写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

「冬の旅」へ 八王子<東京TOKYO②-17>  

コートもいらない春が訪れた一日を「冬の旅」とはおこがましいが、八王子の「多摩少年院」の周りにはなぜか雪が残っていた。関東甲信の絹が集積し横浜へと運ばれた中心地であった八王子の往年の姿は、あっという間に消えてしまった。日本の現在の風景について疑問を呈している日本育ちのアメリカ人(アレックス・カー)を紹介したラジオには、すかさず苦情がくる「音楽家は音楽のことだけ話していろ!社会のことを話すな!」と…おそろしい世の中が待ち受けている。

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師走 自由が丘へ<東京TOKYO②-17>  

今年もあと2週間~もないか?街は不景気ながらもクリスマスと新年の準備、とは言いながらぼくは25日が人間ドック!? 昨晩は恒例の音楽部忘年会へ、大岡山から自由が丘まで歩いてみた。大岡山は大学があるからまだしも、真ん中の「緑が丘」って何にもないというか駅前から閑静な住宅街、写真愛好家泣かせのたたずまい。急に冷えてきた…師走。

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たき火日和 小野路<東京TOKYO②-16>  

そろそろ葉も落ちたころだろうから、目当てのヤドリギを見に小野路へ。う~ん、あっちでもこっちでもたき火ですか・・・そんな季節になりました。もみ殻を燃やしているのは「燻炭くんたん」といってもみ殻を炭にする製法です、先人の知恵ですね。下の女性は、一年の後片付けだそうですが、天気が下り坂でよく燃えないとこぼしていました。

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万松寺の裏手で10人ぐらいを案内している人が、誰だったかな?『鎌倉街道伝説』の宮田太郎さんでした、お寺の裏の道も「万松寺道」という古道だったそうです。

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天空の秋 大橋<東京TOKYO②-15>  

螺旋的曲芸的にぐるぐると下降していく「大橋jct.」、その渦巻コンクリートの上に「目黒天空庭園」がある。冷たい雨のなかでも、ここは秋が深まってゆく。

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ストレート 中野<東京TOKYO②-補>  

12月から撮影始動といきたいところです。石元泰博さんは、東京をテーマに写真を撮ろうとしましたが、東京は広すぎてテーマがぼやけてしまいそうなので「山手線」に絞ったそうです。当時よりもさらに一極集中が進み、東京+首都圏は巨大化が進行する(その他方で東京以外がさびれて久しい)、MEGALOPOLIS東京にちょっとでも喰いついてみよう!

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環七 上馬~大原<東京TOKYO②-14>  

久々に撮影で歩いた、「小事件」とその余波はまだ静まらないが…「木枯らし1号」が吹いたとはいえ、まだまださわやかな秋ではないか。246号を桜新町から上馬に出て、環七を大原まで。一歩中へ入れば世田谷の閑静な住宅街で、古い神社仏閣などもあるのに排気ガスを吸いながら歩いた。昔を思えば、車はずいぶん減っていて万年渋滞という感じではなくなっているが、通りに面した家々は時間が停止したように錆びついている。

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ひひらく:ひりひり痛い<ヒイラギ小野路>  

ヒイラギ・・・古語ひひらく(ひりひり痛いの意)から、なるほど。


玉川上水その2 玉川上水駅~久我山<東京TOKYO②-13>  

玉川上水駅のすぐ下流に「小平監視所」があり、羽村取水口から12キロの現在の玉川上水は途切れる。小平監視所からは東村山浄水場に送水され、都民の上水になる。そのわずか下流の人工の滝から勢いよく落ちてくるのが、昭島で下水処理された「中水」だ。ここから杉並区久我山までの18キロが、この水によって復元され、幅わずか20メートル前後の「武蔵野」の林を育んでいる。唯一水面に下りられる「上水小橋」から、中央高速の下に消えていく浅間橋(下に水がないので橋とはいえないが)まで58の橋がある。

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三鷹駅前の独歩詩碑 「山林に 自由 存す」。

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大正期に永田町の小学生が井の頭まで遠足にきたが、1児童が流され助けようとした先生も流され33歳で亡くなった殉職記念碑(大声でセリフを覚えている青年)。

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久我山 END

立川南北 多摩モノレール<東京TOKYO②-12>  

多摩モノレールで多摩丘陵(多摩センター駅始発)の起伏を越えて、多摩川を北へ渡ると平坦な地形に一変する。立川から終点東大和(上北台駅)にかけては、その平坦な地形を立川飛行場(陸軍→米軍→陸上自衛隊など)と関連工場、研究所など航空産業の一大拠点だった。現在もわずかにのこるが・・・ルーク風の建物は、高松駅脇の旧「立川飛行機」の給水塔だ。ちなみに次の駅が「立飛」。

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玉川上水その1 羽村<東京TOKYO②-11>  

青梅線羽村というと、あとは青梅から奥多摩で東京の奥座敷の入口のようなところだ。江戸の人口が増えて水の供給のために玉川上水が造られ、ことしの6月で360年がたった。ここ羽村に取水口が造られ、丸2年を費やし完成させたのが床右衛門、清右衛門の兄弟…というのは小学校教育で必修だった。ほかでもない、羽村取水口から43キロ東の四谷大木戸まで人力で掘られ、そこから木の水道管で江戸市中に配水、丸ノ内線建設時にわが小学校横からもこの水道管がいっぱい出てきたのだから。現在は、ここから12キロ下流の玉川上水駅のところで途絶えているが、都民の水道として使用されている現役。玉川上水駅以降は、下水を浄化した中水で復元したものが久我山まで残っている。360年前のものがいまも使用されているというのは何かうれしいね。

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取水口。多摩川の「玉石」が随所に使われている。

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多摩川。

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桜が植えられている。

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最近つくられた玉川(のちに姓をもらう)兄弟の像。

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「牛枠」、木と玉石でつくった治水のための道具、これで堰き止めていく。

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「堂坂」、薬師堂があった。埼玉方面と相模をつなぐ要所でもあった。

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羽村駅前は目だった店もないが、再開発計画が進み、反対する家も多いようだ。

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