写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

アジア太平洋戦争遺跡・遺品①-1  

川崎市生田「第九陸軍技術研究所」(登戸研究所)跡
現在の明治大学生田キャンパス内に、当時の建物・施設が残る。明治大学西側の、現生田中学の方も「同研究所」であったという。光線兵器、生物兵器、化学兵器、風船爆弾などを研究開発する一方、各種の謀略用の兵器・道具の開発実験製造も行っていた(その一部は「陸軍中野学校」および卒業者が使用した)。香港から紙幣の印刷設備を強奪して偽札も大量に印刷し、中国で日本軍が使用した。
また、戦後直後に起きた「帝銀事件」に使用された毒物は、この「研究所」で作られたもので、真犯人も「第九研究所」の関係者であるという説もある。「動物慰霊碑」の動物とは、実は人間だったという研究者もいる(同研究所は「731部隊」との関係も強かった)。
保存運動の成果として、2010年4月から「登戸研究所資料館」が開設された。


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登戸研究所「弾薬庫」跡、2007年。

慰霊碑タテ2007
同研究所「動物慰霊碑」。一般の動物慰霊碑と比べ、大きく立派なことに注意。2007年。

フラスコ2010
登戸研究所資料館所蔵。同研究所で使用されたこのフラスコは、戦況悪化に伴い長野県伊那への疎開先で掘り出された。松代大本営その他と同様、地下壕の研究施設が造られたが、敗戦前後に爆破されたという。2010年。

消火栓2007
「消火栓」が残る。傘先で指示しているのが陸軍の☆マークだ。2007年。

五号棟2007
偽札を大量につくっていた「5号棟」裏側。現在(2011/02)、解体中とのこと。2007年。

引き込み塔2007
光線兵器、贋札大量印刷などで大容量の電力を消費していたのであろう、独特の形状の引き込み塔(2014.04訂正)。下の建物は、毒薬などの研究をしていた棟とのこと、2010年4月から「登戸研究所資料館」として生まれ変わった。
2007年。

神社2007
研究所の片隅には実験中に亡くなった研究員たちの供養のため「弥心(やごころ)神社」がつくられた。もともとは「発明の神」を祀った神社だそうだ。2007年。

碑2007
「登戸研究所跡碑」が建っている。2007年。

26号棟2007
偽札用の倉庫として使われたという「26号棟」は、2009年に取り壊された。2007年。

石井式2010
登戸研究所資料館所蔵。疎開先の長野県伊那から掘り出された大量の「石井式濾水機」。「石井式」とは、「731部隊」を率いていたかの「石井四郎」発明の細菌戦用のものだ。2010年。
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アジア太平洋戦争遺跡・遺品①-2  

柏市「ロケット戦闘機“秋水”開発跡など
つくばエクスプレスの「柏の葉キャンパス」駅北東住宅街の一角に、巨大なコンクリート製の大蛇が出現する。これは、B29撃墜のための秘密兵器:ロケット戦闘機「秋水」の特殊燃料用施設だ。畑の中の大砲状の筒は、その通気孔だ。「秋水」はドイツの技術を元に開発され、出撃はロケット、帰還は滑空というものだったが、試験飛行の帰還時に空母に突っ込み壊れてしまい実用には到らなかった。

  

排気筒2007
「秋水」特殊燃料庫の排気孔。2007年。

出入り口2007
同燃料庫の扉。2007年。

大蛇2007
同特殊燃料導管(パイプライン)に住宅が迫る。2007年。

千葉経大2007
千葉都市モノレール「天台」駅西側に「鉄道連隊材料廠」跡がある。10両の車両が収納できる巨大な建物であるが、現在は千葉経済大学のサークルの物置と化している。2007年。

線路2007
鉄道連隊材料廠へのレールがわずかに残る。戦時での鉄道の重要性は、おそらく現代でも変わらないだろう、戦略物資の大量な輸送に不可欠である。2007年。

トンネル2007
千葉公園内に残る演習用トンネル。2007年。

橋脚2007タテ
同じく千葉公園に残る演習用橋脚。
これらの演習用施設を見ていると、1928年張作霖爆殺事件、満州事変(1931年柳条湖事件:関東軍の鉄道爆破謀略から「事変」⇒日中戦争へと進んでいく)と1949年の「戦後三大謀略事件(松川、下山、三鷹)」とを考え合わせ、「戦時の鉄道=戦略物資の輸送」に終わらない別の面がが見えてくる。2007年。

