写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

アーチの街 有楽町新橋<東京TOKYO-16>  

新橋はともかく?有楽町はおしゃれな街に変貌した。敗戦直後のバラック商店街の名残を残した街並みも、いまや再開発を遂げてピカピカ光っている。日劇も新聞社もなくなって、小ぎれいこの上ない。敗戦後70年になろうとするのだから、当然と言えば当然なのだが…。
今回は有楽町から新橋まで、JRの高架下を歩いてみた。がっしりとしたアーチはいまも健在で、アーチの入口部は狭いが中はけっこう大きく、食堂や事務所などに利用されている。

※1は、有楽町駅横の大衆酒場、夜勤後によく飲みに行った。ここは敗戦直後、蚕棚の「簡易宿泊所」になっていて、少年時代のEHエリックと岡田真澄兄弟が引揚げてきて寝泊まりしたところ。
※2は、その酒場の中2階部の現在(半地下部が同スペースある)。

①-2有楽町

①-3帝国ホテル前

②有楽町

③有楽町

④-1日の基
※1

④-2蚕棚2階
※2

④有楽町

⑤新橋

⑥-1有楽町

⑥-2有楽町

⑥-3有楽町

⑦有楽町

⑧有楽町

⑨-1有楽町

⑨-2新橋

⑩-1新橋

⑩-2新橋

⑩-3新橋

⑩有楽町

⑫-1有楽町

⑫-2有楽町

⑫-3新橋

⑭新橋


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T先生を語る会 新宿<東京TOKYO-15>  

昨日(1/19)新宿西口で、「東松先生を語る会」にかつての生徒8人が集まった。18:00からなので、四谷から新宿までを歩いてみた。歩いてみた、とは言っても距離とすればいくらもない、新宿通りを行けば2.5キロ40分ぐらいなものだろうか。まだ先週に降った雪が残るが、東京のなかではあまり変わっていない街並みであることに驚いた、「再開発」が東京オリンピック(1964年)時にあらかた終えたからなのだろう。周辺部、西新宿は淀橋浄水場が都庁と西口公園になり、百人町・大久保はコリアタウンになったのとは大違いだ。
さて「語る会」はというと、写真論を闘わせる年齢をとっくに過ぎたからか、懐かしい思い出話に赤ワインが次々と飲み干され大きく足が出た。でもおいしく飲んだからいいでしょう。先生はおそらく「(君たち)あまいな」と笑っているでしょう。


①四谷駅
四谷駅丸の内線側。

②四谷見附交差点
四谷見附交差点。

③若葉町
若葉町。

④四谷4丁目
四谷4丁目。

⑥御苑
新宿御苑。

⑦伊勢丹
伊勢丹本店。

⑨要町
要町。喫茶店前で塗装中、40キロあるという。

⑩要町
要町。

⑪-1要町
要町。

⑫-1靖国通り
靖国通り。

⑫-2丸の内線新宿駅
丸の内線新宿駅。

⑬小田急デパート屋上
小田急デパート屋上。

大雪 東方へ<田園の憂鬱③-1>  

きょう(2013/1/14)関東一円大雪だったが、横浜は朝は雨で車で出かけるかどうか迷っているうちに雪にかわった。チロリアン・シューズで東方(ひがしかた)に向かった、ここは周囲が宅地化されるなかで神奈川県内でも有数の農業地帯だ(葉物が多い)。雪は次第に強くなってきた。‎
27年前に横浜に越してきたときの3月が大雪だった、その後いちど大雪で高圧線に積もった雪の重みで断線し停電したこともある。それ以来の大雪、TVで見るかぎり都心部より多かった。


①池辺冨士
池辺(いこのべ)冨士。

②東方公園水飲み
東方公園水飲み。

③東方
東方。

④東方
東方。

⑤東方
東方。

⑥東方
東方。

⑦東方
池辺。

⑧東方
東方。

⑨桜並木
桜並木。

⑩仲町台
仲町台。

⑪仲町台駅バス停
仲町台バス停。

⑫バスより大丸
大丸。

⑬荏田南
荏田南。右折車線で立ち往生し、放棄。

⑭荏田東
荏田東。チェーンを付け終わり応援を呼んだそうです、お疲れさまです。

明大生田2013年現在<アジア太平洋戦争遺跡遺品③準備17>  

登戸研究所跡①-1参考:<アジア太平洋戦争遺跡遺品①-1>
2007年から撮り続けてきた<アジア太平洋戦争遺跡遺品①~③>だが、すでに6年が経とうとしている。なかにはすでに解体・破壊されたものもあり、長く続ければ良いというものではない、ここいらで一区切りをつけて①~③をひとつの写真集としてまとめようと思う。
しかしそれは簡単なことではなく、6年間を経た現在もう一度とらえ返す必要のものもあるし、撮り落としたものもあるやで、今回は①-1登戸研究所に何度目かの撮影に行くことになった。鉄筋コンクリート造りの36号棟が2010年から「平和教育登戸研究所資料館」としてオープンしたが、最後に残った木造建物2棟(5号棟、26号棟)は2011年に解体された。現存するものは、36号棟、弾薬庫、動物慰霊碑、消火栓(2個所)、弥心神社となるか、各種資料は「資料館」に保管され公開されている。


①生田小
「平和教育登戸研究所資料館」(36号棟)。向こうの高圧線引込み線は、登戸研究所で「光線兵器」開発などのために特殊な形をしたものだという。

②生田小
5号棟(解体)、偽札印刷工場、その役割については~3/2(水~土の10時~16時)まで報告会をやっているようです。

③生田小
「資料館」開設、木造建物解体で、生田キャンパスは大学キャンパスとして再度造り替えられている。明大は中野駅前の一等地にも進出し、こちらは「陸軍中野学校」跡地なので、「うちはなんで曰く付きばっかりなんだ?」という声も明大関係者から聞いた。

④生田小
こちらも解体中。

⑤生田小
工事関係者の事務所(ここがかつての5号棟があったところ)。

⑦生田小
ここは近代的なキャンパスにはやや異質なヒマラヤスギなどの森、かつての研究所本部が置かれていたところの痕跡。

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西隣の中学校も、かつては研究所だった(真ん中は大きな窪地で、現在の「資料館」横からの道路でつながっていたようだ。

町田市 三輪<或日或処②-17>  

休み疲れ?いやいや持病の腰痛が悪化して…そろそろと、近場の三輪を散歩しながら腰の筋肉をほぐしつつ鍛えつつ。三輪というのは町田市のどはずれ(町田市そのものが東京から出っ張っているが)の徐々に宅地化しつつある山のなかです。三輪といえば奈良「山辺の道」ですよね、ここも山(丘)のなかにいくつも古いお寺や神社があり、そのうちの一つ椙山神社が奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)からご祭神(三輪山)を賜ったことから、三輪となったという。
横浜(三輪は東京ですが)もこれからが寒さ本番ですが、冬の日射しを受けて春を待つ三輪を今年も散策してみました(1/6本日)。


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