写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

穏田川へ 四谷<東京TOKYO-3>  

四谷というのは、現在では想像もつかないだろうが私のこども時代(戦後)でも「東京の外れ」という感じがしていた。当時の東京は、都電を主要な交通網にしていたので、都電の経路沿いに街が発達していた。「塩町」(現・四谷3丁目)は都電の中枢だったのでなかなか賑わっていた。けれども、新宿の大ガードを越えると都電も絶えて、京王線が地上をとろんこ走っていた。新宿西口は「鳩」というパチンコ屋が目立つ程度で、浄水場、ガスタンクを過ぎると畑が増えて、笹塚の「ロマン座」という映画館を見るのを最後にあとは畑道になる。
四谷は立派なお屋敷があるいっぽう貧しい家屋も多く、戦後の「掘立小屋」もまだまだあった。それらが一変するのが東京オリンピックである。羽田の貧しい漁村が外国人に見られないように大きな看板に隠されたと同様、都心の貧しい地帯は「公園」=更地にされ都営住宅に移された。いまは第4?の変貌期が、もう終わっているのかも知れない。


1-塙保己一墓
ヘレン・ケラーも尊敬していた塙保己一の墓(愛染院)。

2-愛染院壁
愛染院の壁。

6-木賃アパート
アパート入り口。

7-手押しポンプ井戸
四谷小学校の横に井戸があり、飲用には適さないが現役である。モーターを付けて、水道式に使用している。この写真を撮影中、ご近所の比較的若い女性が「大京町にも二つありますよ」と教えてくれた。

8-三菱鉛筆発祥の地
大京町の海苔屋さんで聞くと通りの向こうの「内藤町」だという。内藤町では、以前も撮影した「三菱鉛筆発祥の地」の碑が建っている。大木戸から分岐した穏田(おんでん)川の流れで水車を回し、生産したのだそうだ。

11-四谷区
内藤町というのは新宿御苑の東側にひっそりとある閑静で小さなな街で、商店は一軒もない。大京町とも「外苑西通り」で大きく隔てられている。古い家が多く、表札を見ると「四谷区内藤町」とあるので、戦災を免れた地域と思える。

12-外苑西通り井戸
古い民家のなかにも残っていそうだが(一軒撮影させてもらった)、これは「外苑西通り」内藤町側に新宿区が管理している「災害時協力井戸」3本のうちのひとつ。

13-穏田川跡
「外苑西通り」の交番に面した下に、もと水路?川かな?と思えるところがあった。若いお巡りさんに聞くと、よく勉強していて、「玉川上水の余った水をこちらに流していたらしいです」と。大木戸から木の水道で江戸市街に流す余りを南下させ「穏田(おんでん)川」として利用した流れで、渋谷駅前の渋谷川に合流していた。

14-穏田川跡
同交番横の川の跡。

15-穏田川欄干跡
内藤町側、大京町側ともに欄干?の跡が残っている、ちょっとした散策路だったのだろう。右手の自転車屋の若い衆も「昔は川が流れていたって話です」と。

16-大番児童遊園
「大番児童公園」(四谷第六小前)、ここも地形からして川の跡だ。

18-穏田川外苑橋跡?
これも橋の一部か?横の信号機には「外苑橋」とあるので、そういう橋があったのだろうが。
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こちまさこ『はりま』(『一九四五年 夏 はりま-相生事件を追う』、2008年、北星社)は、「私は1973年以来、さきの戦争末期に中国本土より日本に連行された3名の労働者が敗戦一ヶ月後の深夜に惨殺された事件の真相を追いもとめてきた。この通称『相生事件』の現場は、兵庫県相生市にある播磨造船所前の今はなき『皆勤橋』である」(「はじめに」より)から始まる。1994年、あるTV局からの突然の依頼で30分の特別番組を放映する。-略-この放映に相生警察署もと巡査2名から「事件をよく調べてない」と電話が入り、カギは「オンナ」であることが示唆され、調査は振り出しに戻った。※佐多稲子『素足の娘』(1940年、新潮社)参考のこと。浦山桐郎はどうか?