倉庫2007
千葉都市モノレール「天台」駅東側の旧「陸軍気球連隊格納庫」は、現役の倉庫として使われている。2007年。

アジア太平洋戦争遺跡・遺品①-3  

横須賀市「記念艦“三笠”」「観音崎」「猿島」
横須賀は東京湾入り口の要衝で、旧海軍の重要な施設が多数ある。戦艦三笠は、日本海海戦で旗艦として活躍したが、1925年から現在の地に「記念艦」として保存されている。
三笠がある「三笠公園」北側は在日米軍横須賀基地で、現在、在日米軍司令部が置かれ、原子力空母「ジョージ・ワシントン」の事実上の母港となっている。いまや「東京湾入り口の要衝」と言うよりは、米軍の世界戦略上重要な基地だ。
観音崎、猿島には、東京湾を守る砲座や、トーチカ、対空監視哨などの軍事施設跡が多数残っている。いずれもアジア太平洋戦争よりもずっと以前に活躍した(あるいは存在価値のあった)施設ではあるが、アジア太平洋戦争を支える精神的な支柱としては重要であったはずだ(三浦半島・房総半島が「本土決戦」強行派によって造り変えられたことに関しては、今後別にまとめていこうと考えている)。


三笠2007
「菊の御紋章(レプリカ。本物は艦内に展示)」を艦首に据えた“旗艦三笠”。2007年。

弾痕2007
ロシア巡洋艦バヤーンの厚さ7.5センチの鋼板を貫いた破孔。2007年。

根2007
観音崎第三軒家砲台跡近く。2007年。

砲台2007
観音崎三軒家砲台跡。2007年。

東郷2007
「皇国の興廃この一戦に在り」。東郷平八郎連合艦隊司令長官の像と旗艦三笠。2007年。

観音崎2007
観音崎三軒家砲台跡。 2007年。

アジア太平洋戦争遺跡・遺品①-4  

「こどもの国」、王子「東京第一陸軍造兵廠」跡等と世田谷
町田と横浜にまたがる「こどもの国」は、「陸軍田奈弾薬庫」跡だ。三十数基の弾薬庫が掘られ、入り口はひっそりと残っている。その上は子供たちのサイクリング・ロードで、さらに隠れて通気孔がいくつも立っている。
 かつてヴェトナム戦争が激化して「王子野戦病院」として使われた建物が「東京第一陸軍造兵廠」跡だ。この旧「一造本部」も現在は区民の施設に変わっている。近くに火薬製造・開発を行った「二造」建物の一部がモニュメントとして残る。
世田谷には「駒沢練兵場」「騎兵」などの施設が多く、当時、馬が大事にされたことが分かる。蔦の生えた建物は、凸凹と長大に延びている「近衛輜重兵大隊射撃場」だ。どでかい倉庫は、軍馬の飼料用倉庫だった。「野砲兵第一連隊兵舎」は、世田谷韓国会館として現役で使用されている。

  

扉①2007
弾薬庫の扉、田奈弾薬庫は朝鮮戦争でも現役として使用された。こどもの国を歩くと、谷戸がいくつも合流していることに気づく、これは事故・爆撃などでも誘爆を防げる地形でこの地が選ばれた(という説に説得力がある)。
2007年。

扉②2007
弾薬庫の扉。上の白いパイプはサイクリング・ロード(元々は日産の子供用自動車道)だ。2007年。

通気2007
各弾薬庫の上には、このような通気孔が設けられているが、「こどもの国」利用者にはなかなか気づかれない。
2007年。

病院2007
「東京第一陸軍造兵廠本部」跡(ベトナム戦争時は「王子野戦病院」として使用された)、現在は区民のための文化センターになっている。2007年。

火薬碑2007
圧磨機圧輪記念碑。明治時代に、石神井川の水を動力源にし、実際に火薬製造機として使用したものを1922年に記念碑とした。2007年。

公園2007
「二造」(東京第二陸軍造兵廠)建物をモニュメントとして残している。往時の物は屋根部分の三角形だけで、残りは復元された。公園内に敷かれている。2007年。

