写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

多彩空間 六本木<東京TOKYO-34>  

工事現場を見ると撮影したくなるが、最近の工事現場は高いフェンスを設けて、ひと昔前にはあった「のぞき窓」もなく撮影も覗くことも拒否していることが多い。あるところでは、「肖像権があるから撮影禁止」と言われた、え!建築物に肖像権?それはないだろ、と言ったら「ここは当社の所有地だ」と、ここは歩道だろう。幸い六本木はオープンだ。工事関係者に聞くと、高層ビルが次々建つのはいまどき東京だけですね、と、同感・・・地方都市はすっかりさびれている。六本木のここには、広い敷地に商業棟、オフィス棟、住宅棟と高層3棟が建設中だった。おしゃれでバランスのとれた街づくりがさらに進んでいるように見える。その一方で、夜は蠱惑的で犯罪的な街がつくられている、六本木。

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The Great Kanto Earthquake of 1923 両国<東京TOKYO-33>  

明後日9/1は、10万人の死者をだした関東大震災90周年。阪神・淡路大震災いらい地殻の大変動期に入ったという学者もいて、事実太平洋をとりまく大地震が相次ぎ、一昨年の東日本大地震とその余震(予測される大余震)や東南海地震が危ぶまれている。今回はこのblogで3回目になるが、4万人が避難し3万8千人が亡くなった「被服廠跡」現・両国の「横網町公園」を取り上げた。公園内の「復興記念館」に、皇居前広場に30万人が避難したときのパノラマ写真が展示されたというので、ここを中心に撮影した(館内の撮影には許可が必要です)。関東大震災の被害をより大きくしたのは、発生時間が11:58と昼食時だったことから火災が発生し、折り悪く能登半島に台風があって関東には強い南風が吹き荒れ大火災となったことによる。明後日は、様々な取り組みが行われるので積極的にアンテナを張って・参加しよう・・・と、自戒をこめて。

両国1
3枚の写真をつなげたパノラマ写真、広角でもわずかに入りきらない。大八車が多い、火災現場ではこれが高熱によって突然燃えあがったという。

両国2
「日テレ」が取材に来ていて、9/1に放送だそうです、見てね!

両国3
日比谷の交差点。手前右手が日比谷公園であろうか?むこうの煙は、手書きで描き加えているそうです。

両国4
4万人が避難した被服廠跡(当時は更地で避難地域に指定されていて悲劇が起きた)の絵葉書。この煙も手書きや合成がされているが、実際に起こったことはもっとひどい惨状となった。

両国5
被服廠跡の3万8千人の遺体はここで荼毘にふされた。遺骨は3メートルにもなったという。ここが現在の東京都慰霊堂になった。

両国6
上野駅が焼失したため田端からの東北線で避難する人々。

両国7
当時1年生だった比護財二さんが1年後に描いた横川橋の絵、「空には焼けたトタンや自転車が曲がりくねったようになって飛んでいた」「橋の上は~どんどん人が押し寄せ~阿鼻叫喚の地獄」と書いています。

両国8
六番町の焼け跡から発見された石膏胸像は焼けただれていた。

両国9
丸の内の内外ビル玄関脇の破損した柱。

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自動車の焼骸。銀座明治屋で使用していた車両番号第一号。

両国11
大日本麦酒吾妻橋工場内の鉄柱が溶解してかたまりとなったもの。大火災による酸欠で亡くなった方も多かった。

実用してる実用車 内藤町<東京TOKYO-32>  

霞町(西麻布)を撮影していたらなんか気持ち悪くなってきた、むかしなった「熱中症」だ!?やばし、とにかくクーラーのあるところで休んで帰宅・・・の途中、内藤町(新宿御苑脇)のふつうのマンションに2台、現在も使われている「実用車」、丸石と山口ベニーを発見!トップチューブが微妙に曲がっているのは、実用性?デザイン的流行?前輪の上に付いているのは「風切り」というらしい。とにかく暑くて、しばらく「夏休み」します。

