写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

町でもなく村でもなく ☆★飛入り★☆  

いろいろ探していたら、この時季の北アルプスの写真が出てきた。信濃大町あたり。リンゴをはじめ、様々な花が一斉に咲く美しい季節だ、QUARK号とともに毎年訪れていた。

20140508北アルプス  小
左から蓮華岳、三つ尖ったのが爺ケ岳、右隅が鹿島槍ヶ岳かな?/2014年5月8日信濃大町の田んぼより撮影

町でもなく村でもなく ☆★019★☆  

青砥(横浜市緑区、横浜線中山駅近く)に見事なけやきの木があった。根元には庚申塚があり、わたしの好きなコースでもあった。ここから恩田川に沿って町田に行くか、長坂谷の急坂を登って三ツ境の方に行くか、その日の気分次第で愛車QUARK号との気ままな走り。それがある日、道路拡張のためにバッサリと切られた。
きょうSNSのともだち西城さんの投稿で、五島市の「あこうの木」の話を知り、この写真をアップすることにした(もともとは五島市に住むAaron Nicholas Suttonさんの投稿です)。

20100601青砥★ 小
青砥/2010年6月撮影

20120127青砥 小
同青砥/2012年1月撮影

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<西城さん>

読んでいてジワっとした。いつの日か、この木に会いに行く予感がある。長年住んでいる横浜の近所でも何度か巨木が切られるのを見たことがある。あの哀しみは心に深く残る。大きな楠の根元の輪切りを伐採業者から頂いたこともある。今もその切り株は側にある。今日も散歩途中にお気に入りの無患子に話しかけている。
あこうの木 小

<Aaron Nicholas Suttonさん>

先週、推定樹齢200年のあこうの木を買いました。Last week, I bought this 200 year old Ako Tree in Goto, Japan. English below: 五島市在住の方でも知らない方は多いと思いますが、文化財指定になるような雄大なあこうの木が僕の家から徒歩2分、英会話教室に向かう途中の道にあります。もちろんカリフォルニアにも存在しない、僕にとって五島の、そして大浜地区の神秘的なパワースポットです。昨年末のある日、いつも通りランチ休憩で英会話教室から自宅へ帰る際あこうの木を通りかかった時です。何やら工事している音がしました。なんと雄大なあこうの大きな枝の木1本ずつ機械で取り壊していました。突然の出来事に僕はショックを受けてしまいました。この解体業者の方に話を伺うと持主さんの依頼を受け、あこうの木を根から切り更地にする予定だと。4年間、毎週当たり前のようにあこうの木の下をくぐって仕事にいく僕にとって、それは信じられない出来事でした。僕は居ても立っても居られず、すぐにあこうの木の隣に住むおばあさんに声をかけました。そのおばあさんは60年前、自分が子供の頃この木を登ったり遊んだりした思い出の木で、今になってはこの木が防風の役割になり台風から自分の家を守ってくれていると話してくれました。そのおばあさんもあこうの木を残したいと思っていました。おばあさんは持主さんの連絡先を知っていたため、なんとか持主さんと連絡が取れました。持主さんは現在愛知県に移住しており、持主さんからは「10年以上五島を離れており、今後も五島に戻る予定はない。土地もこのあこうの木も管理できない。すでに解体業者と契約をしており契約解除はできない。時すでに遅しです」と言われました。それでもあきらめきれず、介入している愛知県の不動産屋さんの連絡先を聞き連絡ましたが「更地のままで買いたかったらまたご連絡ください。」との返答でした。その夜、僕はよく寝れませんでした。翌日、それでもあきらめきれず解体業者の社長さんと直接話がしたいと思い、あこうの木の解体現場に行き解体業者の方から社長さんに連絡を取ってもらい会うことになりました。この社長さんはとても優しくて、あこうの木の価値を理解している人でした。「私もこの木はすごい、切るのはもったいないと思って「本当に切るんですか⁈」と話しました。でも「木を管理できず、周りに迷惑をかける。切ってください」と。木も含めて家を解体すると契約をしていますが、私の方では今解体している分だけいただければ大丈夫です。違約金を持主さんは気にしてますが、私は全く違約金を取るつもりはない」と話してくれました。さすが五島の人。昨日とは別の意味で2日連続僕はショックを受けました。もちろん素敵なショックです。それからもう一度不動産さんと連絡を取り、何度かやり取りをした後、木を残した状態で僕と新しい契約を結びました。手続きに時間を要しましたが先週木曜日、このあこうと木と木を含めた土地220坪ある古民家を買うことができました。あの日、あこうの木の道を通らなかったらこの木はもうありませんでした。そう思うと自分はこの木と縁があると感じています。2021年4月8日から僕はあこうの木の持ち主になりました。責任を持ってこの木を守って行きたいと思います。

