写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

立川南北 多摩モノレール<東京TOKYO②-12>  

多摩モノレールで多摩丘陵(多摩センター駅始発)の起伏を越えて、多摩川を北へ渡ると平坦な地形に一変する。立川から終点東大和(上北台駅)にかけては、その平坦な地形を立川飛行場(陸軍→米軍→陸上自衛隊など)と関連工場、研究所など航空産業の一大拠点だった。現在もわずかにのこるが・・・ルーク風の建物は、高松駅脇の旧「立川飛行機」の給水塔だ。ちなみに次の駅が「立飛」。

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玉川上水その1 羽村<東京TOKYO②-11>  

青梅線羽村というと、あとは青梅から奥多摩で東京の奥座敷の入口のようなところだ。江戸の人口が増えて水の供給のために玉川上水が造られ、ことしの6月で360年がたった。ここ羽村に取水口が造られ、丸2年を費やし完成させたのが床右衛門、清右衛門の兄弟…というのは小学校教育で必修だった。ほかでもない、羽村取水口から43キロ東の四谷大木戸まで人力で掘られ、そこから木の水道管で江戸市中に配水、丸ノ内線建設時にわが小学校横からもこの水道管がいっぱい出てきたのだから。現在は、ここから12キロ下流の玉川上水駅のところで途絶えているが、都民の水道として使用されている現役。玉川上水駅以降は、下水を浄化した中水で復元したものが久我山まで残っている。360年前のものがいまも使用されているというのは何かうれしいね。

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取水口。多摩川の「玉石」が随所に使われている。

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多摩川。

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桜が植えられている。

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最近つくられた玉川(のちに姓をもらう)兄弟の像。

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「牛枠」、木と玉石でつくった治水のための道具、これで堰き止めていく。

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「堂坂」、薬師堂があった。埼玉方面と相模をつなぐ要所でもあった。

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羽村駅前は目だった店もないが、再開発計画が進み、反対する家も多いようだ。

Lucky Dragon第五福竜丸 夢の島<アジア太平洋戦争④-8>  

夢の島の「第五福竜丸展示館」に入ると「ムッ」という臭気に飲まれた。船が放つ、潮と太陽と死の灰と都市ゴミの、この船が長年の間に吸ってきた臭気なのだ。1954年3月1日マーシャル諸島でマグロはえ縄漁中の第五福竜丸は、160キロ離れたビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験に遭い、黒い雨ならぬサンゴ礁を巻き上げた「白い雨」をかぶり甲板も体も白いままはえ縄の引き上げ作業をいそぎ、およそ2000~3000ミリシーベルトを浴び内部被ばくをし3月14日に焼津港に寄港し入院した。

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平城晩夏 武蔵国分寺<東京TOKYO②-10>  

古代から中世にかけて武蔵の国の中心は多摩川左岸、現在の府中に国府が置かれた。8世紀、聖武天皇の即位後に飢饉や疫病、大地震が続き、自らの皇子も亡くなり苦悩のすえに、仏教に頼った国家再興を願って全国に国分寺を建立した。武蔵国分寺は現在の府中と西国分寺の間につくられ、江戸期から発掘・研究が進み、平成に入ってからは「僧寺」「尼寺」の概要がさらにはっきりしてきた。まだ部分的な発掘が進むが、一帯は国分寺市の公園になって保存されている。

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江波へ 広島HIROSHIMA<アジア太平洋戦争④-7>  

「元禄十四年(1701)に管絃船が地御前神社から宮島の長浜神社に帰る途中暴風雨に遭遇し、まさに転覆寸前になりました。その時風雨を避けて錨を降ろしていた阿賀村の「岡野喜右衛門」の鯛網船と九州からの帰路、嚴島神社に参拝する江波村の「古川屋伝蔵」は二次災害をかえりみず勇気ある行動で管絃船を救助しました。それ以来阿賀と江波の両村が管絃船を曳航して祭りが行われるようになりました」(宮島観光協会HPより)~その管弦祭が7/13(日)深夜まで、江波に翌日行ったら、地元の漁師さん「お祭りよりも翌日のほうが大変だよ」と片付け・洗濯で大忙しだった。広電江波は真っ直ぐの線路から斜めに引き込み線が入る、帰宅後調べてみると、この斜め部が広大な陸軍射撃場の東南辺にあたる。地図で見ると射撃場に沿った斜めの道路が残っている、ここが被爆者の遺体を埋めたところだった。帰りがけに土橋で入った喫茶店の内装がすごくて驚いたが、ここは地元の文化人が集まる店で有名らしい。この土橋と江波の間に中沢啓治が住んでいたのでこの辺がよく描かれている、なるほど。

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