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ダメ押し池袋生活 立教裏表<東京TOKYO-31>  

先週撮影したものですが、やっぱり立教の近辺を出さないと池袋は終わらないという感じがして「ダメ押し」しました。
アルミ空き缶回収は立教裏手で毎日3時間トラックが待ち受けていて、トラック1~2杯持っていきます。横浜でも、都内でもあちこちで行われていますが、HLの人たちの唯一の現金収入源になっている。この人は3袋計20キロで、100円/㎏なので2,000円というところ、多い人は7袋ぐらい持ってくる。毎日収集できるわけではないし、リサイクル体制ができあがっているのでそこら辺に落ちているわけでもない。持ってきた人も、自分で収集したようでもないので、いろいろ仕組みがあるようだが、いらぬ詮索はよそう。池袋社会学。


①ダメ押し

②ダメ押し

③ダメ押し

④ダメ押し

⑤ダメ押し

⑥ダメ押し

⑦ダメ押し

⑧ダメ押し

⑨ダメ押し

⑩ダメ押し

⑪ダメ押し

⑫ダメ押し

⑬ダメ押し

⑭ダメ押し

池袋生活 自由学園明日館<東京TOKYO-30>  

昨日7/14正午をもって、わたしの写真展『はなおか あいおい』を終えました。6/15からの一ヶ月、ジュンク堂池袋3階に見に来て下さった皆さま有難うございました。戦時中の中国人強制連行・強制労働のもとで起きた二つの事件の舞台、花岡と相生を60数年を経て訪れ記録した37点ですが、近日中に本blogに再録する予定です。
本屋さんの壁面ということで居場所もなく、池袋を中心に撮影していました、そのため行き違いになった方もあり申し訳ありませんでした。そんなわけで「池袋生活+副題」が続いているわけです。今回はジュンク堂前のビックリガードをくぐってすぐの「自由学園 明日館MYONICHIKAN」に行ってきましたので、掲載します。1921年、羽仁吉一・もと子夫妻により創立された女学校で、フランク・ロイド・ライトとその弟子 遠藤新の設計です。建築学的には別の見方があるようですが、ド素人のわたしとしては窓枠などの独特の意匠に目を奪われました、木の生長を表すものかと館員の女性にたずねたら、「音符に見る人もいますし、見る人によって自由なのです」。


①明日館

②明日館

③明日館

④明日館

⑤明日館

⑥明日館

⑦明日館

⑧明日館

⑨明日館

⑩明日館

⑪明日館

⑫明日館

⑬明日館

⑭明日館

池袋生活 梅雨明け<東京TOKYO-29>  

長い梅雨がはじまるかな?と思っていたら、七夕前の7/6に梅雨が明けた。とたんに猛暑、今日もある車を上から撮ろうと20分ぐらい待っていたが来なかった、来ないのはしょうがないのだが後頭部が強い日差しに曝されて、熱中症の恐怖(昔なったことがあるんです)。そのあとも街を歩いてみたが、ほどほどにしないと危ないなと感じた。長くて暑い2013年の夏がはじまった。

①池袋夏

②池袋夏

③池袋夏

④池袋夏

⑤池袋夏

⑥池袋夏

⑦池袋夏

⑧池袋夏

⑨池袋夏

⑩池袋夏

⑪池袋夏

⑫池袋夏

⑬池袋夏

⑭池袋夏

⑮池袋夏

⑯池袋夏

⑰池袋夏

池袋生活 雨<東京TOKYO-28>  

池袋駅を基点にすると東南のはずれにジュンク堂池袋店があり、寺社と墓地のすぐ手前にビジネス街が形成されようとしている。逆に北西に行くと、ほんの狭い範囲だけれども濃厚な「風俗」の街になる。雨の日がふさわしいと思い、大跨線橋(「池袋大橋」)を渡って北西部に行ってみた。
跨線橋の手前には四面塔尊がある、吉宗の時代ここいらは追剥と辻斬りが横行する四辻となっていて、一晩に17人が被害に遭った日を機に鬼子母神に頼んで石塔を建立して慰霊したという。そこから、JRと東武の線路を挟んで池袋の街を遠望できる橋上で写真を撮っていると、背後の男が「あとは向こうの青い服の人に付いて行って…」と、青い服の男も出てきた、これは客引きなんだな。東口サイドで客をつかんで、北西のホテルかソープに送り込む、姑息というか、こういう世界で真っ当さを要求する必要はないんだが。男たちは明らかに、カメラを手にしたぼくを警戒している。


