫植物の特別展示場で)

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充電式日録 9 July, 2017 写真展準備中 パンソリへ  

7/9(日)パンソリ 水宮歌を聴きに神保町チェッコリへ、時間待ちしていたら満員でした。安聖民氏の素晴らしい声と歌、ユーモア溢れる大阪弁を楽しみました。18Cに確立したものだそうで、もともとあった民話に両班が中国の古典などの話を加えていって成り立ったという、(少しかじっただけなので当てになりませんが)民話的なところと古典的なところが「木に竹を接ぐ」ような話が演者によって自然につながっていくのが面白い。語りと歌で展開していくので、日本だったら(イメージが全然異なりますが)浪花節なのか?イメージとしては紙芝居屋の話術に似ていると思ったのですが?


時間待ち


アンソンミン氏(演じる前です)


かなり早めに準備していてよかったと思いました・・・歴史的な事実の説明をどうするかと?混乱すればするほど点数が増えてにっちもさっちも行かなくなっていました。だんだんと欲深爺になるところでした。??さっきからヒグラシが鳴いている、間違えて土中から出てきたのでしょう。


武蔵国分寺
昨年の写真展<東京36景>に続いて、今年は8/1(火)~8/21(月)の3週間おなじみのジュンク堂池袋3F文芸書売場で写真展<きょうのむかしとむかしのきょう>(韓国近代史を訪ねて)を開催します。まだ1ヶ月以上先なのですが、いかんせん手仕事で仕上げていくので少し早めからこつこつと作業を始めています。内容は、本blog<きょうのむかしとむかしのきょう>をまとめ・編集したものです。韓国6都市を巡る撮影行は、わたしにとっては父母の朝鮮時代(駐屯軍として、そして撤退軍としての)を噛みしめる作業でもあります。池袋近くにお越しの節はぜひお立ち寄りください。


案内状です。全州市外バスターミナル。


選択をほぼ終え、といってもあと5点ぐらい減らしたいのですがつらいところ。プリントした一枚々々をウッドラックパネルに貼って、周囲をカットしているところです、手内職ですね。さりげなく、友人谷古宇正彦くんの写真展「劇場の宇宙」(8/20~8/30、福島テルサ4階ギャラリー)(昨年11月に上田サントミューゼで開催した写真展をベースにしたものです)のチラシものぞかせました。こちらも、よろしく!

Manga-日美 京都宝塚<或日或処⑥-3>  

平寿夫さんの写真展「自然崇拝の森」(京都府文化博物館、6月いっぱい!)を見に行きました。翌日6/5は中之島でやっている岩宮武二写真展(キャノンギャラリー大阪)と行こう行こうと思っていた手塚治虫記念館、そして6/6京都国際マンガミュージアム(山岸凉子展開催中)・・・どれもすごい内容ですっかり疲れ果てながら6/7帰宅、梅雨入り。

京都大阪001
中之島「Two Ring-空間の軌跡-」堀義幸

京都大阪002
中之島

京都大阪003
今出川

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手塚治虫記念館

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手塚治虫記念館

京都大阪006
広隆寺

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広隆寺

京都大阪008
二条辺り

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二条辺り

京都大阪010
二条辺り

京都大阪011
京都国際マンガミュージアム、平日でもけっこう入っています

京都大阪012
京都国際マンガミュージアム、みなさん好きなマンガを何冊も横に置いて読みふけっています


1945年5月29日午前、500機を超えるB29が横浜を襲い72年が経ちました。霞ヶ丘丘友会館にある観音様が、この日は慰霊碑前に置かれるというので出かけました。10時ごろに空襲に遭った方々を中心に集まり始めました、お菓子や花を持ち、とくに法要とかはなく皆さんで72年前を想い、平和を願いつつおしゃべりをしていました。そのあと黄金町駅近くの普門院に顔を出すと、追悼の法要は14時からだというので、西戸部を歩いて桜木町で食事後にもう一度普門院を訪れました。※2011年9月「充電式日録」と重なります。

横浜大空襲法要001
京急黄金町駅。駅構内が鉄筋コンクリートのため多くの人々が避難し、逆に炎に巻かれて亡くなりました。駅前の空き地に遺体を積み上げ荼毘に伏し、数年後に地元の方々で慰霊のお地蔵様をまつり、やがて普門院に黄金地蔵尊としてむかえられました。

