写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

川崎へ<田園の憂鬱②-15>  

連休中は都内の車が少なくポタリングの穴場なので、一昨日予定していたが雨模様で延期したまたま家にいたら、青森空港から書家の「相馬呑気」さんから電話が入った。川崎駅前で書道展をやっているので時間があったら来て下さい、というので時間はいくらでもあるので出かけた(再会の顛末は略)。
家から川崎までは近いのだが便が悪く、けっきょく横浜経由の「Vの字」で遠い。で、日吉まで電車で出て、矢上川沿いに写真を撮りながら川崎まで歩こうと結論した。雨の日は木々が美しくてきれいな写真が撮れるのだが、なんせカメラは防水ではないので扱いが大変だが。


①日吉
慶応日吉、ここの東側に矢上川が流れている。この川は、元々は多摩川に流れていた河川だという。

②サクラ、日吉
サクラ、日吉台。

②新幹線、日吉
慶応日吉の裏側に新幹線が走っている、小田原方面を望む。

③矢上川
矢上川。

④矢上川が鶴見川に合流
鶴見川への合流部、手前が「ミクリわんど」、向こう左手が「駒岡河川敷」。人工河川化している鶴見川では、貴重な堆積土で多くの生命を育むところだ。

⑤末吉橋近く
末吉橋近く、むこう左手は京浜工業地帯。

⑥末吉橋近く
末吉橋近く。

⑦末吉橋より上流望む
末吉橋から上流を望む。
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鶴見川上流へ<田園の憂鬱②-14>  

いつものコースをぐるっと(自転車で)小山田までひとまわり。もともと養蚕がさかんな土地で、いまでも桑畑が所々に残っていて新芽が伸びてきた。ところでこのクワの葉の需要は?前からの疑問で、地元の人に聞いても明確な答えがない。今回はお年を召した女性に聞いたところ、たまに小学校でカイコを育てるのであげる、年に100万円にもなる宅地並み課税では払っていけないので、こうやって畑にしている…とのこと。相続税が大変で、この辺の農家もいずれやっていかれなくなるだろう、と。そして、実は「公団」(かつての住宅・都市整備公団?)が平成何年だかにここいらの山を買い占めたという、まだ未着工だが、という話だった。たしかに、すぐ北側は多摩ニュータウンだから、こちらが孤立した「田園地帯」というのが現状だ。要調査ではあるが。

①町田
こどもの日を前に仮設橋、図師。

③鎧橋河川掃除
地域の方々による年一回の河川清掃、鎧堰。

⑤小山田
小山田手前。

⑥小山田
小山田、源流近く。

⑦八王子バイオマスエコセンター
「八王子バイオマスエコセンター」建設中、小山田西側。

⑧カキドオシとは違うらしい、町田
カキドオシとは違うらしい、町田。

⑨縄文中期住居跡、高ヶ坂
縄文中期(4000年前)住居址、高ヶ坂。

⑩おしゃもじ様、茅ヶ崎
「おしゃもじ様」、茅ヶ崎。

続・虫偏さがし<田園の憂鬱②-13>  

虫偏は本編とどんどん外れていって、なんだか病みつきになりそうなので、掲載は「続」まで(のつもり)。
偶然とはいえ「今森光彦写真展」を見てしまうと、昆虫の写真を撮ることをためらってしまうが、それ以前に、わたしは「虫さされ」にきわめて弱いので、山だの林だのには入っていきたくないのです。蚊やブヨに刺されると、真っ赤になって腫れまくり、腫れがひいても5年ぐらいはかゆみとかうずきが残るのです、ホント。そのかゆみに負けて掻いてしまったら、数年後でもまた腫れてしまうという体たらく。
被写体は?オサムシ/交尾中のシジミチョウ/ハナバチ/なんの幼虫かな?/テントウムシの幼虫と思う?/テントウムシ/小さいバッタとハナムグリ…以上、当てにならない推論です。


①オサムシ

②シジミチョウ交尾

③

④

⑤テントウムシの幼虫?

