写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

ふれあいの丘駅経由 横浜都筑<神奈川考①-13>  

昨日、いつもならば起きている時間なのだがなぜか熟睡中の5時59分ずっと揺れがおさまらない地震に目が覚めた。次第に大きくなりそうなので、わが家の安全地帯「トイレ前」へ行こうとするも腰痛で起き上がれず、起きてもしばらく動けず・・・。日頃は目覚めとともにストレッチングをして痛みを和らげ体をほぐしてから行動するのですが、緊急のときには俊敏な・いやトロトロでもいいから動きたいのだが、こりゃ大地震・大災害になったらだめだなと自覚。TVをつけると津波で東北の人々が高台に避難している、なにも持たずに寒空のした体を震わせ海を凝視している。主な避難場所には、寄り合える小屋とか飲食物とか毛布とかを準備しておけばよいのにと思うのはTV越しに見ている者の身勝手だろうか。官民(ゼネコン)主導の復興の落とし穴が見える。
家の周りを一種のリハビリ(実際リハビリにも寄って)を兼ねて、秋の深まりというか明日は雪模様なので冬の到来を確かめに歩きました。


ふれあいの丘001

ふれあいの丘002

ふれあいの丘003

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ふれあいの丘012
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明日は雨があがるのだろうか、連日の雨のなか箱根駅伝の勝負どころ小涌谷から宮ノ下を歩いた。箱根登山電車に乗ると「80/1000の勾配を登る世界第二位の登山電車です」という放送が流れ、スイッチバックをしながら標高523mの小涌谷駅にようやくたどり着いた。新幹線開通いらい急ぎ足の旅行に慣れたわたしとしてはなんとも間怠っこしい、前に進み下り電車を待ちうしろに進むの繰りかえし。10年ほど前に廃校(統合)になった「箱根町立温泉小学校(跡)」は、校門すぐ上を登山電車が行き、地下に温泉場があり入浴の授業があったという。廃校10年ほど前に立て直した斬新的なデザインの校舎は、町の人々の子どもたちに託す気持ちがこめられていたのだろうが、少子化と温泉町の衰退には勝てなかった。宮ノ下駅前、富士屋ホテルの周辺150mぐらいがむかしの面影が残り、外国人むけの骨董品屋や寄木細工の店がある。

小涌谷宮ノ下001
スイッチバックで停車(駅ではない)。

小涌谷宮ノ下002
「町立温泉小学校(跡)」校門すぐ。

小涌谷宮ノ下003
校舎。

小涌谷宮ノ下004
宮ノ下へ。

小涌谷宮ノ下005
宮ノ下へ。

小涌谷宮ノ下006
宮ノ下駅(下)周辺。

小涌谷宮ノ下007
同。

小涌谷宮ノ下008
富士屋ホテル内。

小涌谷宮ノ下010
宮ノ下駅前の足湯喫茶。

小涌谷宮ノ下011
宮ノ下駅前。

小涌谷宮ノ下012
箱根湯本駅へ。

小涌谷宮ノ下013
箱根湯本駅へ。
箱根もすっかり秋をむかえていますが、仙石原のススキは10月に入ってからが見頃のようです。この辺は箱根山のカルデラにあたりもともと湿性の原野で、開墾すれば千石の穀物になるということから名付けられた原だそうです。その一角に箱根町が運営する「箱根湿性花園」があり、小さいながら昔の湿地の面影も(たぶん)残しています。

箱根小001シオン
紫苑シオン。付記:紫苑物語の作者・石川淳の孫が写真家として活躍している、隔世の感あり。石川直樹氏

箱根小002ススキ
湿性花園入り口にススキ。

箱根小003

箱根小004ノハラアザミ
ノハラアザミ。

箱根小005

箱根小006
チカラシバ?

箱根小007オミナエシ
オミナエシ。

箱根小008
シシウド?

箱根小009ヒゴタイ
ヒゴタイ。

箱根小010シロワレモコウ
シロワレモコウ。

箱根小011サワギキョウ2
サワギキョウ。

箱根小012ヒュウガミズキと
ジャコウソウ?

台風が呼ぶよ 鰯雲  磯子根岸<神奈川考①-10>  

今年最初の「いわし雲」は3つの台風が呼び寄せた秋。11時には見えなくなっていたが、もう焼けつくような日差しではない。磯子と根岸の海岸沿いを歩いてみると、釣り日和、ヨット日和、そして堀割川の八幡橋たもとではお祭りをやっているような・・・そこは農林水産省の「動物検疫所」で(たぶん)予算を取って地域との交流と検疫業務のPRをかねてのお祭りだった。いまは成田に輸入される肉の加工品(ハム・ソーセージなど)、動物、ペットから伝染病などを防ぐための検疫が主だが、元々(大正、戦前)は横浜港から輸入される馬の検疫が多かったのだそうで、根岸の競馬場(跡)はその名残だとの話でした。

磯子根岸001

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生命の星に親しむ 夏休み<神奈川考①-9>  

「神奈川県立生命の星・地球博物館」が箱根登山鉄道入生田駅前(小田原から箱根湯本方面へ3つ目、徒歩3分。駐車場は無料、常設展示大人520円、高校生100円、中学生以下無料、シニア100円!!)にあります。「46億年前の地球誕生から地球の未来を考える」をテーマに1995年に開館しました。世界でも特異な4つのプレートが集中する神奈川県ならではの展示で、上野の国立科学博物館とはまた違った楽しみがあります。凝視するこどもたちの頭脳のなかでは、何十億年の旅がもう始まっているようでした。
  
生命の星001

生命の星002
Late Permian (260-252 million years ago)

