写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

奥から那覇へ<アジア太平洋戦争④-12>  

本島の西側を走った目からすると東側は明るい感じがした、それは天気が良くなってきただけかもしれないが、ヒカゲヘゴやアダンが多くなってきた。同宿のヤンバルクイナ撮影にきていた人の話だと、ハブはこの時季に活動的になっている、キイチゴの実の下に小鳥を狙っていることが多い、と。関東のように冬枯れから新芽が出るという趣ではないが、濃い緑から明るい緑への木の芽時なのだ。ヘリパット建設中の高江では村民の8年越しの座り込み中、美しい大浦湾では辺野古基地建設に反対する人々がバスで次々と降りてくる。キャンプ・ハンセンからは実弾射撃音だろうか、断続的に聞こえてくる。ここは「戦後70年」とひとくくりにはできないのだ。

奥~那覇へ001
関東ローム層よりも赤い土

奥~那覇へ002
アダン

奥~那覇へ004
2mのハブ 飲んだことある

奥~那覇へ006
沖縄戦後10万余人の収容所があった宜野座 白梅同窓会10数名が見学に来ていた「懐かしい懐かしい」と。前列は語り部をやっている方だろう、次は白梅学徒隊の足跡を訪ねて南部へ行こう

奥~那覇へ007
金武ダム?

奥~那覇へ010
奉安殿 知花

奥~那覇へ011の1
古堅国民学校跡 門柱とデイゴ 空襲と艦砲射撃で校舎は焼失

奥~那覇へ011の2
嘉手納町の西

奥~那覇へ011の3
普天間宮 基地の中にあるか?

奥~那覇へ011の4前田
嘉数高地を探して迷子状態 前田

奥~那覇へ012
嘉数高地のトーチカ 陣地壕と地下でつながっている 嘉数、浦添、安里52高地(シュガーローフ)、真嘉比の激戦のすえ司令本部は、すでに住民の多くを避難させた南部へと「転進」することでいっそう住民を巻き込んでいく

奥~那覇へ013ミーガー
ミーガー 

奥~那覇へ014チヂフチャーガマ
チヂフチャーガマ 

奥~那覇へ015嘉数病院壕
嘉数病院壕

奥~那覇へ017浦添ようどれ
浦添ようどれ 中世琉球王国の陵墓だが艦砲射撃などで石灰岩盤が落下崩壊したが、2005年(平成17年)に蘇らせた

奥~那覇へ018クチグヮーガマ
クチグヮーガマ

奥~那覇へ019
那覇市内

奥~那覇へ020やちむん通り
陶器の手榴弾 壷屋焼物博物館
スポンサーサイト

やんばるへ 本部~奥<アジア太平洋戦争④-11>  

3月上旬の沖縄は暖かい、しかし冷たくはないが強烈な北風が体温をうばっていく。「あぁきょうは一日向かい風だ~」、姿勢を低くしてただペダルを漕ぐのみ。数キロごとに小さな集落があり、「××共同店」があって生活必需品がすべてそろっている、1906年(明治39年)に本島最北の集落・奥の住民が共同出資・運営でつくり、他の集落にも普及したという歴史あるものだ…コンビニはいらない。トイレもあり、コンクリの東屋があって毎晩地区の男性の交流(酒盛り)の場になるのだそうな、ある共同店の女性が「毎晩ですよ!?」と強調していた。ときおり豚満載のトラックがすれ違う、うまいのだ!

やんばるへ001
横浜港

やんばるへ002
湾岸線 インゴット

やんばるへ004
那覇港から本部へ(鹿児島行き)

やんばるへ005
ソウルからきた女性

やんばるへ006
強風のため15分の遅れ 鹿児島にはいつ着くのやら

やんばるへ007
屋根に目がいってしまう

やんばるへ008
同じく

やんばるへ009
道路わきにはクワズイモの大きな葉が 北海道のフキを思い出す

やんばるへ010
またまた同じく

やんばるへ011
パンの配達 ここは見事な赤い瓦屋根だった

やんばるへ013
荒れている

やんばるへ014
ヒカゲヘゴ 奥に入るとあったが東側にはけっこう生えていた

やんばるへ015
奥共同店

やんばるへ016
沖縄独特の大きな墓地 

やんばるへ018


やんばるへ019
奥 何川だったかメモしわすれた

路地を入れば 国際通り<或日或処④-5>  

那覇の「国際通り」といえば沖縄随一の繁華街。その店と店との狭い階段を上がるとすぐに、沖縄特有の大きな墓が並んでいた。一瞬にして別世界にワープしたような奇妙な感覚にとらわれるが、誰もいず日中でも奥に行くのがためらわれる空間だった。食堂のおかみさんの話では「この辺は湿地帯で田んぼがずいぶんあった。墓地もあって、開発しようにも戦争で持ち主不明とかが多く手が付けられないでいた」と。しかし歴史はもう少し古く、中世からの大きな墓地だったようで、「国際通り」の反対側・北側にもあり「緑ヶ丘公園予定地」となっていた。むしろ、田んぼと墓地の間に「国際通り」がつくられたというべきなのだろうか?

国際通り001

国際通り002

国際通り003

国際通り004

国際通り005

国際通り006

国際通り007
那覇モノレールの「おもろまち」駅西側一帯は、元米軍住宅地区だったところで1987年に返還され、「新都心」として新しい町がつくられ賑わっている。国際通りの北側、歩いてもいくらもかからない距離だが一気に登らなければならない丘陵地だ。その上にいくつかの高地があり、そのひとつが「安里52高地」(米軍呼称「シュガーローフヒル」)と、駅をはさんだ東側の真嘉比(同「ハーフムーンヒル」)は、首里城地下壕の日本軍司令本部の真西2キロに位置する要衝、一大激戦地だったところ。ハーフムーンは、こんもりとした林のど真ん中を道路が建設されたというので、場所はすぐ分かったがまったく面影がなくどうも確信がもてない。シュガーローフはなかなか分からず、古い実用自転車に所帯道具を積んだXさんに聞いたら、自転車を置いて案内してくれた。Xさんは、「ガマフヤー」具志堅さんの呼びかけに応じて真嘉比の発掘を行ったホームレス、失業者など55名のひとりだったのです。多数の銃弾・砲弾、戦車のキャタピラーなどとともに172体の日本兵の遺骨を発掘・収集したということでした(じつはXさんから具志堅さんの本を教えていただき、帰りの機中で一気に読んだのでした。感動的な作業であり、本でした、推薦図書!)写真は、ハーフムーン、シュガーローフ、同上の説明版、同ヒルから見たハーフムーン300m。

おもろまち001

おもろまち002

おもろまち003

おもろまち004

おもろまち005

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

QRコード

ご意見・ご感想などこちらから

カウンター