①山陽本線小橋脚、相生西
山陽本線小橋脚、相生駅西。

②相生市内垣内
市内垣内。

③ペーロン練習中、相生湾皆勤橋跡近く
ペーロン練習中、皆勤橋跡近く。小さな造船所から戦争とともに巨大な造船会社に育っていく過程で、長崎から多くの技術者、労働者たちがやってきた(「素足の娘」)。ペーロンも、長崎に由来する。

④旧播磨劇場横
旧「播磨劇場」横手。

⑤相生(おう)町
相生町を南側より望む。手前は埋め立て地。

⑥皆勤橋跡から造船所方向
皆勤橋跡地から造船所方面を望む。

⑦相生町空き家
空き家、相生町。

⑧相生町
旧「水月旅館」、相生町。

⑩造船報国隊職場「松浦工場」跡地
「松浦工場」(造船報国隊職場)跡地。

⑪大島山、右手が川尻地区、那波
大島山と、右手奥が川尻地区。

⑫道の駅、那波南本町
道の駅「あいおい白龍(ペーロン)城」。

⑬赤地刑務所宿舎跡方面
赤地刑務所宿舎跡方面。

⑭藤戸トンネル
藤戸トンネル。

⑮華労宿舎跡地
華労宿舎跡地。

⑯華労職場跡地
華労職場跡地。

⑰日之浦神社
日之浦神社、華労宿舎・職場北側、藤戸トンネル南。

⑱旧工和橋
旧「工和橋」。(2013/05/30訂正)「旧工和橋」は、この橋と現在の橋の中間にあった。

⑲陸(くが)埋葬地すぐ南
陸(くが)埋葬地すぐ南側。

⑳大島山登り口
大島山登り口。

#12881;大島山下
大島山下。

#12882;大島山下
大島山下。

#12883;中央公園中国機関車
中国のジャンボSL(が劣化して)モニュメントと化したもの、中央公園。

#12884;高取峠手前旧道
高取山手前の赤穂に抜ける旧道。

#12885;相生町
再び相生町へ。



因幡街道<或日或処①-5>  

宮津は細川ガラシャ(明智光秀の娘)のいたところ、そこから自転車で丹後半島を回り(Tide-2)、海岸のアップダウンを越えながら鳥取に入った。鳥取は小さな静かな街で、川はきれいに澄んでいた。峠を越えて相生から姫路へ抜けるために走った道が、たまたま古代から使われていた「因幡街道」に沿っていた。後鳥羽上皇が隠岐に流され、後醍醐天皇は隠岐から鎌倉倒幕に駆け上ったという歴史的な道だったが、日本海側から瀬戸内海に抜けるには峠が400メートル程度の越しやすい街道であったのだろう。宿場跡がいくつも残り、造り酒屋があるので酒を買いすぎて、毎日飲み過ぎている…のだが。

①鳥取
鳥取市内。

②鳥取千代川
鳥取、千代川を遡る。

③鳥取千代川
鳥取、因幡自転車道。

④智頭旧道消防団屯所
智頭旧道、消防団分団屯所。

⑤山形
智頭街道、恋山形。

⑥大原宿
大原宿、QUARK号。

⑦大原宿
大原宿。

⑧大畠
宮本武蔵手前、大畠。

⑨上郷東蔵
上郷、東蔵(旧造り酒屋)、現在は造り酒屋の「博物館」、カフェ、&ステージでは劇や演奏などを行っている、文化の発信地。

⑪若狭野
山陽道、若狭野(相生近く)。

Tide-2<或日或処①-4>  

伊根漁港
「伊根の舟屋」で有名な伊根漁港。ここにオランダを出て東回りに10年ヨット暮らしを続けている、若くはないご夫妻(?じゃないかも知れないが)が停泊していた。地元の伊根中学生が伊根港の写生を終えて、もう顔なじみなのかあいさつをして引き上げた。オランダ人ペアは、5月中に函館を目指し、そこからアラスカへ渡るという。伊根中の生徒たちの素朴な礼儀正しさが心地よかった。伊根の集落は、伊根港に沿って意外と大きいが、3校あった小学校もいまは1校になり、人口は減少しているという。

Tide-2
①丹後半島本庄浜
丹後半島、本庄浜。

③本庄浜
丹後半島、本庄浜。

④本庄浜
丹後半島、本庄浜。

⑤本庄浜
丹後半島、本庄浜集落(一部)。

⑥丹後半島
丹後半島、「畳岩」。丹後ちりめん工場(見かけは古い民家)で、織機がガシガシガシと稼働している。

⑦丹後半島
丹後半島。平坦な土地が少ないところでは、海ぎわまで田んぼを作っている、佐渡島もそうだったね。

⑧丹後半島網野町
丹後半島、網野町の小さい集落。

⑨丹後半島網野町
丹後半島。

なんじゃもんじゃの木 神宮外苑<東京TOKYO-2>  

なんじゃもんじゃの木(和名ヒトツバダコ)が開花しているというので神宮外苑に行った。広辞苑「なんじゃもんじゃ」を引くと「神宮外苑のものが名高く」とあるのは1903年(明治36年)からの「二代目」だが、今年は半分枯れていて、幹は包帯が巻かれているという無残な姿だった、蘇生できるのかしら?しかしよく見ると(友人に教えてもらったのだが)近くに若い木がいっぱいあって、みごとに咲いていた。