⑥テントウムシ

差し替え

虫偏さがし<田園の憂鬱②-12>  

昆虫の写真家というと、ふた昔前は佐々木崑か、今は今森光彦…しかしこの世界、まねごとでも撮ってみると難しく奥が深く面白いのでまだまだ多くの写真家がいるはずだ。グラスファイバーを使ったり、独自のカメラを作って撮影しているのもうなずける、相手は美しく小さくすばしこく、予測のつかない動きをするのだから。小野路の雑木林の春を歩いた。
※これは驚いた、きょう(4/27)たまたま市が尾の桐蔭学園に行ったら、入口左手の「ソフォスホール」で『今森光彦写真展 昆虫たちへのまなざし』(100点)をやっていました。1985年から2006年までに撮影した、いずれも素晴らしい写真でした、なかでも5~6点は拝みたくなるほどでしたね。写真集は数々出していますが、写真展というのは初めてなのだそうです、歴史的な写真展ですよ!観客はわたしひとり。昆虫好き、写真好きは絶対に見といたほうが良い、入場無料、日祝休館、6/2まで。追記、銀座でやっているのは「里山」の写真展、好みの問題かも知れないが桐蔭の昆虫写真展はまったくの別世界!

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コガネムシ・ハナムグリの類?

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ここには「虫偏」いません。

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シジミ蝶、上が羽根を激しくふるわせて動き回るのでオスの求愛行動だと思うのですが?

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アリは飛んでいかないので、比較的写しやすい。

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これは虫偏ではなくて米軍?の双発ヘリコプター。3ヶ月ぐらい前からか、ヘリの編隊が人家上空で離合集散を繰り返す訓練を盛んに行っている。最近は、ジェット戦闘機の低空飛行、昨日は円いアンテナを背にしょった空中警戒機までが低空を旋回していた。目的はイラン?考えすぎですか?

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これはアブの飛行中。

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アブ。

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ハナバチ。

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ガガンボ?

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テントウムシ。

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アオダイショウ、このあと止まってこちらの様子を見ていた。蛇は草藪には適応しているが、路上にでるとたちどころに目立ってしまう。晩秋の晴れた日には、アスファルトのうえでよく日向ぼっこをして轢かれるかわいそうな虫偏。

春だから散歩<田園の憂鬱②-11>  

小野路あたりの鶴見川上流部に行くと、風景も歴史的背景も異なるので「田園の憂鬱」という題が適当かどうか迷っている(前にも書いたかな?)が、うららかな春がやってきたのだから、ぐだぐだ考えずにゆっくり散歩しましょう!

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荏田、イベリス。スペインの古名「イベリア」にちなんだ名前だという。

②麻生、紙リサイクル所
麻生(あさお)紙リサイクル所、こういうところで集積しブロック化したものを富士市あたりの製紙工場に運んで再生する(新しいパルプorチップに一定の割合で混ぜる)。