横浜大空襲法要002
大岡川太田橋。この川でも灼熱により多くの方が亡くなりました。

横浜大空襲法要003
霞ヶ丘丘友会館。石垣のところに大きな防空壕があったそうです(上の坂側からも出入りができた)。

横浜大空襲法要004
金ぴかの観音様と聞いていましたが、質素な観音様でした。

横浜大空襲法要005 (2)
坂と階段と崖の多い町は、防空壕の多い町でもありました。

横浜大空襲法要005
みなとみらい。

横浜大空襲法要006
桜木町駅地下。

横浜大空襲法要007
普門院の黄金地蔵尊。

横浜大空襲法要008
普門院。陸軍輜重大尉の墓は、焼夷弾の熱と爆風で破壊されています。

横浜大空襲法要009
住職のお父様・前住職は、大空襲のときに裏の防空壕に被災者を誘導していて被弾(もしくは熱で)亡くなられました(3歳だったそうです)。左手前の女性はお姉様が行方不明になり、「黄金町駅にいた」という話を聞き探したが見つからず、その縁で普門院の法要には毎年参加しているそうです。

横浜大空襲法要011
霞橋(霞ヶ丘と久保山をつなぐ陸橋、1928年竣工)。久保山はA級戦犯荼毘の墓地。

横浜大空襲法要012
霞橋に上る階段脇に、「皇太子殿下(現・天皇)御誕生記念植樹碑」がありました。

おなじみのジュンク堂池袋店3Fでの写真展は、8/1~/21の3週間『きょうのむかしとむかしのきょう』(本ブログで載せたものを中心に編集し直しています)に決まりました。その準備のためしばらくの間、更新が滞りがちになりますので、申し訳ありませんがご了承ください。


丸の内北口、アドルフ・ヴェルフリ展(6/18まで)ギャラリーより。

揚水発電所城山湖 相模原<神奈川考②-10>  

先日友人と話し込んで、原発や電気の話に到った。そう揚水発電所というのがあって、需要の少ない=料金も安い夜間に水を山の上に貯めて、需要の多い昼間発電・供給するという特異な(といっても全国に50個所ぐらいありますが)発電所のひとつが城山湖(城山発電所)だ、ということを訳知りに話した。たしかに道志川を走って厚木に向かわずに相模原に行く時は、いつも通るところではあるが上まで登って湖を見たことはない・・・そこで梅雨っぽい季節に入り、緑がきれいな城山に登っていくことになりました。
5/15撮影

城山湖001
マルバウツギ。

城山湖002
ホウノキ。

城山湖003
ジャケツイバラ(黄色:蛇結茨、手前はミズキ)。

城山湖004
ミズキ。

城山湖005
かなり登ったところ(標高250mぐらいか)に「神奈川県企業庁城山発電所」があった・・・なんだ駐車場付だ!?自治体が運営している発電所という意味では珍しいのです、見学可能。

城山湖006
城山湖全景。

城山湖007
登っていく途中の「普門寺飯縄大権現」から、下に津久井湖、向こうは丹沢方面。津久井湖の水をくみ上げ、昼間津久井湖へ再び落として発電する。

城山湖008
八王子方面。

城山湖009
展望したところから上へ(雄竜籠山オタツコヤマ350m)登ると、小さな手製といった「航空神社」があった。72年前の戦争で、近くに墜落した戦闘機(赤いのは練習機「赤とんぼ」か?)と兵士を慰霊して。

城山湖010
本山ダム上をゆったりと鷲が舞う。

城山湖011
下っていくとミズキ。

城山湖012
いたるところにハリエンジュ(ニセアカシア)が咲いている。

第二都市 釜山<アジア太平洋戦争⑥-16>  

少し軽い気持ちでいたことを今は恥じている。帰り支度をして、やや観光気分で釜山の胃袋=チャガルチ市場を見て、釜山タワーから市街と港を撮影して、「国際市場で逢いましょう」の世界を覗いて・・・と。歩いてみれば独立運動を資金面から支え続けた実業家の「白山記念館」(休み)、龍頭山から下りる途中に現れた旧日本家屋?、富民橋、西南部には旧遊郭地域も残っている。古書街の中から急激にのぼる階段も登って見るべきだったろうか。もう一度ネジをまき直して、かつての植民地化の一方の中心であり、関釜連絡船の埠頭の街・釜山をまた、そして下関にも行ってみよう。

再釜山001
チャガルチ市場。

再釜山002
同市場。

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釜山タワー(南)下、旧日本家屋?

