写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

花火大会前に 二子玉川<東京TOKYO-9>  

江戸・幕府が川に橋を架けなかったことも頷ける、現代でも川は天然の要害なんだ。自転車でたまに都内に行くときは、けっきょくどの橋を渡るかでコースが決まってしまう。和泉多摩川(登戸)はやや遠いし世田谷通りは狭くて車も多いのであまり使わない。二子玉川が最短距離なのでよく使うが、問題は246号の交通量と車のスピード。制限速度50キロを、70~80キロで走っている(か渋滞してる)ので危なくて、旧大山街道が残っているところはそっちをとろとろ走る。新二子橋を渡ったら、商店街を抜けて用賀から桜新町旧道を行く。こうやって見ると、二子玉川というのは多摩川の河原にへばりついた狭い範囲だということが分かる。崖を登れば用賀だ。
もうひとつのコースは、丸子橋、つまり中原街道で五反田を右に巻いて品川~新橋にでる、楽ちんコースだ。

※本日(8/21)から9月半ばまで、私事のため休載いたします(更新を休みます)。9月半ばからの再開をご期待ください!

①二子橋
手前川崎市側が「二子村」でむこう東京都側が「玉川村」だった。真ん中のビルは、もう少し低かったけれど「富士観会館」とかいう名前じゃなかったかな?たしかに、この辺から富士山がよく見える。

②岡本かの子文学碑
二子新地(川崎側)にある「岡本かの子文学碑」、太郎の作品。

③新二子橋
246号は、二子橋のところでカギ型に曲がらなければならないので、この「新二子橋」をつくった。「自転車・荷車禁止」だが、自転車で走ってるやつがいる。たしかに楽だけど、事故ったときは圧倒的に不利になるからね。

④新二子橋ジョイント部
同橋のジョイント部。

⑤二子玉川商店街豆腐屋
古くからの商店街の豆腐屋さん。

⑥コンクリート・ミキサー車
はでなミキサー車だと思って撮影したら、昨日(8/18)玉電砧線の話を聞きにいった会社の車だった。

⑦旧二子橋の親柱
旧二子橋の親柱を246脇に残している、当時は玉電が橋を越えて溝の口まで走っていたという。しかし、説明板がど真ん中でじゃまだね。

⑧新二子橋は環八近くまで続く
新二子橋橋脚。同橋はかなり長くて、環八の手前まで続いている。246はモーター・バイクが多く、バイクの事故数最多路線です。

⑨溶けた?地図
不思議な地図ですね、上の方が上野毛・環八方面だが、最初からこんなデザインだったのか何かで溶けたのか?

⑩南大山街道道標
南大山道道標。「左西赤坂道、右東目黒道」と書いてある。

⑪二子玉川ライズの高層マンション
「二子玉川ライズ」の高層マンション。価格は高いけれど、すぐ売り切れだ。

⑫玉電砧線跡碑
「玉電砧線跡碑」、玉電といったら渋谷~二子玉川間のイモムシ電車(世田谷線もあるけれど)だけかと思っていたら、砧線というのが河原まで走っていて砂利を盛んに運搬して、関東大震災後の復興に大きく寄与したのだそうです。1969年の玉電廃止まで走っていたようで…知らなかった。

⑬砧線軌道跡
砧線軌道跡。

⑭軌道跡横の砂利屋さん
軌道跡地横の砂利屋さんに聞けばなにか分かるだろうと、事務所に直行。「当社は昭和26年創業なので関係していないが、砧線は元々多摩川の砂利採りと、終点・砧本村にあったわかもと製薬の通勤に使われていた。昔は、田んぼと砂利採掘跡の大穴ばかりでした」と、ていねいに教えてくれました。そこの駐車場。

⑮砂利の大穴があった所(都市大学野球場)
その大穴二つがあった所は現・大学の野球場になっている(戦後越してきた高齢者に聞いたところと少し違う感じもするが)。

⑯同大穴近くの木賃アパート
大穴脇の木賃アパート。

⑰多摩堤通り
多摩堤通り。

⑱商店街の市場もさびれつつある
商店街の市場も歯が欠けたようになってきた。うまくおしゃれで実用的な街へと転換できるのか、難しい局面だ。

⑲久地陸閘(りっこう)
久地陸閘(りっこう)(閘=水門)。撮影日に行う花火大会の準備で、人の出入りがはげしい。

⑳花火裏方「晴れたヨ!」
雨がはげしく降っていて心配されたが、午後になって晴れてきた(さっきの人:上の女性だ!)。
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舎人ライナー 日暮里舎人<東京TOKYO-8>  

東京都区部の最北地点が足立区の舎人である。「舎人(とねり)」とは、皇族や貴族に仕えていた者を称していたが、ここの地名との関係は不明だ。舎人ライナーは東京都交通局が2008年日暮里から真北に見沼代親水公園(毛長川)までの約10キロを開業、足立区の鉄道空白地帯の重要な足と位置づけた新路線だ。「ゆりかもめ」同様、自動運転のため乗務員はいない。毛長川沿いは元々は田んぼであったが、現在は戸建ての密集地という感じで、周辺が抱えている人口に比して輸送力が貧弱な感じがする。
この日(8/11)は大気が不安定で、ライナーに乗っている間、往きは強めの雨だったが帰りは豪雨になり、荒川あたりまで南下すると止みはじめた。


①小
西日暮里駅前。

②小
荒川区。

③小
荒川。

④小
荒川、扇大橋。

⑤小

⑥小

⑦小
舎人公園、陸上競技場。

⑧小
舎人氷川神社。

⑨小
毛長川が都県境となる、向こう側は埼玉県。この川沿いは自転車で走ったことがある。

⑩小
舎人、舎人ライナーの橋脚。

⑪小
舎人氷川神社境内にある日露戦争の舎人村出征軍人「表忠碑」。石碑の裏側を撮影しているときに右腕にカラスが糞をして困った(3度目だ)。服でなくて良かったか?

