写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

広場の孤独 たまプラーザ<田園の憂鬱③-12>  

東急田園都市線はいまや東西線と並んで「混雑度」№1or2、うっかり足をあげたら下すところがない。その東急がもっとも力を入れている駅が「たまプラーザ」駅、地名は「美しが丘」。いちおう高級住宅地で、じっさい家を買うとなればとんでもなく高い。しかし、所詮は新興の住宅地であるからお屋敷というほどには広くない、が高級な家具を買う経済力はある(もちろん無い人もいるが)、そこで意外と良い家具が粗大ごみとして捨てられる穴場でもある。

1-たまプラーザ

2-たまプラーザ

3-たまプラーザ

4-たまプラーザ

5-たまプラーザ

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ダメ押し池袋生活 立教裏表<東京TOKYO-31>  

先週撮影したものですが、やっぱり立教の近辺を出さないと池袋は終わらないという感じがして「ダメ押し」しました。
アルミ空き缶回収は立教裏手で毎日3時間トラックが待ち受けていて、トラック1~2杯持っていきます。横浜でも、都内でもあちこちで行われていますが、HLの人たちの唯一の現金収入源になっている。この人は3袋計20キロで、100円/㎏なので2,000円というところ、多い人は7袋ぐらい持ってくる。毎日収集できるわけではないし、リサイクル体制ができあがっているのでそこら辺に落ちているわけでもない。持ってきた人も、自分で収集したようでもないので、いろいろ仕組みがあるようだが、いらぬ詮索はよそう。池袋社会学。


①ダメ押し

②ダメ押し

③ダメ押し

④ダメ押し

⑤ダメ押し

⑥ダメ押し

⑦ダメ押し

⑧ダメ押し

⑨ダメ押し

⑩ダメ押し

⑪ダメ押し

⑫ダメ押し

⑬ダメ押し

⑭ダメ押し

写真展<はなおか あいおい>2011-2012再録  

写真展<はなおか あいおい>(2011-2012撮影)は、2013年6月15日~7月14日の1ヵ月間、ジュンク堂池袋3階文芸書売り場の壁面をお借りして展示いたしました。ジュンク堂関係者の皆さま、見に来て下さった皆さま、見て下さったジュンク堂お客様の方々、まことに有難うございました。再録の写真は、すでに本blogに載っているものがほとんどですが、写真展に向けて再度取捨選択し編集したものです。

はなおか あいおい 渋谷秀雄写真集成『林檎園戦争』より
1941年に日中戦争から太平洋戦争へと戦線は拡大され、物資も労働力も極端に不足していった。
1942年東条内閣は財界の要請も受けつつ「華人労務者内地移入に関スル件」を閣議決定し、1944年に中国人の本格的な強制連行・強制労働を開始した。計画的に一定の地域を包囲して、徐々に包囲を狭めながら労働力となる男性を捕まえ、38,935人を「内地」の鉱山・発電所・建設現場・工場など135事業所に配分して強制労働させていた。
美しいひびきをもつ二つの町は、現在ではごく平凡な町だが、135事業所のひとつを持ち、「花岡事件」と「相生事件」の舞台となった。事件の60数年後に訪れて記録した。
はなおか
秋田県・花岡鉱山では、986人の中国人が鹿島組のもとで花岡川の「付け替え工事」に従事させられていた。わずかな食糧と重労働、虐待による死者が相次ぎ(137人)、6月30日(7/1説あり)深夜に蜂起(中国人「軍需係」1人、と日本人補導員4人を殺害)したが失敗し、山狩りで全員がつかまった。捕縛とその後の拷問により300人近くが殺害され、総計419人/986人が死亡した。残された者も、骨と皮だけの悲惨な状況だった。10月に米軍が大館に進駐し、餓死寸前の中国人たちと大量の人骨が発見され、調査が開始され、世界中に報道された。
1947年11月から横浜BC級戦犯裁判法廷(現横浜地裁)で本事件が裁かれ、翌年3月に3名が絞首刑、1名が終身刑、2名が20年の有期刑となったが、のちに減刑、最終的には釈放された。
※「花岡事件」は2011年10月撮影。野添憲治氏、清水弟氏、石飛仁氏の著作、花岡事件関連のWEBなどを参考にさせていただきました。
※「相生事件」は2012年5月と10月撮影。こちまさこ氏『はりま』(北星社)を参考にさせていただきました。こちらは情報が少ないですが。

