写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

木曜日冬晴れ 小石川植物園<東京TOKYO④-1>  

西日本の日本海側を中心に大雪だが東京は晴れ(昨日1/26)。風もなく暖かでおだやかです。毎年行く小石川植物園は、花といえばいまは、マンサク(貧弱な木が少し)、ツバキ、カンザクラ、そして日本庭園のウメだけで、あまり華やかな時季ではないので午前中はほとんど人がいませんでした。昼ごろから少しずつ入園者が出てきましたが、人出というほどでもありません、それだけのんびりと見てまわれるわけです。【付録】は補修工事が終わった「旧東京医学校本館」(現東京大学総合研究博物館~公開中)は植物園の一番奥にあり、いったん植物園を出ることになるので今回は外観だけとなりました。

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マンサク

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イトラン?

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シダ

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カンザクラ

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クスノキ

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クマザサ

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トキワマンサク

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ツバキ

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ウメ

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イタリアヤマナラシ

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ミズカンナ

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メタセコイア

【付録】旧東京医学校本館(重文)
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2015最終ライド 南房総<或日或処④-16>  

2015年の本blogは「鎌倉稲村ヶ崎」で終了の予定でしたが、あまりにも天気が良くてBROMPTONツーリング初体験ということで毎年行っている南房総に行ってきました。かれこれ10回以上は走っているので地図いらず、例年は1~3月に走っていたのでスギ花粉に悩まされてマスク着用でしたが12月はさすがに不要でした。気温が16~17℃ぐらいに上がったのではないでしょうか、着ているものを一枚々々脱いでいくことになりました、やはり南国です。


ヒジキ乾燥作業をあとに、年末行事に行く年配の方。北風が続けば一日で乾くのだが・・・と。

年末南房総一周002
館山の大竹造船所。

年末南房総一周003
神社の由来となった真っ二つに裂けた巨岩、海南刀切(なたぎり)神社。向かいにはむかしは同じ神社だったという船越鉈切神社がある。

年末南房総一周004
掃除と古いしめ縄などを燃やして新年の準備中。初詣は地元の漁師さんが主だという。

年末南房総一周005
「富崎幼稚園」の看板がでているが、元は小学校、その小学校も幼稚園も少子化で廃校になっている。左は「日露戦役記念碑」で、裏面に15名の戦死者名と40人ほどの従軍者の名が刻まれている。

年末南房総一周006
布良港。

年末南房総一周007
布良。青木繁「海の幸」の舞台。

年末南房総一周008
花摘み、出荷はこの時季、山の形が独特。

年末南房総一周009
道端にはアロエの花。

年末南房総一周010
日曜日は釣師たちの出番。

年末南房総一周011
君津から南にかけて山が削られ、山砂をとっている。

年末南房総一周012
水仙はもう満開だった。無人売り場で3束買って、どさっとベランダに生けた。

年の瀬 鎌倉稲村ヶ崎<或日或処④-15>  

昨年2月の大雪時に江ノ電を撮影(或日或処③-10「大雪1腰越江の島」)、カイロもむなしく体が冷え切って大腰痛になったため江ノ電から足が遠のいていた。きょうは、由比ヶ浜、稲村ヶ崎と鵠沼に用があったので、雨模様なるも江ノ電でぐるっと周ってきました。なんど行っても江ノ電は面白い、ひとの軒先をかすめて走っている電車って日本にはあまりないのでは(アジアには線路にお店まで出すところがありますが)。鶴岡八幡側はいざ知らず、こちらはあまりイヴも誕生日も関係なく、天気のせいもあるのでしょうが人出もあまりなくのんびりとした年の瀬でした・・・年が明けたらえらいことでしょうが。

鎌倉江ノ電001
前から気になっていた牛乳屋さん、「ルートスタッフ急募!」という貼り紙がしてあるので中に入って聞いてみました。「配達中心で営業していますよ」とのこと珍しい!鎌倉はスーパーがなく道路も狭いので生き残れているのかな(条例?)。

鎌倉江ノ電001-2
同店の電話番号、契約順だったのか?有線?

鎌倉江ノ電002
御霊神社。

鎌倉江ノ電003
使っていない井戸の前に、ここの方が「お地蔵さんかなにかだったんじゃないの?」と、そんな感じ。

鎌倉江ノ電004
早大、横国、Fテレビのウィンドサーフィン部御用達。

鎌倉江ノ電005
正月用お飾りのしめ縄を運び入れていました、この人鳶職ですが中東の人でした。

鎌倉江ノ電006
坂ノ下。漁船が10何隻かキャリアに乗せてありますが港ではなく浜辺です。鎌倉市では港化を考えているようですが財政が?