①池袋生活 雨

②池袋生活 雨

④-1池袋生活 雨

⑤池袋生活 雨

⑥池袋生活 雨

⑦池袋生活 雨

⑧池袋生活 雨

⑨池袋生活 雨

⑩池袋生活 雨

雨は、ひとを暗くするのか優しくするのか?

池袋生活<東京TOKYO-27>  

6/15からジュンク堂池袋で7/14までの写真展開催中、大きな本屋さんの一角を借りているので写真展のほうは賑わっているのか閑散としているのか分からないので、気が楽といえば気が楽?なにかと池袋に通わなければならないので写真を撮影しています。
歩いてみると意外と小さい街で、ジュンク堂側はもう雑司ヶ谷で寺社、墓地が多くなる。護国寺方面は高層マンションが次々と建ち、新住民が増えているのだろうがいわゆる繁華街というイメージではなくなる。演芸場も含めて劇場が多い街、各種学校も多い街である。娘たちを連れてサンシャインの水族館にいったことを思い出し、しばし「巣鴨プリズン」の海に潜っていた。


1)池袋生活

2)池袋生活

3)池袋生活

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新宿 明治通り<東京TOKYO-26>  

50年も前のことで恐縮ですが、トロリーバスという今ならば「環境にやさしい」なんていう電動バスが明治通りを走っていて、伊勢丹前からよく乗ったものだ。しかし時代は、交通渋滞・排ガス・スモッグ全盛期でもあったから、こんなトロトロしたバスは時間通りになぞ来はしない。そこで、西口からたまに来る都バスが来ようものなら、いつも早稲田の学生で超満員なのだが、とにかくもぐりこんで、もぐれなければぶら下がって・・・昔の映画なんかによくあるでしょ、人がぶら下がったまま走るバスそのまんまで学校までいくわけだ。運転手も、交通局も、警察も、マスコミも社会も全然問題にしなかったんだから優雅といえば優雅、一人ぐらい死んだりすれば違ったんだろうけどね。諏訪町から早稲田通りあたりは、意外と変わっていないので、逆に驚いた。

①新宿明治通り 小

②新宿明治通り 小

③新宿明治通り 小

④新宿明治通り 小

⑤新宿明治通り 小

⑥新宿明治通り 小

⑧新宿明治通り 小

⑨新宿明治通り 小

⑩新宿明治通り 小

⑪新宿明治通り 小

⑫新宿明治通り 小

⑬新宿明治通り 小
※増田ぴろよ『新宿回転ベッドPenisTextile』より(新宿眼科画廊明日6/19まで)


写真展の宣伝です。初日6/15(土)~7/14(日)まで、最終日は正午までです。
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将門をたずねて 北新宿<東京TOKYO-25>  

北新宿に鎧神社という神社があって、平将門が亡んだときに鎧を埋めたという伝説が残る。「朝敵」とされた将門がなんで一千年を超えてなお信仰されるのか・人気があるのか(関東とくに北関東で)に興味をいだいて、先日は大手町、そのあと神田明神に行って、今回は北新宿を「探索」した。この辺りは千年も遡らなくとも「お狩場」や原野だったのだが、「蜀江山」と呼ばれる小高い丘になっていて何か神聖なところだったのだろう。中世の人間と現代人とでは宗教的感性がまったく異なるから、それ以上のことは分からないけれど、お詣りだけはしておきました。

①北新宿

②北新宿

③北新宿

④北新宿

⑤北新宿

⑥北新宿

⑧北新宿

⑨北新宿

⑩北新宿

⑪北新宿

⑫北新宿

⑬北新宿

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