①花岡川1中国人の血と汗と涙が流れる人工河川「花岡川」約1.5キロ

③-1花岡川、大森川合流付近大森川との合流部近く

⑤信正寺「七ッ館弔魂碑」信正寺墓地内にある「七ッ館弔魂碑」、本来の場所は少し南の現・公園内。1944年5月、七ツ館坑の乱掘により上を流れる旧花岡川の底が抜けた落盤事故が発生し、朝鮮人11人、日本人11人が生き埋めとなった。地下からの通信音もあったが、折からの増産のために救出をせずに埋め戻してしまった。そして、旧花岡川の流れを変えて新花岡川を造る掘削工事を秋田県から請け負ったのが鹿島組であり、「花岡事件」の出発点も人間を人間扱いしない「戦争優先」から始まっている

⑧小坂鉄道大館駅前跡小坂鉄道大館駅前跡。中国で捕まった中国人は、奴隷船のように下関に運ばれ、ここから4日間弁当一個のみ水も与えられずすし詰めで大館まで運ばれ、小坂鉄道に乗り換え花岡に着いた(小坂鉄道は狭々軌)

⑥黒鉱多くの(約500人)中国人がこもった「獅子ヶ森(標高225m)」下の「郷土博物館」展示の「黒鉱」

④岸信介 1942年7月、商工相岸信介が花岡堂屋敷坑を訪れ生産(主に銅)を鼓舞した(「花岡平和記念館」展示写真より)

⑦-1信正寺友子制度墓石
「花岡平和記念館」を訪れた人たちが、信正寺の友子(ともこ。鉱山内の親分子分の関係、肉親以上の信頼関係だったが産業報国会に取って代わられた)の墓を見学していた

⑪釈迦内鉱跡釈迦内鉱山跡。この横も中国人たちが逃げたであろう。水上勉戯曲「釈迦内柩唄」は花岡事件を描いている

⑫獅子ヶ森頂上
獅子ヶ森頂上は「元は岩山だった」というのを偲ばせる岩だけの狭いところだった。風雨が強く、崖下に落ちそうな場所だった。向こうは大館市街

⑮獅子ヶ森大館駅から見ると獅子ヶ森は目と鼻の先だ。花岡というのはなぜか山奥だと、わたしは考えていたのだが、行ってみると秋田県第二の都市・大館のすぐ北側だった(現在では大館市に組み込まれている)

⑭共楽館町中には娯楽(演芸、映画など)を楽しむための「共楽館」があった。その前の広場に、蜂起に失敗した中国人が三日間さらされ、中では拷問が行われた。ここでおよそ100人が亡くなり、最終的に986人中の418人が亡くなった。現在は体育館がある

③信正寺イチョウ曹洞宗 信正寺の樹齢650年のイチョウはすべてを目撃していた

6257151376_4d0fa62203_z[1]信正寺裏手の畑。蜂起前の遺体も後の遺体も、米軍立会いの下に火葬され、遺骨は信正寺が預かった。その後、遺骨発掘・送還運動により中国に送還された

⑱中国殉難士慰霊之碑裏側花岡川上流の「十瀬野墓地(公園)」入口に建つ「中国殉難烈士慰霊之碑」。その裏側には犠牲者の名が刻まれている

⑦花岡鉱山旧繁華街黒鉱から銅、鉛、亜鉛などを採掘していた花岡鉱山も、1994年松峰(花岡南)坑の閉山。かつての賑わいの跡

⑩沈殿池堤防滝ノ沢第二ダム、その向こうの沈殿池の底に中国人たちが収容された「中山寮」が眠っている(清水弟氏の「花岡事件ノート」には解体されて土台のみ、という記述がある)。孫文にちなんでつけられた名前だが、板きれ一枚の小屋だ

