写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

松精油・松根油<アジア太平洋戦争遺跡遺品③準備10>  

友人のSくんから「高幡不動尊の裏山に松の油脂から航空燃料をつくった跡が残っている」という話を聞いて、行ってみた。
元々アメリカからの石油輸入に頼っていた日本は、日中戦争の拡大とアメリカによる石油等の禁輸に直面して、蘭印(インドネシア)など南方への侵攻による石油をはじめとする資源確保のために戦線を一気に拡大した(真珠湾攻撃とマレー作戦)。しかしやがてシーレーンが確保できなくなり、航空機燃料が枯渇し、1945年(昭和20年)3月には「松根油、松脂増産」の閣議決定のもとに、全国で松からの航空機燃料の生産が開始された。その跡が高幡不動尊裏山にも残っていた、精製工場も近くにあったということだが、実用に値する品質ではなかった。

※この写真は「松脂」採取の跡です。「松根油」採取は文字通り松の根っ子を掘って油分を精製するというもので、遺跡はない。しかし、松が枯れたり弱体化して、戦後直後の台風の襲来で弱った山が崩れ土石流があちこちで発生し被害が大きかったというので…この方面も取材してみます。

8212719373_2ebdb8b837_z[1]

8212720335_975c93bf29_z[1]

8213807548_ba668dfd00_z[1]

8213805270_fb52a0b2ba_z[1]

8212721667_308908f3dc_z[1]

8212722403_746453b345_z[1]

8212722751_5ddaf398cd_z[1]

8213804328_28abf9bc6a_z[1]

8213804580_d53e62b50d_z[1]

8212718265_ddcd2bb5ef_z[1]
スポンサーサイト

赤平・美唄<或日或処②-17>  

赤平は歌志内の北側、主に住友系、美唄は南側で三菱、三井系。北炭以外は財閥系の資本が進出したのが北海道の特徴であろうか?宿題!。①「石炭から石油へ」の大転換と国際石油メジャーの関係②産炭地 九州と北海道との相違(と共通性)・・・とりあえずこの2点から勉強し直してみよう。

①旧住友赤平立て坑やぐら
旧住友石炭赤平炭鉱立坑。赤平駅裏側にあり、詳しい説明が和文・英文と立坑の図で記されている(えらい!)。明治期に坂市太郎によって上赤平・上歌志内炭層が発見され、大正期は住友坂炭鉱の主要鉱区となり、昭和期は住友鉱業により戦中・戦後に大増産されたが、昭和30年代に地下350メートルまで掘り尽くし、昭和38年にこの立坑を完成させて平成6年まで深部を掘り続けた(概略)。

②旧北炭赤間炭鉱選炭工場
旧北炭赤間炭鉱選炭工場、右手がズリ山(九州でいうボタ山)。保存されている。

③旧豊里炭鉱選炭場
旧豊里炭鉱選炭場。

④同選炭場
同選炭場。

⑤同選炭場西側と赤平市街
同選炭場西側と赤平市街。

⑥同選炭場沈殿池、中心部は現在祠
同選炭場沈殿地、中心部は現在 祠になっている。

⑦茂尻栄町老人会館
茂尻栄町老人会館。

⑧茂尻栄町旧炭鉱住宅地枯アジサイ
同栄町の旧炭鉱住宅地の枯アジサイ。

⑨茂尻春日町旧炭鉱住宅
茂尻春日町旧炭鉱住宅、これは2階建て4世帯/棟なので比較的新しいタイプのようだ。

⑩旧三菱美唄炭鉱立て坑巻き揚げやぐら
旧三菱美唄炭鉱立て坑巻き揚げやぐら。「炭坑メモリアル森林公園」内に保存されている、経産省「近代化産業遺産」。

⑪旧三菱美唄炭鉱原炭ポケット
旧三菱美唄炭鉱原炭ポケット、同森林公園内。上部はすり鉢状になっているとのこと。

⑫北菱美唄炭鉱(旧三菱美唄?)石垣
北菱美唄炭鉱(旧三菱美唄?)石垣。

⑬同崩壊寸前の橋
同崩壊寸前の橋。

⑭美唄の元商店街
美唄の元商店街。

⑮三井美唄炭鉱第二坑原炭ポケット
旧三井美唄炭鉱第二坑原炭ポケット。

⑯美唄市落合旧栄小学校
美唄市落合旧栄小学校、現在は芸術文化交流施設「アルテピアッツァ美唄」。1959年(昭和34年)ピーク時は生徒数1,250人30学級だったという。

