写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

②あとがきに代えて<アジア太平洋戦争遺跡遺品②-17>  

清瀬の「東京病院」敷地内に「外気舎記念館」という小屋が一棟残されている。これは、現在の社会事業大学付近に1939年(昭和14年)扇状72棟が建てられた「傷痍軍人東京療養所・外気舎」が1966年(昭和41年)の廃止時に記念として残された結核サナトリウムの1棟だ。小さな小屋にベッドが二つ、四方が開け放たれる構造になっていて、「外気療養」と「作業療法」とで結核兵士の治療が行われた(+「栄養」のほうは思うにまかせなかったであろう)。結核は、戦後に「ヒドラジド」などの抗結核薬が出るまでは「死に至る病」であった。下のベンチは、「記念館」前の荒れた林の中に残るベンチで、病院に問い合わせたが、戦前の物かどうかは不明でした(神宮前の写真展にきてくれた友人が療養所内に住んでいたとのこと、このベンチは戦後のものであるという話でした)。アールーヌーボー的な曲線を生かしたベンチがいくつもつながっています。ここに来た方は、西隣の「高松宮ハンセン病資料館」と「多磨全生園」も訪れてみてください。

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<アジア太平洋戦争遺跡遺品②>を、かろうじて2011年内に編集し終えました。築70年前後になる遺跡が何とか残っていますが、それらは人類史上最悪な意図と結果をもたらした戦争を物語っている、貴重な物です。しかし、わたしのように横浜を中心に取材している限りは、多くは被災を物語るもので(各都市の空襲、原爆投下など戦争犯罪であるのは言うまでもありませんが)、加害的な実像を物語るものは少ないのです。そこで、実像に迫るために秋田の「花岡事件」跡を撮影しました。おぞましい「三光作戦」とクロスする事件ですが、その事件を掘り起こし、後世にその記録を残そうとしている人々が存在することに光明を見いだせました。
アクセスし「WEB写真集」を見ていただき、ありがとうございます。来年は、また異なるテーマで写真を掲載していきますので、よろしくお願いいたします。
※「アジア太平洋戦争」という呼称は、「太平洋戦争」を意味して使用している方も多いようですが、わたしは1931年から1945年にかけての足かけ「15年戦争」を指すものとして使用しました。「日中アジア太平洋戦争」のほうが内容を正しく表しているようですが、少し長い。
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