②花岡川いまは両岸に桜が植えられている



あいおい
兵庫県・相生町は1942年には相生市(それまでは「おお」と呼ばれていた:古くは「大浦」だったため)になり、播磨造船の企業城下町となっていた。学徒、女子、朝鮮人、高松の受刑者3,000人を動員したがなお労働力が不足(同型の貨物船生産に特化していた)、中国人490人を連行・就労させた(3人が輸送船内で死亡、就労後22人が「病死」)。487人の中国人は、造船所の奥まった「日の浦工場」で作業していたため、市民はもちろん工員ですら知らない者が多かった。
戦後、中国人たちは戦勝国民として市内に出没、9月13日夜、皆勤橋上にいた3人の「華人労務者」を、「造船報国隊」(動員された受刑者)武田安吉と鶴岡良吉が日本刀と鳶口で殺害し海に投棄した。12月に武田が懲役10年、鶴岡が同5年となったが、刑に服した様子がない。ばかりか、市民はせいぜいが「朝鮮人どうしの喧嘩」「朝鮮人とやくざの喧嘩」としか認識せず、ほぼ闇へと消えた。

①山陽本線小橋脚、相生西
山陽本線の橋脚、相生駅西

#12885;相生町
相生町。ここも崖直下

②相生市内垣内
市内垣内のお地蔵様

④旧播磨劇場横
旧「播磨劇場」横手の4軒長屋。佐多稲子はこの辺に住んでいたと思われる、小説に出てくる魚屋、呉服屋も残っている(造船所は1945年7月の空襲で死傷者を多数出している)

⑭旭地区
旭、市の中心部にも古い家が多く残っている

皆勤橋写真小
「皆勤橋」跡に建つ、写真と由来

③ペーロン練習中、相生湾皆勤橋跡近く
ペーロン練習中、皆勤橋跡近く。小さな造船所から戦争とともに巨大な造船会社に育っていく過程で、長崎(三菱造船)から多くの技術者、労働者たちがやってきた(「素足の娘」)。ペーロンも、長崎に由来する。

⑭藤戸トンネル
藤戸トンネル、事件当時は別の古いトンネルでつながっていた

⑰日之浦神社
日之浦神社、華労宿舎・職場の北側、藤戸トンネル南

⑮華労宿舎跡地
華労宿舎跡地、行き止まりの谷戸を朝鮮人労働者が発破をかけてひろげた

⑯華労職場跡地
華労職場跡地、左奥の鋳物工場は当時の建物か?

⑩播磨劇場跡の外壁
相生地区の「播磨劇場」跡の外壁。かつてはこの地区に映画館が3軒あったという。この周辺は、造船報国隊くずれのやくざらが縄張りにしていた

⑤朝鮮人労働者を野焼きした場所近く
佐方川上流。戦時中、朝鮮人労働者を野焼きしたところと言われた場所近く

⑬旭への途中
旭(現在の中心部)への途中。崖崩れ防止の工事中

⑲陸(くが)埋葬地すぐ南
陸(くが)、遺骨の仮埋葬地となった墓地のすぐ南側

⑧相生町
旧「水月旅館」、ここも「素足の娘」に出てくる。「この辺一帯だけでも1万人以上の人が住んでいて、小学校も3校あったがいまは1校」と住民の話

⑩造船報国隊職場「松浦工場」跡地
「松浦工場」(造船報国隊職場)跡地

③工和橋
現在の「工和橋」と佐方川、旧工和橋はこの数メートル手前にあった。橋右手の丘にあった宿舎(現在はIHIの寮がある)から「造船報国隊」が毎日隊列をつくって掛け声勇ましく行進し、「松浦工場」で就労した

