写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

写真展<田園の憂鬱>2009-2011鶴見川 再録  

2012年3月14日~3月25日神宮前“THE END OF SPACE”で開催した 写真展<田園の憂鬱>2009-2011鶴見川 をblog上に再録しました。

オオマツヨイグサS
ノゲシS
メマツヨイグサS
ノアザミS
Rosetteの中にRoseがある。オオマツヨイグサ、ノゲシ、メマツヨイグサ、ノアザミ。

①200912市が尾稲荷前古墳群
稲荷前古墳/200912市が尾(10基中7基は住宅になった)

②201104三輪横穴墓
横穴墓/201104三輪

③201003三保斜面
斜面/201003三保

④201101菅田農地
農地/201101菅田

⑤201102東方
農地/201102東方

⑥201007瀬谷キャンプ
市民農園化/201007キャンプ瀬谷

⑦201105しらとり台ハーブガーデン和枝園シロタエギク
シロタエギク/201105しらとり台ハーブガーデン和枝園 1977年米軍ジェット機墜落事故を忘れぬために

⑧201101菅田スペイン産オリーブ
スペイン産オリーブ/201101菅田

⑨201105寺家柿畑
柿新緑/201105寺家

⑩201101菅田根
根/201101菅田

⑪201104三輪不法投棄物
不法投棄物とシロバナタンポポ/201104三輪

⑫201008三ツ境中原街道
中原街道ヒマワリ/201008三ツ境

⑬201102川和
畑工場ムクドリ/201102川和

⑭201005センター北
センター北駅/201005荏田

⑮201004たまプラーザ駅
たまプラーザ駅/201004同駅

⑯201105鴨居セメント工場
セメント工場/201105鴨居

⑰201104町田戦車道
残土処理/201104町田戦車道

⑱アゲハチョウつがい201009中山
アゲハチョウつがい/201009中山

⑲201104モグラアオダイショウ中山
アズマモグラとアオダイショウ/201104中山

⑳201007レプリカ塩引き中山
アメリカ先住民塩引きレプリカ/201007中山ズーラシア内

⑳1201202ケヤキ伐採青砥
道路を造るには木を切らなければならない ケヤキ伐採/201202青砥

#12881;201102大塚模型センター北
弥生式遺跡模型/201102センター北大塚遺跡内

#12882;201102真福寺川合流部鶴川
真福寺川合流部/201102鶴川

#12883;201104鶴見川河床三輪
鶴見川河床/201104三輪

#12884;201201恩田川河床長津田
恩田川河床/201201長津田

#12885;201102新道路基礎川和
新道路基礎部/201102川和

#12886;201003東名防音壁藤が丘
東名防音壁/201003藤が丘

#12887;201103Cadillac De Ville’50年代末ハワイ鴨志田
キャデラックCadillac Coupe de Ville 50年代ハワイ走行/201103鴨志田

#12888;201005横浜環状北線生麦
横浜環状北線/201005生麦

#12889;201008中原街道下格闘技練習他三ツ境
格闘技練習場他/201008三ツ境中原街道下

#12890;201104貝殻堆積生麦
むき身貝殻の堆積/201104生麦鶴見川河口部

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遊水池の中にbiotopeがある。美しが丘、江田、泉田向、荏子田。


3000万人の「国」

わたしは40年前、小田急線側からミノルタ・オートコードを持って、『田園の憂鬱』(佐藤春夫)の舞台 鶴見川中流域を撮影していました。雑木林が延々と続き、それを抜けると突如原子炉(日立と旧武蔵工大の研究炉)が出現し驚きました、それほど当時は「人里離れた」という雰囲気があったのです。しかし、その雰囲気は実はこの鶴見川中流域が豊かな田園地帯であり、高度経済成長政策下のニュータウン計画までは近郊農業が盛んな土地でもあったことを物語っているのでした。
「港北ニュータウン」建設にともない、1000個所の縄文・弥生遺跡が(開発をスムースに行うために)発掘されましたが、発掘の跡地のいくつかは誰も遊んでいない、何もない「公園」という名の更地になっています。自治体によっては、こうした開発にともなう発掘によって掘り出された埋蔵物も、いまや扱いに困って「ごみ」として処分されているのが現状です。

先日、電車の中吊り広告に東京スカイツリーのコピーで「3000万人が見える」とありましたが、高度経済成長のもとに首都圏にこれだけの人々が集中しています。その反面には過疎化し高齢化した農村と漁村が存在するのです。いま鶴見川中流域は、「緑なき緑区」とか「田園なき田園都市」と言われるようになり随所に「破壊の跡」を残していますが、いやいやその跡すらないのがほとんどですが…。
                                          2012年3月 渋谷秀雄

※本写真展は2012年3月神宮前で行ったのち、同年6月27日~7月9日町田薬師池公園内「町田フォトサロン」で行い、さらに10月10日~11月21日、ジュンク堂池袋本展3階文芸書売場壁面で展示しました。思いもよらぬ2012年「都内巡回展」となりました。見に来てくださった方々、搬入・搬出、展示に協力して下さった多くの皆さま、ご協力ありがとうございました。

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本日(14日)より25日まで神宮前THE END OF SPACEで写真展  