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釜山港(一部)。

再釜山005
富民洞「臨時首都記念館」近くから。山の上まで密集した家屋が釜山の「風物」だが、いまでは高層アパートが取って代わっている。

再釜山006
旧富民橋親柱の1。「十四年八月竣工」と読めるが、上は砕かれている、「大正」と記されていたのであろう。

再釜山007
旧富民橋親柱の2。ここに富民橋がかかっていたということだ。地形から判断して北側の山の方から流れていたと判断したが、1919年の地図を見ると間違いなく「宝水川」という釜山の主要河川であった。地下鉄「チャガルチ市場」駅はちょうど河口になる(駅そのものはその後の埋め立てでできた地盤にできたようだ。広い道路の下は暗渠かも知れない)。

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富民洞東側、旧日本家屋か?(あちこちで)老朽化した瓦屋根の家は、このように屋根をそっくり樹脂でコーティングしている。見た目はともかく、安価で雨漏り対策と瓦の保護はいちおうできるということ。

再釜山009
宝水洞古本屋街。「JAZZ IT UP」の韓国版(2003年南武成氏 の作品、台湾版の次に日本版が出た)をさがしたが見つからなかった。

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国際市場。

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国際市場、ここにも旧日本家屋と思われる?建物がさりげなく存在している。

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国際市場。南浦駅東のロッテモール横にも何軒か旧日本家屋?があったが、次回いくときにはもう無いだろうという感じだった。

古墳の街 慶州Gyeongju市内<アジア太平洋戦争⑥-15>  

金銀珠玉類がざくざくと出た金冠塚の発見は、隣接した酒屋の工事中に偶然埋葬品が見つかってのことでした、この「金冠塚」発見が古墳の「発掘」「盗掘」と出土品の「蒐集」にいっそう火をつけるきっかけともなりました。「墳墓は国法と鬼神にたいする恐怖とがこれを発掘せしめざりしをもって、慶州付近には新羅時代より高麗時代を経て現代にいたるまでの古墳新墓相錯雑して遺存し」しかし「近年韓国政府の政令紊弛の結果として、盗掘しきりに行われ、その盗掘品は日本商人の手に帰し(ている)」(1906年以降に記された今西龍の文章。『コロニアリズムと文化財』荒井信一、岩波新書より孫引き)それは日本による韓国朝鮮の植民地化と軌を一にするものにほかなりません。日本にある韓国文化財は、合法的・不法的合わせて30万点にのぼるといわれ、所在が分かっているのがそのうちの1割だそうです(同書より)。今年、対馬の「観世音菩薩座像」を大田地裁が韓国の浮石寺への引き渡しを命じた件については、わたしは納得がいきませんが・・・今回はこれ以上触れません。

慶州市街001中
1921年9月発見時(ごろ)を描いた金冠塚周辺(慶州博物館展示。古墳の周囲には家屋が密集していたのがよく分かる、朴正煕大統領時代に家屋を一掃した)。

慶州市街002-01
現在の金冠塚。1921年に金冠など貴重な出土品が多数出たが、その場所、全体の構造などの調査が不徹底のため、その他の古墳と合わせ2014年に再発掘調査を行った。直径47メートル(超)の巨大な円墳であったが、発見当時の姿に埋め戻されたようです。

慶州市街002-02
路西洞古墳群。この古墳群の東側に金鈴塚をふくむ路東古墳群があり、南側は皇南大塚などたくさんの古墳が連なった大陵苑(有料200円ぐらいだったか?)があります。

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路西洞古墳群。市民の憩いの場でもあり、近道にもなっています。

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路西洞古墳群。再調査中の瑞鳳塚。すぐ向こうが金冠塚。

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チョクセム遺跡発掘中(小型の後楽園エッグ・ドーム様に覆われ、見学・説明も兼ねている、無料)。この一帯は慶州駅の南側だが、広大な地域がほぼ更地になって今後の発掘を待っている。

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路東古墳群。

慶州市街008
市内中心部、といっても歩いて回れる範囲です。

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土曜日は定例の朝市が中央市場に沿った道路に開かれます。近隣各地から野菜・果物をはじめ花や雑貨まで様々な物が売られています。「量が多すぎじゃないの?」と心配しますが、お得意さんもいるのでしょう、昼すぎには売り切れでした。

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同朝市。

慶州市街011
大陵苑裏の7-elevenも韓式、スターバックスも・・・古都のイメージを守るということでしょうか。

慶州市街012
大陵苑内の小さめの古墳「天馬塚」の内部、ここからも見事な金冠をはじめ貴重な出土品が出ています。

慶州市街013
チョクセム遺跡から大陵苑を望む。古墳群の写真ばかりでしたが小さな商店街もあります。スンデクッ(スンデは春雨・餅米などいろいろ詰めた豚の腸詰めで、クッがスープ。アミの塩辛とコチュジャンなどで自分流に味付けして食べます。ついご飯を手に持ってしまいますが、こちらではいけません)、いろいろ付いて700円ぐらい。豪勢にいきたい人は「宮廷料理」なんかもあるようです。


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