写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

充電式日録8/29  

相模ダム<アジア太平洋戦争遺跡遺品②-2>に移行しました。

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充電式日録8/22  

7/25の続きという形になるが、前回撮り残した愛川町の「相模陸軍飛行場」(中津陸軍飛行場)に再度行った。まだ猛暑が続いていたが、敗戦間近に米軍機による機銃掃射跡が残るという「平山橋」に向かった。「米軍機による弾痕がある」というプレートが北側袂にあったが、6年前に樹脂塗装をしているので1個所は見つけたが、あとは分からない。
そこで南袂の民家を訪ね、当時10歳だったという男性に案内していただいた。その方の記憶は鮮明で、昭和20年7月1×日(郷土資料館学芸員の人から「10日」と教えていただきました)の日中、田代小学校(国民学校)裏手の山あいから数機の米軍機が突然現れ、橋上を馬で荷物を運んでいた男性や小学校寄りを歩いていた男性が機銃で狙撃されたそうです。小学校寄りの男性は腿を射貫かれ、その肉が横の土蔵の壁に張り付いていたのを見て恐怖に震えたそうです。橋の鉄骨の弾痕1個所は鉄骨を射貫いて、対岸の家の押し入れに逃げ込んだおばあさんを負傷させた。それまでは「勝った」「勝った」の話ばかりで戦争は「楽しいこと」だと思っていたら、この肉片がその考えを一気に変えたということでした。10歳の軍国少年にとっては衝撃だったのです。


愛川①
滑走路側は「内陸工業団地」になり、その広大さと平らさが飛行場だったことを物語る。

愛川②
南端に残る「格納庫基礎」。

愛川③
「排水溝橋」。排水溝は現在も生きている、この道路上だけは「橋状」になっていて、ここだけ二股になっている(強度上そういう造りにしたのだろうか?)。

愛川④
この学校の背後の山あいから米軍機が侵入してきた。講堂には生糸が集積されていた。

愛川⑤
鉄骨の弾痕(射出口)。その他に2個所見つけたが、まだまだあるのだと思う。

愛川⑥
中津川(相模川支流)。

愛川⑦
300万年前の地層から発掘された「古代象(アケボノゾウ)」全身骨格のレプリカ。

充電式日録8/15  

敗戦後きょうで66年。四谷一帯も空襲で焼け野原と化したが、わたしは戦後のベビーブーマーなので体験しているわけではない。ただ、物心ついて、猫の額ほどの「庭」を掘っていると、すぐに奇妙に溶けたガラスや瀬戸物の破片などが続々と出てきた。ある日、水道管の破片と覚しき錆びた鉄管を掘り出したら、隣家のおばあさんが血相変えて飛び出してきた、「焼夷弾かも知れないから触っちゃだめだ!」。そのとき焼夷弾というのはこういう形をしているのだな、と分かった。もう一軒の隣家には畑があって、ある日大きな穴が開いた、防空壕の跡だった。

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丸ノ内線四ッ谷駅横のJR総武線下り、「旧御所トンネル」。日清戦争のために、青山練兵場(現・神宮外苑)から都心部に兵隊を大量輸送するために、明治天皇の仮御所だった場所の地下に「畏れおおくも」トンネルを掘った。日清戦争開戦直後に開通した。ということは、完成後117年経っている!


四谷左門町にある「田宮神社」=「於岩稲荷」。この辺は貧しい浪人が多く怪談話の舞台にうってつけだったようだが、幕府の取り締まりを恐れて「東海道四谷怪談」としたのだそうだ(本当は「甲州街道」=国道20号)。

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「田宮神社」の向かいの、こっちはお寺の「於岩稲荷」(神仏混淆?)の古井戸。

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「服部半蔵の墓」西念寺。信濃町から国道20号の間、前回紹介した「谷」の南北はお寺ばかりで、町名も昔は「寺町」と「南寺町」だった。1630年代に外濠を造るときに、麹町一帯にあった寺が引っ越してきたのだそうです。現在、この辺は創価学会&公明党の一大中心地だ。

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旧「四谷見附橋」の「高欄」(欄干の一部)。「赤坂離宮」(現・迎賓館)のデザインに合わせ「ネオ・バロック様式」で造られた。

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「策(むち)の池」、国道20号の北側の荒木町の窪地にある。家康が鷹狩りのときに「策」を洗ったというところ。しかし、この辺は料亭がめっきり減って芸者さんもいなくなって、人気はすっかり神楽坂にうばわれてしまった。

充電式日録8/8  

わたしのふるさとの一角ですから、これはかなりショックでした。経済雑誌に、3.11以降「都内で危ない町」ランキングが出て、「若葉3丁目」が第2位にランクされていたのです。四谷あたりは地盤も安定していて、交通の便も良く、皇太子一家も住み、迎賓館もあるというところなのですが、名前の由来の一つにあげられている「四つの谷」にあたる部分が戦前までの大「スラム街」(横山源之助『日本の下層社会』)でこの一帯が、東京都による地震と火災の「危険地帯」の総合第2位にあたるのでした。
歩いてみると、たしかに家屋が密集して老朽化していました。でも(この現状で良いわけではありませんが)とても懐かしいところでした、友達がにっこり顔を出しそうな…


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信濃町から、谷筋を新宿通りに歩いてみました。

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「四谷怪談」、有名な「戸板返し」の場が(「設定が」)ここだと思っていたのですが?