馬魂2007
世田谷の「馬魂碑」。2007年。

馬神2007
駒場「馬神碑」。地名も、この辺一帯には「駒場」「上馬」「下馬」「駒沢」とあり、馬に関わる軍隊の施設が多かったことをうかがわせる。2007年。

倉庫2007
「糧秣廠馬糧倉庫」跡、馬の飼料用倉庫だろうが、バカでかい。2007年。

射撃2007
「近衛輜重兵大隊第一大隊射撃場」跡。元射撃場だけあって、左蔦の建物から右奥までとても長い建物だ。
2007年。

境界2007タテ
世田谷の一角にある「陸軍用地」境界石。2007年。

韓国2007
「野砲兵第一連隊兵舎」跡。現在は「世田谷韓国会館」として使用されている。2007年。

アジア太平洋戦争遺跡・遺品①-5  

「調布飛行場」(陸軍)、後楽園「陸軍造兵廠東京工廠」跡
調布市の、現在も伊豆七島方面への足場として利用されている「調布飛行場」は、当時「中島飛行機(富士重工の前身)三鷹研究所」の南に位置し、首都防衛の要であった。陸軍の「隼」戦闘機を擁し、敗戦時には特攻隊をも組織したという重要な基地であった。虎の子の「隼」「飛燕」を守るための「掩体壕」が、現在も住宅地と公園内に残っている。排水のための玉石敷の堀を造るために、多くの囚人が狩り出されたという。草に囲まれているのは、飛行場防衛のための高射砲台座だ。
「陸軍造兵廠東京工廠」碑は、現中央大学を頂点にした敷地の形になっている。東京ドーム、小石川後楽園がすっぽり入る広大な敷地だ。弾丸製造機と工廠の基礎部など。


飛行場2007
現在の調布飛行場。右手後方に「味の素スタジアム」が見える。2007年。

門タテ2007
旧「東京調布飛行場」の門柱がそのまま残っている(そのうちの一つ)。2007年。

排水2007タテ
「東京調布飛行場」の周囲の排水溝は、囚人たちをも狩り出して、多摩川の玉石で造った。2007年。

ヒエン2007
「調布飛行場」横に保存されている掩体壕と、戦闘機「飛燕」像と絵。2007年。

壕2007
国道20号脇の住宅地に遺る「掩体壕」跡。2007年。

台座2007
「調布飛行場」周辺の高台に残る、飛行場等防衛のための高射砲台座。2007年。

記念碑2007
小石川後楽園内にある「陸軍造兵廠東京工廠跡記念碑」。左の尖ったところが、現中大理工学部、底辺が神田川(かなり水運が利用された)、現在の地図と見比べればその広大さがよく分かる。2007年。

割れ2007
「小石川後楽園」内に残る弾薬製造機の一部(次の写真の上部)。2007年。

製造器2007
「小石川後楽園」内に残る弾薬製造機の一部。2007年。

唐門2007
「小石川後楽園」内の、空襲で焼失した「唐門」礎石。2007年。

基礎2007
小石川後楽園ドームホテル横に保存されている「陸軍造兵廠東京工廠」の基礎部。2007年。

アジア太平洋戦争遺跡・遺品①-6  

「陸軍士官学校」跡=「大本営陸軍部」跡、「東京裁判」跡「講堂」、(以上防衛省内に部分保存)と、靖国神社など「帝都」の中心へ。
「陸軍士官学校」(1937年に座間に移転)=「大本営陸軍部」跡の講堂は戦後の「東京裁判」の国際法廷となり、その後GHQの総司令部となった。戦中戦後の重要な舞台であったが、現在ではごく一部分のみが保存されている。
皇居に隣接した旧「近衛師団司令部」は、一時廃墟化していたがリメイクされ、現在は国立近代美術館工芸館として使用されている。戦前、敗戦直後の、激動の舞台になったところでもある。
「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」「靖国神社」へと続く。同神社付属の「遊就館」の機関車は、泰緬鉄道(タイとビルマ:現ミャンマー間)を走っていた。この鉄道は、日本軍が戦争下に連合国捕虜などを使役し強行敷設したことで、戦後BC級戦犯に問われ処刑された。


士官学校2007
旧陸軍士官学校(防衛省内に部分保存)正面玄関部分。保存の現状は、横幅も高さも奥行きも往時とは比較にならず、「ミニチュア」になったようだ。2007年。

看板2007タテ
旧陸軍士官学校(防衛省内に部分保存)内に展示、「大本営陸軍部」看板。2007年。

講堂2007
旧陸軍士官学校(防衛省内に部分保存)内の旧「講堂」。「東京裁判」がここに桟敷をつくり開かれた、写真正面窓側が連合国=原告側席があった所。2007年。