歌志内<或日或処②-16>  

歌志内市は、いまでは全国で一番人口の少ない(4千人)市だが、かつて、とりわけ敗戦後から60年代初頭までは4万人の人口を有し、石狩炭田、その主要な地帯 空知のなかの大規模炭鉱の一角を占めていた。現在も、市内東光地区では露天掘りが行われており、運搬のダンプがひっきりなしに行き交っている。
「ペンケ・ウタシナイ」とはアイヌ語で「上の・砂(浜)のある川」という意味だそうで、下流の「砂川」と意味は同じだ。


①歌志内市街
旧歌志内駅(現在は郵便局)前。

②歌志内市中村チロルの湯横
かつての「住友歌志内炭鉱」の坑口から湧き出る温泉を利用した「チロルの湯」があり、その横の閉鎖された坑口に向かうとすぐエゾジカに出会った。クマでなくてよかったが。

③歌志内市中村チロルの湯横住友歌志内炭鉱密閉坑口
その密閉坑口のひとつ。

④-2旧北炭空知炭鉱倶楽部
旧北炭空知炭鉱倶楽部(現在は「こもれびの杜記念館)、北炭の接待用の施設だった。

⑤歌志内市東光空知炭礦立て坑
市内東光にある空知炭礦旧立て坑。現在は使われていないが、新しく見える(1960年完成)。

⑥同立て坑北側
同立て坑北側は「藪漕ぎ」しなければと考えていたら、整地中だった。

⑦同立て坑北側廃坑口
整地中の一角に、国土地理院の地図に「廃坑」と記された穴がぽっかりと開いていて、水が音をたてて流れ落ちていた。

⑧同立て坑北側
同立て坑の北側。

⑨歌志内市中心部
歌志内中心部。町の奥、右へは東光で道路は行き止まりだが、露天掘りのダンプが次々と出てくる(砂川の火力発電所に供給)。左へはトンネルを抜けて赤平へ出る。

⑩旧上歌会館舞台部分
旧上歌会館の舞台部分。「悲別ロマン座」としてTV人気に沸いたときもあったが、いまは面影もない。

⑪旧上住友歌志内砿第一立て坑櫓
旧上歌会館の向かいに「旧住友上歌志内炭砿第一立て坑櫓」。後述する「住友赤平炭鉱立て坑やぐら」とは地下の坑道でつながっている。

夕張<或日或処②-15>  

札幌に住む従弟と30年ぶりに一杯飲もうと、11/13札幌に行った。北海道は暖かく、釧路以外は初雪が記録的におくれているというので、持参のダウンが荷物になってしまった。札幌市内にもクマが出没しているので、鈴も買って。
そのあと、レンタカーで夕張、歌志内、赤平、美唄と旧産炭地をたずねた。高校を卒業した直後、わたしは四国を旅していたら歌志内の叔父がガス爆発で亡くなったという、当時は携帯などなかったので電話をしたのだろうが、四国から歌志内までは行けないのでそのまま放浪を楽しんだ。それが、ずっと魚の骨のごとくノドにさわっていたので、この際行ってみようと思った。歌志内も含め、産炭地は札幌から意外と近いことに驚いた。まずは好天のうちに11/16に帰宅したら、11/18きょう札幌に初雪=吹雪になっていた。

※『そらち炭鉱遺産散歩』(北海道新聞空知「炭鉱」取材班、写真:風間健介)、『明るい炭鉱』(吉岡宏高、創元社)、WEB「歌志内・歌神さんぽ」など を参考にさせていただきました。