生命の星003

生命の星004

生命の星005

生命の星006
Mundrabilla-Iron Meteorite

生命の星007

生命の星008
Ammonite Wall

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Rainbow-colored Ammonite , Late Cretaceous(70 million years ago)

やまゆりの 花もかなしく 暴虐夜 <神奈川考①-7>  

やまゆりの 花もかなしく 暴虐夜  (7/20(水)相模原市緑区 石老山セキロウサン にて撮影)


陣馬山なんかがある小仏山地が日本列島の成り立ちに重要なカギになるところ、ということでその対岸から撮影できないか?と相模湖病院に行ってみた。すると、そこは「関東100名山」のひとつ「石老山セキロウサン」の登山口だった。そしてこの山は一歩登り始めると巨石がごろごろ、地震でもあったらお終いだなとか考えながら坐骨神経痛をおして登りました。小仏山地の写真も撮りましたが、今回は巨石の一部を特集しました。神奈川は、4つの巨大プレートが集中しているところで、世界でも注目をあびているところなのです(南部フォッサマグナ)。

石老山001

石老山002

石老山003 (2)

石老山003

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石老山011

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梅雨のおわりに 港北001<神奈川考①-5>  

九州では大雨が続きましたが関東では先日雷雨があったものの雨が少なく、利根川水系ではダムが干上がろうとしています。相模川水系は水不足ということはないと思いますが、強い日差しに照りつけられると後頭部からクラクラする梅雨の終わりが近づいている気配がします。横浜の北=港北の早淵川周辺をクラクラと歩いてみました。

梅雨の終わりに001-1
人工せせらぎ、上流に井戸を掘って流している。休日はザリガニよりも子供たちのほうが多く供給が追い付かない。

梅雨の終わりに001-2

梅雨の終わりに002
葡萄フジミノリ(藤稔)を強い日差しから覆う作業。このあと水が少なければ、給水しないと甘味が少なくなると。

梅雨の終わりに003
貸農園も実りの夏ちかし。

梅雨の終わりに004

梅雨の終わりに005
早淵川。

梅雨の終わりに006
日中戦争で徴発されたこの村(現在は町)の馬たちの慰霊碑前。

梅雨の終わりに007
シュロ。カラスが種をばらまきます。

梅雨の終わりに008
カンナ。

かなたより みなとみらい<神奈川考①-4>  

横浜の新しい港地区「みなとみらい」の象徴的ビル・ランドマークタワー(296m)ができてから20年以上が経ち、「みなとみらい線」も開通して横浜駅界隈と関内官庁街(+α)とが結ばれてさすがに土日は人手が多い(平日はそれほどでもな~い)。そのランドマークタワーあたりの大理石(石灰岩)の床と壁が化石の宝庫だそうで、さっそくでかけました(一時期都内は歩いたのですが、いまでは都内も化石が多いと思います)。目が慣れるにしたがい何となくわかるようになってきました、アンモナイトと貝類でしょうか?恐竜とともに滅びたアンモナイトというとはるかかなたの世界(6500万年前絶滅)ですが、「がんばる!」なんていう小さな文字も現れて、時間的にも精神的にも大きな距離を感じる神奈川考でした。

みなとみらい化石001

みなとみらい化石002

みなとみらい化石003 (2)

みなとみらい化石003

みなとみらい化石005

みなとみらい化石006

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みなとみらい化石008

みなとみらい化石010

みなとみらい化石011

みなとみらい化石012

みなとみらい化石014

みなとみらい化石016

震生湖 秦野<神奈川考①-3>  

わが家のベランダから丹沢がドーンと見える。この丹沢が意外とやっかいで、遠い南の島々がプレートに乗って沈み込むことなく乗り上げた山々なのだそうだ。高校生のときに地学の先生が(主に)貝の化石発掘に連れていってくれました、ちょうどプレートテクトニクス論が数多くの蔑みを経てようやく認められてくるころでした。
1923年(大正12年)相模湾を震源とした関東大震災で、ここ丹沢山塊の南・秦野の丘陵に陥没・崩壊がおこり「震生湖」が出現した。出現した、というほどには大きくはないのだが(周囲1キロ)、調査に訪れた寅彦の句碑「山さけて成しける池や水すまし」が建っている。崩れた崖の跡と、下校途中に行方不明になった女子小学生2名の供養塔を訪れた(秦野では200名をこえる死者)。ところがこの供養塔が地元の人に聞いてもわからず、市内をぐるぐるめぐることになったが、けっきょく初めの震生湖の上の木陰にあった・・・100年近く経つと人の記憶からも忘れ去られていくものか。

秦野震生湖001
震生湖。

秦野震生湖002
震生湖。

秦野震生湖003
湖畔の大きな芭蕉のわきの芽吹き。

秦野震生湖004
湖畔の弁天様。

秦野震生湖005
だんだんと釣り人が増えてくる、野鳥も多い。

秦野震生湖006
寺田寅彦の句碑。

秦野震生湖007
崩壊の跡をのこす崖(ソーラーパネルが設置され入れないが)。

秦野震生湖008
供養塔は、写真左上の木陰にあった(実は最初にこの人に尋ねたのだが)、右上のきれいな稜線が大山。※()内訂正です、湖畔にあった「池窪の大悲観音」矢印が2少女の供養塔だとわたしが思い込み、この方に聞いたのですが「よくわからない」ということでした。「池窪の大悲観音」は江戸時代に大きく水のたまる場所で村の青年が遭難し建てられたものでした。7/10訂正。

秦野震生湖009
丹沢の東京寄り(東)。

秦野震生湖010
塔ノ岳方向。

秦野震生湖011
ツバメが多い。

秦野震生湖012
ようやく見つけた供養塔。

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