③麻生、雑木伐採跡
麻生、雑木林伐採跡。

④鶴川「麻生水処理センター」、埋没樹
麻生水再処理センター、建設時に出土した縄文後期の埋没樹。隙間に石だのゴミだのがはさまれていて大事にはされていないな。

⑤野津田、キブシ
野津田、キブシ。

⑥小野路城址、新緑
小野路、小野路城址、12世紀に築城。

⑦小野路、ヘビイチゴ
小野路、ヘビイチゴ。

⑧小野路、タンポポ
小野路、タンポポ、もっともポピュラーな花だが意外と種類が多くてわたしには特定がむずかしい。

⑨小野路、春
小野路、手前が高尾山あたりでむこうが山梨の山なのか?日大三高側に下っていく。

⑩小野路、支流の「源流」
小野路、支流の「源流」。

小野路、オタマジャクシ
小野路、日大三高側からもう一度尾根をめざし谷戸を歩くと、オタマジャクシ。

⑪図師、トウダイグサ
図師、トウダイグサ。

⑫恩田川、カワエビ
恩田川高瀬橋近く、カワエビ。市民が定期的に生物調査をしている、この辺にはアユは遡上してこないという。

⑬恩田川、スッポン
同、高瀬橋近く、スッポン。ヨシノボリが圧倒的に多かった。

⑭十日市場、浜梨
十日市場、この辺の名産品「浜梨」も受粉を終えた。

本日(14日)より25日まで神宮前THE END OF SPACEで写真展  

本日(14日)より25日まで神宮前THE END OF SPACEで写真展のため
(詳細はこのページ末の「広告・宣伝」をご覧下さい)、
本ブログは「小野路一里塚」にて小休止いたします。


小

境川源流大地沢へ<田園の憂鬱②-10>  

今回は鶴見川ではなく、境川源流を訪ねました。という意味ではテーマから離れるのですが、町田市を代表するもうひとつの川が境川です。鶴見川は町田市の北東部の低地を形づくっていますが、境川は台地を、大地沢(おおちさわ)の源流から東に向かって流れ、町田駅・市街あたりから真南を目指して流れ、藤沢市街の真ん中を通って江ノ島にでます。
名前の通り、武蔵国と相模国の国境いとなる川です。支流というものがほとんどない、という意味では不思議な川ですね。沢の奥は元来「入会地」だった山ですが、いまは手前に「青少年センター」があり、バンガロー(コテージというべきか)、キャンプ場、炊事場の施設が整い、山はハイキングコースになっています。


①
境川源流部に露出している「小仏層」1億3千500万年~7千500万年 中生代白亜紀(恐竜の時代)に海の堆積物によってできた岩石。

②
中野~朝鮮半島~ハルピン3,000キロに敷かれた通信用無装荷ケーブルの一部が、露出して残っている。

③
源流まで200メートル手前で予防治山工事のため「立ち入り禁止」、重機のキャタピラーの轍。

④
一番奥の村には茶畑があった、ここは昔は「雨降(あめふらし)」という地名だった。

⑤
ロウバイが咲くのも遅い。

⑥
大地沢手前の相原地区に戦争末期、本土空襲に備えた隠蔽送信所として「多摩送信所」が造られ、木製の高さ60メートルの送信用アンテナを張り巡らせた。送信所跡地は、現在法政大学となり、その基礎「台石」の一つがキャンパス外れに遺されている。

小野路ネコヤナギ<田園の憂鬱②-9>  

先週行った野津田&小野路をまた訪れた。
これまでは、鶴見川という小さな河川の中流域を中心に撮影してきたが、上流には上流の(下流にも)歴史と文化があることを感じている。すぐ北側の多摩ニュータウンもすでに老朽化と住民の高齢化が進み、ようやく高層マンションへの建て替えが始まったところだが、その隣にはこんな「田舎」があったのだ!?しかし、野津田&小野路は、もともと交通の要衝であり、幕末には農民兵も組織されたところだったのだそうだ。横浜で事があったときに、緊急に対応できる部隊だったという。また、野津田の自由民権運動の指導者の一人、石阪昌孝も天然理心流の使い手だったという。近藤勇にも剣術を習い、京都の近藤に金を貸したこともあるのだそうで、新撰組と自由民権運動ってとても近い関係だったのです(イデオロギー的にではないですが)。
少しずつ解きほぐしながら、この地をもう少し撮影していきます。


①
ネコヤナギを撮影していると…。

②
Sさん(76歳)がフキノトウを持ってきてくれた、遅いとはいえ春です。小野路の話を小一時間、米沢からなにも知らずに嫁に来てからの苦労話から、していただいた。ポートレートも撮影しましたが、非公開です。

③
Sさんの田んぼも「減反」で縮小を余儀なくされ、大賀バスを植えている(手前)と。

④
萬松禅寺。戦争末期には、「鈴ヶ森国民学校」生徒が疎開していたが、1945年5月25日夜半に焼夷弾による爆撃が始まり、生徒は無事逃れたが寺は焼失した。これは戦後再建されたもの。本堂階段下に、何気なく焼夷弾が置いてあることに驚いた。これもSさんが教えてくれました。