本日(14日)より25日まで神宮前THE END OF SPACEで写真展のため
(詳細はこのページ末の「広告・宣伝」をご覧下さい)、
本ブログは「小野路一里塚」にて小休止いたします。


小

境川源流大地沢へ<田園の憂鬱②-10>  

今回は鶴見川ではなく、境川源流を訪ねました。という意味ではテーマから離れるのですが、町田市を代表するもうひとつの川が境川です。鶴見川は町田市の北東部の低地を形づくっていますが、境川は台地を、大地沢(おおちさわ)の源流から東に向かって流れ、町田駅・市街あたりから真南を目指して流れ、藤沢市街の真ん中を通って江ノ島にでます。
名前の通り、武蔵国と相模国の国境いとなる川です。支流というものがほとんどない、という意味では不思議な川ですね。沢の奥は元来「入会地」だった山ですが、いまは手前に「青少年センター」があり、バンガロー(コテージというべきか)、キャンプ場、炊事場の施設が整い、山はハイキングコースになっています。


①
境川源流部に露出している「小仏層」1億3千500万年~7千500万年 中生代白亜紀(恐竜の時代)に海の堆積物によってできた岩石。

②
中野~朝鮮半島~ハルピン3,000キロに敷かれた通信用無装荷ケーブルの一部が、露出して残っている。

③
源流まで200メートル手前で予防治山工事のため「立ち入り禁止」、重機のキャタピラーの轍。

④
一番奥の村には茶畑があった、ここは昔は「雨降(あめふらし)」という地名だった。

⑤
ロウバイが咲くのも遅い。

⑥
大地沢手前の相原地区に戦争末期、本土空襲に備えた隠蔽送信所として「多摩送信所」が造られ、木製の高さ60メートルの送信用アンテナを張り巡らせた。送信所跡地は、現在法政大学となり、その基礎「台石」の一つがキャンパス外れに遺されている。

小野路ネコヤナギ<田園の憂鬱②-9>  

先週行った野津田&小野路をまた訪れた。
これまでは、鶴見川という小さな河川の中流域を中心に撮影してきたが、上流には上流の(下流にも)歴史と文化があることを感じている。すぐ北側の多摩ニュータウンもすでに老朽化と住民の高齢化が進み、ようやく高層マンションへの建て替えが始まったところだが、その隣にはこんな「田舎」があったのだ!?しかし、野津田&小野路は、もともと交通の要衝であり、幕末には農民兵も組織されたところだったのだそうだ。横浜で事があったときに、緊急に対応できる部隊だったという。また、野津田の自由民権運動の指導者の一人、石阪昌孝も天然理心流の使い手だったという。近藤勇にも剣術を習い、京都の近藤に金を貸したこともあるのだそうで、新撰組と自由民権運動ってとても近い関係だったのです(イデオロギー的にではないですが)。
少しずつ解きほぐしながら、この地をもう少し撮影していきます。


①
ネコヤナギを撮影していると…。

②
Sさん(76歳)がフキノトウを持ってきてくれた、遅いとはいえ春です。小野路の話を小一時間、米沢からなにも知らずに嫁に来てからの苦労話から、していただいた。ポートレートも撮影しましたが、非公開です。

③
Sさんの田んぼも「減反」で縮小を余儀なくされ、大賀バスを植えている(手前)と。

④
萬松禅寺。戦争末期には、「鈴ヶ森国民学校」生徒が疎開していたが、1945年5月25日夜半に焼夷弾による爆撃が始まり、生徒は無事逃れたが寺は焼失した。これは戦後再建されたもの。本堂階段下に、何気なく焼夷弾が置いてあることに驚いた。これもSさんが教えてくれました。

⑤
その焼夷弾。

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萬松禅寺境内のカヤ、これも被災したが甦った。カヤの実からは油が採れるので、戦争中は食用油として使用された。

⑥
市民農園。

⑦
畑もまだ冬の名残り。

⑧
雨水貯留施設(キャノン)。

⑨
「殉節両雄(近藤勇、土方歳三)之碑」(拓本。碑は日野市)、小島資料館。自由民権運動資料よりは、新撰組資料の方が多い。しかし、新撰組が使用した鉄砲は、戦時中徴発されてほとんど現存しない。年に20日しか開館しない(*4=80時間)資料館に入れたのは実にラッキーかつ直感的であった(司馬遼太郎も来られなかった)。

名残雪 補2/29  

2/29雪が天気予報よりも積もりだした。この時季、東京あたりで大雪が降るのは珍しくないのだが、3/14搬入写真展の「ゲラ」点検の日なので朝から新宿に向かったら、副都心線「明治神宮前」駅手前でカンヅメ状態になってしまって困った。とは言っても、むかし真夏に小田急線の酒匂川近くの炎天下に冷房なしで2時間も閉じ込められたことを思えば、何ということもないのだが。
午後、銀座に向かうともう雪はほとんどなかった。春の淡雪、「名残の雪」というのが古い使い方のようだが、イルカ以来「なごり雪」でよいようだ。ところで、このイルカのディスクジョッキーを(やはりむかし)聞いていたのだが、毎回ものすごい「下ネタ」の連続技ですっかりイメージが崩された。面白かったけれどネ。


中
新宿駅、午前。

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新宿、午前。

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京橋、午後。

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