①樺太日露国境レプリカ
日露戦争(1904~05)で樺太の南半分を得、国境を示す「国境天測標」。菊の紋章の裏側にはロシアの鷲の紋章がある。これは本物ではなくて、当時の樺太庁が外苑(旧練兵場)に寄贈するためにつくったレプリカだ。外苑。

②なんじゃもんじゃの木、満開
なんじゃもんじゃの木の花、外苑。

③ミクニ、四谷。
四谷、ミクニ。

④スッポン、荒木町
荒木町「策(むち)の池」の主、巨大なスッポンが甲羅干し中。

⑤迎賓館前
赤坂(四谷)、迎賓館前。ここは昔は国会図書館で出入り自由、裏に回れば東宮御所も見渡せた。

⑥赤坂
大型連休で赤坂もひと気がない!!

⑧溜池
溜池。

⑨品川
旧東海道、品川。

⑩旧東海道鯨塚前
旧東海道、品川の「鯨塚」の前の小公園。

⑪多摩川下流
このブロックはなんだろう?多摩川下流。

川崎へ<田園の憂鬱②-15>  

連休中は都内の車が少なくポタリングの穴場なので、一昨日予定していたが雨模様で延期したまたま家にいたら、青森空港から書家の「相馬呑気」さんから電話が入った。川崎駅前で書道展をやっているので時間があったら来て下さい、というので時間はいくらでもあるので出かけた(再会の顛末は略)。
家から川崎までは近いのだが便が悪く、けっきょく横浜経由の「Vの字」で遠い。で、日吉まで電車で出て、矢上川沿いに写真を撮りながら川崎まで歩こうと結論した。雨の日は木々が美しくてきれいな写真が撮れるのだが、なんせカメラは防水ではないので扱いが大変だが。


①日吉
慶応日吉、ここの東側に矢上川が流れている。この川は、元々は多摩川に流れていた河川だという。

②サクラ、日吉
サクラ、日吉台。

②新幹線、日吉
慶応日吉の裏側に新幹線が走っている、小田原方面を望む。

③矢上川
矢上川。

④矢上川が鶴見川に合流
鶴見川への合流部、手前が「ミクリわんど」、向こう左手が「駒岡河川敷」。人工河川化している鶴見川では、貴重な堆積土で多くの生命を育むところだ。

⑤末吉橋近く
末吉橋近く、むこう左手は京浜工業地帯。

⑥末吉橋近く
末吉橋近く。

⑦末吉橋より上流望む
末吉橋から上流を望む。

鶴見川上流へ<田園の憂鬱②-14>  

いつものコースをぐるっと(自転車で)小山田までひとまわり。もともと養蚕がさかんな土地で、いまでも桑畑が所々に残っていて新芽が伸びてきた。ところでこのクワの葉の需要は?前からの疑問で、地元の人に聞いても明確な答えがない。今回はお年を召した女性に聞いたところ、たまに小学校でカイコを育てるのであげる、年に100万円にもなる宅地並み課税では払っていけないので、こうやって畑にしている…とのこと。相続税が大変で、この辺の農家もいずれやっていかれなくなるだろう、と。そして、実は「公団」(かつての住宅・都市整備公団?)が平成何年だかにここいらの山を買い占めたという、まだ未着工だが、という話だった。たしかに、すぐ北側は多摩ニュータウンだから、こちらが孤立した「田園地帯」というのが現状だ。要調査ではあるが。

①町田
こどもの日を前に仮設橋、図師。

③鎧橋河川掃除
地域の方々による年一回の河川清掃、鎧堰。

⑤小山田
小山田手前。

⑥小山田
小山田、源流近く。

⑦八王子バイオマスエコセンター
「八王子バイオマスエコセンター」建設中、小山田西側。

⑧カキドオシとは違うらしい、町田
カキドオシとは違うらしい、町田。

⑨縄文中期住居跡、高ヶ坂
縄文中期(4000年前)住居址、高ヶ坂。

⑩おしゃもじ様、茅ヶ崎
「おしゃもじ様」、茅ヶ崎。

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