鎌倉江ノ電007
江ノ電唯一のトンネルは(たぶん)、極楽寺切通しのところ。

鎌倉江ノ電008
極楽寺駅。

鎌倉江ノ電009
体が冷えて「あ~コーヒー飲みたい」と思ったらカフェ(&干物屋さん)助かりました。前は仕立て屋さんだったという、本当に軒下を江ノ電が走っている。

鎌倉江ノ電010
踏切閉まりましたが、彼の家も左手が入口なので優先。

鎌倉江ノ電010-2
当然!?

鎌倉江ノ電011
稲村ヶ崎のプラットフォームと屋根の改修工事。運行中なので、手作業で大変な工事です。
※追記(12/23)稲村ヶ崎の断崖に穿たれた壕は、わたしは最近まで震洋(べニア製ボートの先に巨大な爆弾を積んで敵艦に特攻=今風にいえば自爆する)の基地と考えていましたが、人間機雷「伏龍」(潜水具を付けた兵士が、竹竿の先に付けた強力爆弾を敵艦底に引っ付け爆破させる=自爆)の基地だったようです。きょうははっきりしませんでしたが、今後調べてはっきりした時点で訂正いたします。「伏龍」の訓練をした元兵士の証言では、本土決戦となれば上陸前後の艦砲射撃でひとたまりもなかったであろうと述懐していました。
※このあと鵠沼に向かったら、目指すところは小田急の本鵠沼だということが分かり出直し。

黄金橋旭橋長者橋 日ノ出町黄金町<或日或処④-14>  

横浜の大岡川という「みなとみらい」へ流れ入る小さな川の下流部には、縁起の良い地名が並んでいる。その地名・町名の由来は様々あるのだろうが、この地域は横浜の下町で1945年5月の横浜空襲で丸焼けになったところだ。じっさい最近まで京急黄金町の駅前には、この空襲で亡くなられた多くの人々が荼毘にふされたという場所が空き地のまま残っていた。戦後は、大岡川を遡ってくる小舟に麻薬・覚醒剤を積んでさばいていた…黒沢明「天国と地獄」に出てくる阿片窟はこの地域がモデルであったといわれている(セット)。また、京急の高架下は呑屋を装った「ちょんの間」であり、京急が「耐震工事」として追い出したミレニアム後は、逆に周辺地域にこうした店が増加したという。10年前から横浜市が初黄・日ノ出町環境浄化を目指して「アートによる街おこし」を開始したが、順調に進んでいるわけではないようだ。今回は伊勢佐木町で待ち合わせた友人と会う前に歩いた大岡川周辺で、直接「ちょんの間」と関係するところではありません。

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横浜中華街へ 関内中華街<或日或処④-13>  

横浜中華街というと今や観光地化して土日は大混雑、店も何百人という観光客(バスツァー)をさばく席をもっている大型店と「食い放題」店に二分割。むかしのリーズナブルでおいしい食事を気楽に食べるという雰囲気はなくなってきたが、雑然とした街の魅力はいまなお失ってはいない。よくみると、中国人観光客がいちばん多いのだ?分からないようで分かりますが?

関内中華街001
市営関内駅構内

関内中華街002
伊勢佐木町

関内中華街003
大通り公園

関内中華街004
横浜球場

関内中華街005
中華街

関内中華街006
同関帝廟

関内中華街007
中華街路地

関内中華街008


関内中華街009
中華街大通り(なんだ「大通り」という名が好きなんだ?)

関内中華街010
日本大通り

関内中華街011
横浜公園(横浜球場前)

関内中華街012
横浜球場前信号待ちの韓国の青年、福岡から走って東京まで(ゴール近し!)

長田港から 神戸<或日或処④-12>  

宗教心はとんとありませんが、街歩きのときにはなるべく寺社は覗いていくことにしています。日本中の町並みが同じようになっているなかで、中世からあまり移転していないのは寺社だけだからです。寺社が多い道はたいがいが昔の街道で、今回の須磨から三宮へと歩いた道も、現在は裏通り的ですがむかしの海岸に沿った街道だったようです。須磨~長田港あたりは埋め立ても少なく漁師町の面影を残すところもありました。平家の、そして源平合戦の歴史的な足跡を刻んだところでもあるので、ゆっくりと周ればまだまだ見どころはいっぱいあるようです。長田港で会った50歳ぐらいの粋な男性は、右手にウィスキー?左手に美女をという感じでこの辺の良さをいろいろ説明してくれました。「川崎重工、そうあっちのは車両工場だけど、この先は造船部門できのう潜水艦の進水式をやったんだ、惜しかったな」とか。

長田港から001
古川大明神。

長田港から002
昭和シェル石油。

長田港から003
平忠度の「腕塚」、忠度が右腕を切り落とされ最期を遂げた地(とされる)。この塚(というか塔)に触れ自分の痛いところ病んでいるところに触れると治る・・・というので一応腰にパワーを与えましたが?

