写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

春の房総嶺岡林道<或日或処②-25>  

1月末に続き2/26、またまた房総南のサイクリング。浜金谷から千倉へ、太海から嶺岡林道に入り房総の春を楽しんできました。しかし、スギ花粉症大爆発寸前です!

①京浜工業地帯
京浜工業地帯方面の夜明け。

②木更津君津
木更津方面の夜明け。

③館山
館山、菜の花。

④館山造船所
館山の造船所。

⑤館山自衛隊ヘリ
館山自衛隊のヘリ部隊。

⑥館山漁具
地形を生かした漁具置き場、館山。

⑦千倉くじらたれ
館山から千倉の間の名産品は「くじらたれ」素朴な味が旨い。調査捕鯨枠で、和田浦で年に26頭捕っている。

⑧峰山林道名残雪
?1ヶ月半前の雪か。

⑨峯山林道凍結
嶺岡林道は何個所か凍結していたが、前回ほどではなく轍のあとは走れた。

⑩スギ花粉
スギ花粉が歓迎してくれます!?

⑪ソテツ
ソテツも栽培している。

⑫やまざくら
山桜か?満開でした、嶺岡林道。

⑬隠し田?
嶺岡林道の尾根道に隠し田?

⑭背中
下っていくと、背中の小さいおばあさんが野良仕事「日向ぼっこしてるだけだぁ」と。

⑮砂利
山の半分が削られている、勝山。

⑯砂利2
隣の山もこの通り、勝山。

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漁村らしい屋根、保田。

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鳩の街通り商店街 向島<東京TOKYO-20>  

大島から小松川、平井、亀戸と歩いてスカイツリーの横を通って、鳩の街通り商店街へ行った。この辺は何回か歩いているところだが、この商店街は初めてだ。小松菜の小松川、香取神社を中心に江戸末期から明治に盛んに栽培された「亀戸大根」と、この辺は江戸・東京を支える農業地帯だったが、大正に入り急速に宅地化した。
しかし、1923年(大正12年)の大震災と1945年3月10日の東京大空襲によって焼け野原と化したところでもある。鳩の街の北東1キロほどのところが永井荷風『濹東綺譚』に描かれた寺島町(玉ノ井)で、敗戦後ここの業者が鳩の街一角に売買春の店を再建した。1957年施行された売春防止法以降は、普通の住宅と商店街になったというので、ほんの12年ほどが特殊な地帯だったことになる。

※札幌の開拓の歴史を紐解くと、ごく初期にこうした施設が公的に建設されている。石光真清の手記(中公文庫)を読むと、中国東北部(のちの「満州」)にも売買春の業者は真っ先に進出していることが分かる…日本的なことなのか?

②亀戸香取神社

④ウメ

⑤ヤマブキ

⑥鳩の街通り商店街入口

⑦商店街通り

⑧同

⑨旧「鳩の街」名残

⑩同

⑪スカイツリーからの観光客
昼休み時だったが、自転車こそひんぱんに行き来するが人通りは少なかった。裏通りには昔の名残をとどめた家が何軒か残っているが、スカイツリーからの観光客はなんの関心も示さず「百花園」方向に通り過ぎていく。

東京都慰霊堂 両国<東京TOKYO-19>  

番外<熊谷~横浜サイクリングその②北千住から>をご参照ください。
慰霊堂の建つ公園にはなんどもきたことがあるが、堂内には入らなかった、なんか抹香くさく敬遠していた。この慰霊堂は今年9/1で90年となる関東大震災で亡くなられた方58,000人を慰霊するために造られたが、その22年後の東京大空襲の犠牲者105,000人をともに慰霊することとなった。裏側から見ると三重の塔とわかる納骨堂がある。毎年、3/10(120余波の東京大空襲のうち大きな被害をもたらした空襲)と9/1に法要が営まれる。
一昨日2/15、この近所に住む友人とコーヒーを飲んで店を出ると雨、寒気が入ったのかとても寒くなっていた。


①両国界隈
両国には超ビッグサイズの洋服を売っている店があった、そこから撮影するとお相撲さんが写りこむ風情のある町だ。

②慰霊堂
話を聞いていると「合格祈願」にきたようだ。

③石川光陽
入ると左手に石川光陽氏の東京空襲の貴重な写真が飾られている。警視庁所属の警察官・写真家が警視総監直々の命令で撮影した東京の惨状だ。進駐軍の「ネガの提出」要求を毅然と拒んだ(庭に穴を掘って埋めたという話もある)。

④柱
撮影して帰宅後すぐに朝日新聞夕刊が届き、見ると、8面にここの写真が掲載されていた。若干引用「内部の構成は西洋の教会を思わせる一方、天井は書院造り、柱は禅宗様、入口には唐破風と、多様な建築様式が用いられている」。建築家伊東忠太設計。