①旧北炭鹿ノ谷俱楽部
旧北炭鹿ノ谷俱楽部(北炭帝国の迎賓館)。

②
同倶楽部(現「夕張鹿鳴館」)展示。

③
同展示。

④-1
同庭園。「日本庭園」と表現しているものもあるが、庭石があるわけでもなく、そのまま山に連なっているのは北海道的だ。

④-2
重要な会議が行われた部屋であろうか。

⑤-1
同展示。炭鉱労働者の危険な労働の背後に、蓄積された富、そのごく一部~というわけだ。

⑤-2
同倶楽部への橋、1937年(昭和12年)竣工の「花園橋」の現在。

⑥
旧天龍坑入口。

⑦
同前、「採炭救国坑夫の像」(冬場の半年はこうして梱包しているのか?)。

⑧石炭大露頭
同像横の「石炭大露頭」、この発見から北海道の採炭が始まり、日中・アジア太平洋戦争を支え、戦後の復興からさらに高度経済成長の初期までを支えてきた。

⑨
エアコンプレッサーだと思うが、どのような役割を担ったのかは不明。

⑩炭鉱生活館冬期休業中
「炭鉱生活館」、冬期の半年は休業だった。

⑪
夕張のスキー場。

⑫旧夕張市民会館
旧夕張市民会館。

⑬
市街から少し登ると大崩落。さらに峠へ登ると、雪が積もっていて、濃霧だった。

箱根から伊豆へ<或日或処②-14>  

箱根の平賀敬美術館は初めて行った。管理している幸夫人と話していたら、むかし世話になった彫刻家のA氏が数時間前までいたとのこと、不思議な縁だった。松崎の長八美術館はお気に入りの場所だ、次回は松崎の町も歩いてなまこ壁の家を見て歩こう。

①横浜から
横浜青葉区。

②横浜から2
東名横浜青葉IC。

③箱根へ
箱根早雲寺。

④箱根
箱根。

⑤箱根2
箱根。

⑥平賀敬美術館2
平賀敬美術館。初期の作品は、松本俊介に影響されている。

⑦平賀敬美術館3
平賀敬美術館。

⑧平賀敬美術館4
同美術館玄関。家風呂風だが、温泉風呂にも入れる。

⑨平賀敬美術館5
同美術館。幸夫人が、「やれるところまでは私が管理しますが…」。

⑩平賀敬美術館6
同美術館。

⑪箱根3
箱根。

⑫箱根4
湯本、早川。

⑬長八美術館1
お気に入り、松崎のの長八美術館、石山修武氏設計。

⑭長八美術館2
達磨像。入江長八は江戸の左官職人であったが、絵画、彫刻にもすぐれた漆喰芸術家であった。

⑮長八美術館3
「ランプ掛の龍」。

⑯長八美術館4
同美術館側面のなまこ壁。

⑰旧岩科小学校
旧岩科小学校、長八美術館近く。

⑱熱海
冷川峠を越えて、熱海。

横浜北部 新横浜公園周辺<或日或処②-13>  

鶴見川中流域が下流域へと様相を変えていくところに「日産スタジアム」があり、その管理下に新横浜公園がある。スケボーの練習場もあり、若者たちが毎日ストイックともいえる練習を続けている。公園と鶴見川のあいだには人工池がつくられ野鳥が集まり始めている、その池と川の間のアシやセイタカアワダチソウの群生した地帯が絶滅危惧種「ヨコハマナガゴミムシ」のわずかに残った棲息地だ。川の北側には、「横浜環状北線」(第三京浜から湾岸へのバイパス、ほとんどはトンネルになる)が建設中である。スタジアムと公園を中心にした広大な地域は、実は鶴見川氾濫時の遊水池になっている。

①

道路の下にスケボー(インライン・スケートもいる)の練習場、日産スタジアム向かい道路下。

②
お互いほとんどしゃべらず、止まっているときは次の技について考えているのだろう。

③
向こうが鶴見川と横浜環状北線工事現場。

④
野球人気は下降傾向だが、草野球独特の明るい雰囲気はいい。

⑤
右が日産スタジアム、真ん中にプリンスホテル、左にゴイサギ2羽、その土手の向こうがレッドデータ・ゾーンで鶴見川が流れる。

⑥
橋梁工事用の「トラス桁」というものらしい、巨大。

⑦
畑、小工場、家屋はすっかり立ち退いて工事現場と化している、亀甲(かめのこ)橋横。

⑧
同工事現場、この辺から地下にもぐるようだ?大橋ジャンクションをみると、狭い範囲でぐるんぐるんともぐる。

⑩
排気塔建設中、上記よりやや下流。

⑫
橋脚建設中。

⑬
手前に民家があったのだが立ち退いた。後部の穴が何なのか、近所で聞き回ったが分からなかった。新羽高校下。

⑭
ホームレス住居、真ん中のアルミ缶が貴重な現金収入になる。

⑮
港北インター横のラブホ跡。

⑯
鶴見川横の工場、右の山は後北条氏の小机城址。

⑰
スケボー練習場の上。

⑱
公園東側、ここも遊水池として機能する。

⑲
日産スタジアム下の駐車場。

㉑
新横浜公園内の公園。

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

QRコード

ご意見・ご感想などこちらから

カウンター