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同じく「鮫ヶ橋」。東京オリンピック(1964年)で東京は大改造された。

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この辺の路地は、行き止まりが多い。

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ここも行き止まり。

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若葉2丁目。右手が元大きな酒屋だったところ。空襲でも焼け残った塀があった。

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銭湯。

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ここも行き止まり。何を祀っているのだろう。

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若葉2丁目。

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須賀神社男坂。「紀元2600年記念」だった。登っていくおじいさんは、10分後に女坂を下って戻ってきた、「運動です」と。

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四谷2丁目「法蔵寺」。こういう碑は(部隊員の高齢化に伴い)昭和末から平成初めにかけて、各所に建立されている。裏面に「昭和18年編成時931名、同21年復員時215名」と記されている。※インパール作戦の不条理さは前谷惟光「ロボット三等兵」に色濃く描かれている(と友人に話しても信じないのだが)。

充電式日録8/2  

28年ぶりに下北半島(下北地方)を自転車で回った。7/27脇野沢に船で渡り、大きな峠越えの連続で佐井に出た。佐井から濃霧の大間、ここも震災いらい観光客がほとんど来なくなってしまったそうだ。大間から大畑に出て薬研温泉に泊まる、私たちともう一組のみ。翌日は恐山、前回は小さなお寺の宿坊に泊まり素朴な温泉につかったものだが、いまや巨大なお寺になって観光客を呼び込んでいる(しかしここも観光客は途絶えてしまった)。カルデラ湖から外輪山に登るのに苦労したが、そこからは下り、むつ市、東通村、尻屋崎に向かう。ここには「寒立馬(かんだちめ)」がいるだけと思っていたら、日鉄鉱業と三菱マテリアルの巨大な採石場とセメント工場があった。翌日南下すると昔きたときと同じヒバの森林地帯と酪農地帯をのんびりと走り、国道338を西に向かってむつ市、大湊から7/30脇野沢に戻った。ヤマセが吹き、寒い。
上北地方の六ヶ所村を走れば昔とは大きく異なる風景に出遭うはずだが、今回走った下北地方は(旅行者の目線で見る限り)あまり変わっていない、貧しく、人の少ない、漁業と酪農と林業の村だが出会う人はみな温かい。しかしいま、大間にはフルMOXの原発が建設中、東通りには東北電力の原発と、建設中の東京電力の原発(両「東電」で10基ずつ計20基の原発敷地を有している)、大畑に核廃棄物中間保存施設建設中という具合に、六ヶ所村と一体となっての「核燃料サイクル半島」と化している。ヤマセよりも寒々とした光景だ。


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脇野沢から走り出すとすぐにソバ畑があった。

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仏ヶ浦の北に、道路に面して願掛岩がそびえている。

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佐井で、早朝ウニ?をとっていた。

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佐井から大間へ。

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建設中の大間フルMOX原発。

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大間。佐井、大間の人々は、買い物、通院などは函館にフェリーで出る。

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大間から大畑へ。昔の鉄道橋脚部か?(むつ市からの鉄道はけっきょく大畑止まりだった:これも廃線。その先も部分的に建設されたというのでその遺構か?)

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薬研温泉から恐山へ。

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薬研温泉から恐山へ。

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恐山。

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恐山。

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恐山。

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恐山外輪山。

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恐山からむつ市街へ。

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むつ市街から東通村へ入る。ここは戊辰戦争に敗れた会津藩が1870年(明治3年)に許され、上北、下北、三戸、二戸で斗南(となみ)藩として再興した。ここを「斗南が丘」と名付け、開拓の中心地とした。しかし、翌1871年(明治4年)に廃藩置県となり、かつこの地の過酷な条件の下で元藩士の死亡・転出が続き夢は潰えた(会津に帰郷した者も多かったという)。

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東通村村営第二牧場下の野牛川。

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日鉄鉱業の石灰石採石場(尻屋岬)。


尻屋崎の寒立馬(かんだちめ)、風の当たる場所に群れているとの話(冬は風を避けるのでしょう?)。

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尻屋崎への道の両側にオトコエシ(?)がいっぱい咲いている。

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岩屋(尻屋手前の漁村)。

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岩屋。


岩屋から小田野沢方面へ。

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国道338をむつ市へ。

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大湊。

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北洋館。大湊要港部御真影室に掲げられていた御紋章。敗戦時、接収を恐れ勤務していたO氏が自宅に隠し、2000年(平成10年)寄贈した。

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脇野沢へ。どの家でも、長い冬に備えてマキは必需品だ、ストーブを使わないのは7&8月だけだという。

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脇野沢へ。

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脇野沢へ。

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脇野沢に到着、寒い。ここ脇野沢でとれるタラは一級品だ。

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