町でもなく村でもなく ☆★018★☆  

8年前の4月上旬、鶴見川上流部の小野路(4/12)とその少し下流の鶴川(4/15)の写真です。
昨年の4月13日の起床時に咳、日中に鼻水が少し出て、17日に36.9℃の微熱・鼻水少、それから27日まで36℃台で何となく風邪っぽい・・・「新型コロナ感染かな?」と思うもこの程度の熱では検査対象にならないので、とにかく家にいることに。マスクは花粉症用に100枚ほどあり、イソジンを薄めて散布(バス・トイレ・洗面台)、都内の友人の薬局からアルコール500ccを送ってもらい室内いたるところ散布してカミさんにうつさないようにしたが、狭い部屋では気休めだったかもしれない。それ以後は、食料品の買い出し以外はミノムシのような生活、またまた感染拡大中で、蓑の中で打ち震えております。

01 20130405小山田02 (28) 小
小野路/2013年4月撮影

02 20130405小山田02 (30) 小
小野路/2013年4月撮影 

03 20130405小山田02 (38) 小
小野路/2013年4月撮影

04 20130408町田 (9) 小
鶴川/2013年4月撮影 下記地図を参照してください。

05 1906年明治39年測図 中小 (1)
国土地理院地図同所 左)1906年明治39年測図 右)現在に近い(埼玉大今昔マップより)
上の子供たちが遊んでいる所・赤矢印地点の今昔。もともとの鶴見川は細かく・大きく蛇行していた。現在はかなり直線的にかつコンクリート化されているが、赤矢印地点は辛うじてかつての蛇行部の形状を残し、そこが貴重な遊び場や散歩コースになっている。

町でもなく村でもなく ☆★017★☆  

<鶴見川スナップショット01>鶴見川流域を歩いていると(だいたい自転車)、雑木林を抜けると人工衛星に向けたアンテナ群が出現したりと、思わぬものと出逢う。スナップショットの面白さに「自己満足」?

01 20100314三保 小
三保JSATアンテナ群/2010年3月撮影

02 20100318新横浜 小
市営地下鉄新横浜駅構内/2010年3月撮影・・・左から松田直樹(撮影翌年、練習中倒れ34歳で亡くなる)、中澤祐二、山瀬功治の足形。

03 20100325千草台港北PA 小
千草台、東名港北PA近くの防音壁/2010年3月撮影

04 20100327小机 (3)鶴見川航空写真 小
鶴見川流域センター内/2010年3月撮影・・・外にゲリラ豪雨を捕捉する大きなアンテナがある。女の子が見ているのは末吉橋あたり。

05 鶴見川地図 小
Googleマップより、ほぼ上の写真の範囲。

06 20101108大倉山 (2)大曽根公園(通称「くじら公園」)2013末 小
大倉山 大曽根公園(通称「くじら公園」)/2010年11月撮影・・・残念ながらこのクジラの遊具は2013年末ごろに撤去された。

町でもなく村でもなく ☆★016★☆  

横浜市人口377万人が、山と坂ばかりの多摩丘陵(南部は三浦丘陵)に住まう。
生麦・川和は鶴見川水系、上星川は帷子川水系(☆★009★☆で紹介した大貫谷戸水路橋辺りが水源で横浜駅東口そごう横まで流れ、相鉄線が川沿いに敷かれた・・・鉄道との関係で見ると鶴見川・同支流恩田川・境川に沿って横浜線が敷かれたと言える。境川は武蔵国と相模国の「境」となる川、恩田川と並行して流れているが高低差20mぐらい高いところを流れている。