⑤天井
天井。

⑥祭壇側から
祭壇側から入口方向。

⑦津波
東京の大火災に目をうばわれがちだが、相模湾を震源としていたため、湘南、小田原方面には大きな津波が押し寄せた。

⑨参拝
ピンクの雨合羽を着たかくしゃくとした老人がお参りにきた。

⑧12階
右手には徳永柳洲と一門が描いた絵が展示されている。浅草の12階が途中から折れて倒壊した。

⑩蝋燭
わたしも蝋燭を灯す。

佃煮香る 佃島<東京TOKYO-18>  

築地から月島へと隅田川にかかる「勝鬨橋」というと、日露戦争の戦勝記念に建造したという先入観がなぜかあったのだが(「資料館」にも何回か行ったのだが)バツでした。戦勝記念には渡し船を開通させたのであって、橋は1940年=「紀元(皇紀)2600年」を記念して建造したのだそうだ。
わたしが小学校の頃はまだ開閉していて、社会科見学で見に行くことになった。たぶん先生が下見をして、担当者にも念を押して、その時間目指して都電11番?に乗って行った。わたしもみんなも興奮して開くのを待った・・・しかし現実はきびしくて、いくら待っても開かなかった、ただの橋だ。
その向こうが月島、佃島、晴海と、なんか苦い思い出の街(晴海は街という感じではなかったが)となってしまった。


①佃島へかちどき橋

②佃島へ隅田川

③佃島へ月島路地

④佃島神社

⑤佃島御輿

⑥佃島高層マンション旧石川島

⑦同オブジェ

⑧佃島住吉神社

⑨佃島ガス工事

⑩佃島獅子お頭

⑪佃島鳥居

⑫佃島葦

カラスミの町 月島<東京TOKYO-17>  

ウォーターフロントという言葉も、最近はあまり聞かなくなってきたほどに品川から田町、お台場、豊洲、小松川の方まですっかり「再開発」されてしまっている。旧市街と新市街とを棲み分けて、というような発想は少なくとも東京にはないようで、そこが無秩序で海外から来たひとには面白いらしいのだが。大都会のなかに、点となったあるいは標本化してしまった古いものを探しあてなければならないのだから不幸だ。
いま、かなり他所よりも遅れたかたちで、月島あたりは「再開発」という名の高層マンション化が進んでいる。家と家との間の日当たりの悪いところに、植木鉢をいくつも置いて、手塩にかけて花を咲かせるという光景はもうほとんど見られなくなっている。


①月島路地

②月島カラスミ

③月島町並

④月島裏側

⑤月島はんこ屋

⑥月島再開発

⑦月島路地2

⑧月島燃料漏れ

⑨月島空き地

⑩月島工事中

⑪月島焼そば屋

⑫月島高層マンション

⑬月島高層マンション2

南房総暖冬記<或日或処②-20>  

この時季は房総を自転車で走る。横浜も暖かいが、伊豆とか房総はもっと暖かい南国!浜金谷から館山、洲崎、布良、千倉、太海から県道89号に入り、途中から嶺岡林道に登り凍結した道も越えて浜金谷まで。
海岸に沿った道路には元禄の大津波がきたであろう水位が記されている、ちょうど自転車に乗った目線ぐらいにあるのでとても気になる。3.11以降、茨城、千葉の地震も続いているのだから他人事ではない。18世紀、19世紀、20世紀と大きな地震に遭って隆起してきた半島でもあるのだから。わたしの祖父も、関東大震災時の北条市(現・館山市)各町村の被災者の克明な記録を残していたので、先年、市の博物館に寄贈した。


①-1パチンコ屋
今でも「くじらのタレ」を売っていた。和田浦で捕っているということだ、これ旨いです。

①-2イワノリ、ハバノリ
岩ノリ、左はハバノリ。

②平砂浦
大地震で現れた砂丘で、畑をむしばむので江戸時代から対策に汲々としてきた。

③平砂浦
防砂・防風の松林も「マツクイムシ」の大被害にあっている。

④平砂浦
同砂丘。

⑤布良
岩ノリ採り。

⑥-1布良
発砲スチロール。

⑥-2布良
ここは青木繁「海の幸」の舞台だ。

⑥-4布良
同。

⑦-1流木
布良先の海岸で。

⑦-2海
同海岸、向こうは伊豆大島。

⑦-3ナバナ
菜花の収穫。

⑧-1岩
崩落危険。

⑧-3神社
お社。

⑧-2セグロイワシ
セグロイワシ。

⑨乾燥ナマコ
なまこの乾燥、アップには耐えられません。

⑩花畑
花まっさかり。

⑪-2コーヒー
おいしいコーヒー200円、「嶺岡林道は凍結していないかな」と心配してくれた。
※2/19追記・・・後ろの写真は「仙台四郎」、商売繁盛の御利益があるという話でしたが一体何者?

⑫-1アワビ養殖
アワビ養殖場。

⑪老人会
こういうスポーツもいいネ。

⑫-2Kくん前
友人(旅行中で不在)宅前。

⑫-3漁業組合
旧漁業組合。

⑬嶺岡林道
嶺岡林道は一部凍結していた、端にイノシシの足跡。

⑭岩2
岩井への下りで。

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