⑤
その焼夷弾。

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萬松禅寺境内のカヤ、これも被災したが甦った。カヤの実からは油が採れるので、戦争中は食用油として使用された。

⑥
市民農園。

⑦
畑もまだ冬の名残り。

⑧
雨水貯留施設(キャノン)。

⑨
「殉節両雄(近藤勇、土方歳三)之碑」(拓本。碑は日野市)、小島資料館。自由民権運動資料よりは、新撰組資料の方が多い。しかし、新撰組が使用した鉄砲は、戦時中徴発されてほとんど現存しない。年に20日しか開館しない(*4=80時間)資料館に入れたのは実にラッキーかつ直感的であった(司馬遼太郎も来られなかった)。

名残雪 補2/29  

2/29雪が天気予報よりも積もりだした。この時季、東京あたりで大雪が降るのは珍しくないのだが、3/14搬入写真展の「ゲラ」点検の日なので朝から新宿に向かったら、副都心線「明治神宮前」駅手前でカンヅメ状態になってしまって困った。とは言っても、むかし真夏に小田急線の酒匂川近くの炎天下に冷房なしで2時間も閉じ込められたことを思えば、何ということもないのだが。
午後、銀座に向かうともう雪はほとんどなかった。春の淡雪、「名残の雪」というのが古い使い方のようだが、イルカ以来「なごり雪」でよいようだ。ところで、このイルカのディスクジョッキーを(やはりむかし)聞いていたのだが、毎回ものすごい「下ネタ」の連続技ですっかりイメージが崩された。面白かったけれどネ。


中
新宿駅、午前。

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新宿、午前。

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京橋、午後。

野津田から小野路町<田園の憂鬱②-8>  

野津田(のづた)町の南側にはまだ何かありそうだが、北側は大きな公園になっていて、曇天にもかかわらず人がけっこう出ていた。そこから北の「野津田高校入口」信号を渡って「小野路町」に入ると、とたんに山林に入ってしまった。畑が入口近くに少しあるのみで、あとは武蔵野を偲ばせる雑木林の丘陵が続く。道は細く、枝分かれして、なによりも人と出会わない。この地域一帯は、「図師小野路歴史環境保全地域」に指定されている。この時期は雑木林も枯れているが、本格的な春ともなれば美しい緑におおわれるであろう。小山田の寺社がある方に降りようとしたが気が変わり、小野神社横に出た。ここが小野路そのもので、1893年(明治26年)までは神奈川県に属していた三多摩地区との重要な街道であり、宿場町であった。なるほど、多摩川を渡れば府中で、街道筋に「小島資料館」があり、民権運動の資料とともに新撰組の資料がかなりそろっているようである。天然理心流の達人であった小島鹿之助のもとに、近藤勇らが剣術と漢学を学びに通ったのだそうだ。
う~ん、自由民権運動、征韓論と韓国併合の関係も難しいのに新撰組か!?小野路の山と同様、迷路に迷い込んだようだ。


①野津田公園菜花
野津田公園の菜花、今年は春が遅い。

②野津田公園桑畑
同公園内の桑畑と雑木林。

③農村伝道神学校
同公園に隣接する「農村伝道神学校」。1927年カナダ人宣教師によって創立、同宣教師は洞爺丸事故で亡くなられたという。

④図師小野路歴史環境保全地域
雑木林のクヌギ。

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小野路城址へと続く切通しを過ぎて。

⑥小町井戸
「小町井戸」。この雑木林の丘は、西側にあった12世紀の小山田城の副城「小野路城」城址で、この湧水は小野路城の水源。水量はわずかでも、枯れることがないというが、またまた謎の人物「小野小町」とからんでくる。
    花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに

⑦小野神社
小野神社。平安時代の学者「小野篁(たかむら)」(小野道風のお祖父さん)を祀った、10世紀の神社。

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