#12883;中央公園中国機関車
日中国交回復10周年に贈られた中国のジャンボSLが潮風で劣化して、前面のみのモニュメントと化したもの、中央公園

⑥同、山陽自動車道
「朝鮮人労働者を野焼き」場所のすぐ奥、山陽自動車道

撮影を終えて
ふたつの事件の地を辿ってみて、強制連行・強制労働自体が重大な犯罪であることは自明なことですが、他の133事業所においても様々な事件があったであろうと感じました。
1946年3月には、政府がこれら事業所に対して「華人労務者使用」により損害を与えたとして高額の「戦後補償」を支払ったことは、不可解?としか言いようがありません。
                                   2013年6月15日 渋谷 秀雄

池袋生活 自由学園明日館<東京TOKYO-30>  

昨日7/14正午をもって、わたしの写真展『はなおか あいおい』を終えました。6/15からの一ヶ月、ジュンク堂池袋3階に見に来て下さった皆さま有難うございました。戦時中の中国人強制連行・強制労働のもとで起きた二つの事件の舞台、花岡と相生を60数年を経て訪れ記録した37点ですが、近日中に本blogに再録する予定です。
本屋さんの壁面ということで居場所もなく、池袋を中心に撮影していました、そのため行き違いになった方もあり申し訳ありませんでした。そんなわけで「池袋生活+副題」が続いているわけです。今回はジュンク堂前のビックリガードをくぐってすぐの「自由学園 明日館MYONICHIKAN」に行ってきましたので、掲載します。1921年、羽仁吉一・もと子夫妻により創立された女学校で、フランク・ロイド・ライトとその弟子 遠藤新の設計です。建築学的には別の見方があるようですが、ド素人のわたしとしては窓枠などの独特の意匠に目を奪われました、木の生長を表すものかと館員の女性にたずねたら、「音符に見る人もいますし、見る人によって自由なのです」。


①明日館

②明日館

③明日館

④明日館

⑤明日館

⑥明日館

⑦明日館

⑧明日館

⑨明日館

⑩明日館

⑪明日館

⑫明日館

⑬明日館

⑭明日館

池袋生活 梅雨明け<東京TOKYO-29>  

長い梅雨がはじまるかな?と思っていたら、七夕前の7/6に梅雨が明けた。とたんに猛暑、今日もある車を上から撮ろうと20分ぐらい待っていたが来なかった、来ないのはしょうがないのだが後頭部が強い日差しに曝されて、熱中症の恐怖(昔なったことがあるんです)。そのあとも街を歩いてみたが、ほどほどにしないと危ないなと感じた。長くて暑い2013年の夏がはじまった。

①池袋夏

②池袋夏

③池袋夏

④池袋夏

⑤池袋夏

⑥池袋夏

⑦池袋夏

⑧池袋夏

⑨池袋夏

⑩池袋夏

⑪池袋夏

⑫池袋夏

⑬池袋夏

⑭池袋夏

⑮池袋夏

⑯池袋夏

⑰池袋夏

池袋生活 雨<東京TOKYO-28>  

池袋駅を基点にすると東南のはずれにジュンク堂池袋店があり、寺社と墓地のすぐ手前にビジネス街が形成されようとしている。逆に北西に行くと、ほんの狭い範囲だけれども濃厚な「風俗」の街になる。雨の日がふさわしいと思い、大跨線橋(「池袋大橋」)を渡って北西部に行ってみた。
跨線橋の手前には四面塔尊がある、吉宗の時代ここいらは追剥と辻斬りが横行する四辻となっていて、一晩に17人が被害に遭った日を機に鬼子母神に頼んで石塔を建立して慰霊したという。そこから、JRと東武の線路を挟んで池袋の街を遠望できる橋上で写真を撮っていると、背後の男が「あとは向こうの青い服の人に付いて行って…」と、青い服の男も出てきた、これは客引きなんだな。東口サイドで客をつかんで、北西のホテルかソープに送り込む、姑息というか、こういう世界で真っ当さを要求する必要はないんだが。男たちは明らかに、カメラを手にしたぼくを警戒している。


①池袋生活 雨

②池袋生活 雨

④-1池袋生活 雨

⑤池袋生活 雨

⑥池袋生活 雨

⑦池袋生活 雨

⑧池袋生活 雨

⑨池袋生活 雨

⑩池袋生活 雨

雨は、ひとを暗くするのか優しくするのか?

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