メダル2007
旧陸軍士官学校(防衛省内に部分保存)内に展示、「所沢陸軍飛行学校記念メダル」等。2007年。

弾倉2007
旧陸軍士官学校(防衛省内に部分保存)内に展示、1942年香港攻略記念として持ち帰った「英軍機関銃弾倉」。2007年。

降伏2007
旧陸軍士官学校(防衛省内に部分保存)内に展示、「(日本軍)降伏要項」。2007年。

軍票2007
旧陸軍士官学校(防衛省内に部分保存)内に展示、日本軍がシンガポールとフィリピンで使用した軍票。2007年。

近衛2007
旧近衛師団司令部、かつては廃墟と化していたが1973年以降一新し国立近代美術館工芸館になった。
2007年。

高射砲2007
千鳥ヶ淵(皇居側)の高射砲台座跡。2007年。

墓苑2007
千鳥ヶ淵戦没者墓苑。2007年。

靖国2007
靖国神社正面。2007年。

鳩2007
靖国神社境内、純白の鳩を「飼っている」(ケージはないので羽を切ってあると思う)。2007年。

戦闘機2007
靖国神社遊就館、「零式戦闘機」(部分的に本物を含む復元機だそうだ)。2007年。

機関車2007
靖国神社遊就館、泰緬鉄道を走っていた機関車。2007年。

犬2007タテ
靖国神社「軍犬慰霊像」。2007年。

馬2007
靖国神社「戦没馬慰霊像」。2007年。

アジア太平洋戦争遺跡・遺品①-7  

「日立航空機立川変電所」跡、横浜「平沼駅」跡
玉川上水北東の「東大和南公園」内にある「日立航空機変電所」跡、米軍機による機銃掃射の痕が半世紀を過ぎても生々しい。現在は、公園内に保存されている。「変電所」跡の前には、当時この工場で使われたギア類がはめこまれたモニュメントがつくられている。
横浜「平沼駅」跡は、1945年5月の「横浜大空襲」で壊滅し、わずかにそのときの焼け跡と、駅であった印の階段跡を残している。


変電所2007
日立航空機変電所跡(東大和南公園に保存)、正面は機銃掃射の弾痕に覆われている。2007年。

ギア2007タテ
日立航空機変電所跡(東大和南公園に保存)、当時この工場で使われたギア類がはめこまれたモニュメント。
2007年。

給水塔2007
日立航空機変電所跡(東大和南公園に保存)、モニュメントとして残る「給水塔」これも機銃掃射痕。
2007年。

クローズアップ2007
日立航空機変電所跡(東大和南公園に保存)、表側の機銃掃射痕。2007年。

裏側2007
日立航空機変電所跡(東大和南公園に保存)、裏側は焼かれた跡が生々しい。2007年。

平沼階段2007
横浜空襲(1945年5月)で消失した京急平沼駅跡、階段が残る。2007年。

京急電車2007
横浜空襲(1945年5月)で消失した京急平沼駅跡。2007年。

炭化2007
横浜空襲(1945年5月)で消失した京急平沼駅跡。2007年。

浅草寺境内には、1945年3月の「東京大空襲」(東京は100回以上の空襲を受けている)に焼かれても、今なお成長している「生き証人:焼けたイチョウ」が数多く存在する、イチョウの裏側にも回って気をつけて見てみよう。墨田区、鐘ヶ淵駅東の「多聞寺」には「証言者」として東京大空襲で焼けた木と曲がった鉄柱が展示している、この戦争で犠牲になった映画人たちの「墓碑」もある。
横浜保土ヶ谷区には、「英連邦戦死者墓地」があり、毎日の欠かさぬ掃除と、美しい花が捧げられている。墓碑に記された彼らの年齢と、遺族のメッセージにも心を打たれる。そしてまた、多くのアジアの犠牲者たちにも思いを馳せよう。

※編集中、誤って削除したため、文章が若干変わりました。

イチョウ①2007タテ
空襲で焼けたイチョウ(浅草寺)。2007年。

イチョウ②
空襲で焼けたイチョウ(浅草寺)。2007年。

イチョウ③
空襲で焼けたイチョウ(浅草寺)。2007年。※飛木稲荷のような気がする(再調査)。

イチョウ④
空襲で焼けたイチョウ(浅草寺)。2007年。

イチョウ⑤
空襲で焼けたイチョウ(浅草寺)。2007年。

イチョウ⑥タテ
空襲で焼けたイチョウ(浅草寺)。2007年。

寺木2007
隅田山多聞寺。2007年。

寺鉄2007
隅田山多聞寺。2007年。

墓地格子2007
英連邦墓地(横浜)納骨堂。「地獄船」「拷問丸」「ビョーキ丸」と呼ばれた捕虜輸送船の犠牲者たちが葬られている。2007年。

墓花2007
英連邦墓地(横浜)は、主に捕虜として亡くなった1,720人(その他含め1,840人)が葬られている。2007年。

十字架2007
英連邦墓地(横浜)。2007年。

墓バラ
英連邦墓地(横浜)。2007年。

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