01 20100512生麦 (2)  小
生麦/2010年5月撮影

02 20130408川和(45) 小
川和/2013年4月撮影

03 20140415上星川 (4) 小
ルネ上星川/2014年4月撮影

04 20140415上星川(3) 小
ルネ上星川のすぐ北側 遠景/2014年4月撮影

05 20140415上星川02 (6) 小
ルネ上星川のすぐ北側の近景/2014年4月撮影

町でもなく村でもなく ☆★015★☆  

横浜は坂の町。北から南まで山また山、といっても標高30~60mぐらいなので丘というべきだが(最高地点は159m)尾根道というのはほとんどなく登ったら下り、下ったら登るの繰り返しで、同じ坂の町の長崎とか尾道などとは違う趣きがある。ただ、階段が多いのは山手駅周辺の、「山手」といっても下町的な雰囲気も混在した横浜だ。趣きがあるとはいえ、雨続きで地盤がゆるむと、時には傾斜地特有の災害も発生する。
むかしの写真を整理していて、ちょうど4年前の2017年4月6日の写真が出てきたのでまとめてみました。

20170406坂山手01 小

20170406坂山手02 小

20170406坂山手03 小

20170406坂山手04 小

20170406坂山手05 小

20170406坂山手06 小

20170406坂山手07 小

20170406坂山手08 小
(百段坂公園横)

20170406坂山手09 小


町でもなく村でもなく ☆★014★☆  

4つの中規模の団地(公団、公社)の一角につくられた商店街は、最初は魚屋・八百屋・肉屋・小スーパー・電器屋・酒屋・和料理屋・郵便局・信金・入口に三菱銀行と、一通りそろっていたのだが、30余年の間にセンター南駅ができ、その周辺にデパート、大型店舗ができるに従い魚屋からつぶれていった。三菱銀行も、三菱東京UFJとしてセンター南の東急デパートの一角に移転した・・・その店舗仕舞いの行員一同の記念写真を、たまたま通りがかったぼくがシャッターを押した。いま商店街は、介護関連施設がいくつもできている。

20210401荏田花見 小
「えだきん」商店街。きょう4/1撮影。

町でもなく村でもなく ☆★013★☆  

昨日3/31、荏田の畑にフォッサギラ(シロバナマンサク)という花が咲いていた。この畑は「生産緑地」に指定されていて、この「生産緑地」が、来年には指定30年が終わる土地が続出し「2022年問題」(一面的見方ではあるが…地価・賃料下落を引き起こす)と言われている。→※後述
その推移がどうなるのかわたしには分からないが、この30余年、新鮮な野菜と果物を食べることができ、子どもたちの成長にも良い環境に恵まれたと感じています。


20210331荏田フォッサギラ 小

20210331荏田フォッサギラ 小02
※横浜市は、市の7% 3000haの農地がある。うち1600個所 280haが「生産緑地」に指定されている。一定の条件を満たせば税金の軽減を受けられ、農業を続けていけるというものだが、来年からその指定が切れ始める(来年は1200個所が該当)というのが「2022年問題」(全国的な問題であるが)。しかし今年中に「特定生産緑地」を申請し指定を受ければさらに10年ごとの更新がなされるようになった。また、横浜市では独自に「農業専用地区制度」ももうけ、現在約1000haが指定されている。
ただ、農業の担い手の高齢化、後継者難、収入が少ない等々、課題も多い。

町でもなく村でもなく ☆★012★☆  

花は見ごろもコロナが怖し・・・きょう車で通った鷺沼(川崎市)からたまプラーザ(横浜市)にかけての桜並木は、新型コロナ感染第4波か?という人々の不安をよそに爛漫また爛漫、横浜の桜はきょうがピークといえそうだ。古い「アルバム」から探してみると2014年は4月7日に撮影しているので、今年は2週間近く早い。

01 20140407町田中山 (8) 改 小
2年前まではこうやって楽しんでいたのだね…町田(東京都)/2014年4月

02 20140407町田中山 (9) 改 小
町田/2014年4月

03 20140412綾部 (22) 改 小
町田/2014年4月

町でもなく村でもなく ☆★011★☆  

ヒガンでいうのもおこがましいがどうしてサクラばかりがもてるの?

01 20120412野津田小野路02 (5)タンポポ 小
小野路 タンポポ/2012年4月

02 20120428荏田イモカタバミ 小
荏田 イモカタバミ/2012年4月

03 20130405小山田02 (32)ゲンゲ 小
小山田 ゲンゲ(レンゲ)/2013年4月

04 20150410相原雨降 37)ニリンソウ 小
相原雨降 ニリンソウ/2015年4月

05 20150410相原雨降 (53)ニリンソウ 小
相原雨降 ニリンソウ群生/2015年4月

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