長田港から004
長田港。わたしよりやや年配の方が油絵を描いていました。

長田港から006
昭和シェルの一角。

長田港から007
高松橋から。昭和の時代の旧高松橋は全国でも珍しいハネ橋、兵庫運河の口にかかる。

長田港から008
やや北の、川崎重工の車両部門。

長田港から009
白藤大明神。左の崩れかけた碑は、「吉田新田開墾紀念碑」(明治32年=1899年)。

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七宮町の造船所。

長田港から012
出在家町(でざいけちょう)。

Sketches of Palau Guell<或日或処④-11>  

ガウディの初期の傑作といわれるグエル邸(1886~90年)です。ガウディがパリ万博に出品した「ガラスの六角形の箱」を見た実業家・資産家のグエル氏が、自分の別邸をガウディの意のままにつくらせたという作品。出来栄えの良さにグエル氏は、ここを本邸として家族と住んだということです。ガウディの建築物はなかなか濃厚なので、他の建築物も近くにあるのですがこのひとつが限界でした(二度と来られないでしょうが)。写真集としては、1984年に出た細江英公さんの『ガウディの宇宙』(集英社)がすばらしいです!

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Sketches of BARCELONA<或日或処④-10>  

出発直前に、カタルーニャ州独立を求めた100万人のデモがバルセロナを覆ったというニュースを見た。市内のビルは、0階(日本流には1階)が店舗で1階(つまり2階)以上がマンションになっていて、赤と黄の縞模様は州旗(独立反対派)、上の青地三角に星が付いているのが独立賛成派の旗で、ベランダにひるがえっている。3連休中には目抜き通りに州旗をマントのようにした人々が集まってくる。事情通氏によると、独立反対派は「独立といっても憲法に反する」とタカをくくっていたが、ここにきて危機感を覚えデモをやっているようだ・・・観光客としてはこれ以上首を突っ込まないが。そう、ガウディの建築物を見にきたのですが、バルセロナの街にはガウディ以外にも魅力的な建築物がいっぱいありそうなので、やや野次馬的に撮ってみました。もう少し近ければ、モデルニスモ建築など系統的に見ていきたいところですが。

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モデルニスモの代表作「カタルーニャ音楽堂」(以下4点)。

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モーターバイク通勤が奨励されているらしい、ここは駐車場だが、歩道上も建物との間隔が1.5m以上あれば許可されている。

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グエル邸からパティオ側(住宅の裏側)。

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Sketches of MADRID<或日或処④-9>  

「充電中」とは名ばかりで、かみさんとマドリッドとバルセロナへ「放電」の旅をしてきました。スペインは直行便がなく、トランジットを含めて20時間、体力に自信がついたというべきか体調を崩して危ういのか、そんな綱渡りの旅でした。コロンブスのアメリカ大陸発見の日とかで土日月の3連休になっていてやや慌てましたが、プラド美術館のゴヤを見るために朝一で並んでチケットを購入、ゴヤは一番奥なので一気に奥まで行って「裸のマハ」と「着衣のマハ」などかみさんと二人だけでゆっくり見ることができました(作戦勝ち!)。


郵便労働者(アトーチャ駅)。






















門や入口には左右一対の竜?ちょうど沖縄のシーサーとたぶん同じく「魔除け」「厄除け」ということなのでしょう。




バルセロナまでは荒地が延々と続く。

国道246号 江田~梶ヶ谷<或日或処④-8>  

「246」はご存じのとおり三宅坂から「青山通り」、渋谷から「玉川通り」として親しまれた道だ。江戸時代には「大山詣」の道として、江戸から丹沢山塊の一番手前の大山にいたる街道であった(東海道のバイパスでもあった)。246号と東名道は、この大山街道をベースにつくられた道であるので、三者はほぼ並行して走っている。古道大山街道も途切れ途切れだが残っているので歩けば面白い道だ。現在の246号はいわば産業道路で、東京と東海地方を(東名に乗ったりしながら)結んでいて、平日はトラックがバンバン走っているがきょうは日曜なのでトラックは少ない。モーターサイクルが多く、その事故もたしか日本一の道路だ。けっきょく車関連のお店に淘汰されている。

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246号014

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