⑫小
舎人公園、突然の豪雨だ。

⑬小
舎人公園。

⑭小
荒川扇大橋では雨はほとんど止んでいた。

⑮小
都電、熊野前。

科学博物館 上野<東京TOKYO-7>  

上野は見どころ満載だ。動物園、文化会館、博物館、美術館、それにいつもざわついた庶民的な雰囲気が好きだ。なかでも国立科学博物館は、こどもの頃から通い、娘たちを連れて通ったお気に入りの場所だ。でも以前は暗く、どこかかび臭い場所でもあったが、いまは視覚的・体験的に楽しめる展示になっている。地球誕生46億年、生命誕生40億年の長い歴史を、さわって(さわっちゃいけないものもあるけれど)学べる。分からないことがあれば、各フロアに同年配(か少し上の)ボランティアの人が何人かいて丁寧に教えてくれる、いい雰囲気だね。
今回は地球館の一部を見たにすぎないが、ハワイの実業家ワトソンTヨシモト寄贈の「ヨシモト・コレクション」が圧巻。アメリカ・ワイオミングで発掘された「淡水魚化石」もそのまま日本画の屏風絵!感激です。また行こう。


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ゆりかもめ お台場<東京TOKYO-6>  

黒船由来のお台場は、小学生の遠足先だったが、いまや周辺部も含めて「臨海副都心」として大きく様変わりしている。お台場から隅田川にかけては高層マンションが立ち並び、週末ともなれば多くの若い家族連れが繰り出してくる観光スポットでもある。なかでも海辺ではウィンド・サーフィンもやっていて、70年代前後の汚れてドブくさい東京湾を知っているわたしには信じがたい発展ぶりと、東京湾の浄化が進んだことがわかる。分かるんだけれど、どうも生産的ではないと感じてしまう(「生産的」の結果がいま問い直されているのだが)。新橋から「ゆりかもめ」でとろとろと豊洲まで、ガラス越しに撮影してみた。

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赤坂真理『東京プリズン』が増刷された。「大君」「英霊」が出てきて「TENNNOU」の独白がある、天皇(昭和天皇)の戦争責任を巡るディベートを柱に展開される小説だから当然ではあるが、感覚的には拒否したい気持ちになる。しかし、わたしたちより一回り下の世代が「アジア太平洋戦争」(「15年戦争」「アジア・太平洋戦争」など呼称も決まらないのだが)に真摯に向かい合おうとするところに、不思議だが、注目もしている。今後どのような方向に向かっていくのだろうか?梯久美子『昭和二十年夏、僕は兵士だった』も赤坂と同世代だろうが、最後の体験世代に直接取材している素晴らしいノンフィクションだ。

①東海寺原爆慰霊碑1967年建立
品川の東海寺境内に1967年建立された原爆慰霊碑。東海寺は家光が沢庵和尚を招聘して建てた臨済宗大徳寺派の大きな寺、沢庵石の和尚の墓もあるが、道路・鉄道でだいぶ分断されている。

②大崎 爆弾破片跡 江戸の茶会記念の碑
品川 清光院境内にある爆弾の破片が当たった跡の残る石碑(江戸期の茶会記念の粋な石碑)。

③小野路 墓
小野路、海軍二等航空兵曹の墓。1936年(昭和11年)新京(現・長春)への移動中の遭難のようだが、よく読めず。

④肉弾三勇士レリーフ靖国
靖国神社、肉弾三勇士レリーフ像。戦後はGHQの目を恐れ、ベニヤ板を張り、さらにセメントで塗り固めた。

⑤肉弾三勇士墓愛宕山下
愛宕 青松寺の肉弾三勇士銅像(現在は一部「江下武二」像のみ残る)と墓。1932年(昭和7年)「満州国」樹立工作から欧米列強の目をそらすための陽動(日本軍の謀略)のために引き起こした「上海事変」中の一作戦。爆死した三名を大阪朝日新聞などが賛美した。

⑧同、中野坂上氷川神社
中野坂上、氷川神社。「皇紀2600年祈念」に氏子が建てた国旗掲揚塔、かなり大きなものだ。2600年記念碑もある。

⑦「皇紀2600年紀年」国旗掲揚塔
同掲揚塔。

⑨忠孝碑と機雷
同神社境内、忠孝碑(1930年建立)と機雷。

⑩機雷
同機雷は1928年(昭和3年)に明治時代のものが払い下げられたそうだ、中は空。

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