写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

これまでも気まぐれに「推薦本」を紹介してきましたが(前回は昨年5月たかまつやよい『流されて八丈島』ですから1/年ペースですが)、今回からカテゴリに「きょうのいちおし」を作りました。
大正末生まれの小熊謙二(著者の父親)が、召集・従軍からシベリア抑留体験を軸に、戦前から今日に至るまでの日本社会を「都市下層の商業者」から見てどのようなものであったか?を語っています。著者の肉付け部分も新鮮な歴史認識で興味深く読みましたが、何と言っても謙二氏の発言(主として「」にくくられている)のするどさにドギマギしながら一気に読みました。すいせんです!

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「暑さに負けた」前回の「江東墨田の地蔵尊」の続編となりますが、じつはきょう(2/19)の方がもっと暑く「4月上旬なみ」だったのです。桜が咲いていないのが不思議なくらいです。前回と今回歩いているところは墨田区が中心でしかもとても狭い範囲なのです、東西1.5キロ×南北2キロぐらい。この次はもう少し東に行くにしても距離的には大したものではありません。
周辺部に強力な焼夷弾を炸裂させ=逃げ場をなくしてから中心部に大量の焼夷弾を投下するという、残虐な作戦でした。わずか22年前の関東大震災の被災者とともに慰霊しているところが多くみられました。
※追記(2/23)法恩寺あたりから前回の「ガラス工場のレンガ塀」あたりまでがガラス工場が集中していた地域だ、とのこと(法恩寺近くの寿司屋若いご主人)。都心部には特定の業種が固まった地域がけっこうあった(札の辻・三田あたりは工作機械、蠣殻町は織物問屋、池之端・本郷は医療機器など・・・歴史的経緯もあるのですが)が、次第に移転、閉鎖でなくなってきた。

本所戦災地蔵尊001法恩寺
法恩寺(太平)

本所戦災地蔵尊002法恩寺
同じく法恩寺、日露戦争で中国で戦病死した兵士の碑(1915年に建立)。

本所戦災地蔵尊003妙見山別院
能勢妙見山別院(本所)。

本所戦災地蔵尊004-2カトリック本所教会
カトリック本所教会(本所)。日露戦争講和時(1906年、ナショナリズムが吹き荒れ新聞社、交番などが焼き討ちされ戒厳令)、関東大震災、東京大空襲により3度焼失された。

本所戦災地蔵尊004片男波部屋
片男波部屋、まわしを干していた。地図を見ていると、友綱、高砂、東関、九重部屋もあった、両国に近い!

本所戦災地蔵尊005墨田電話局
本所電話局(現NTT)跡に慰霊碑が建っている。電話交換手女性28名と男性職員3名が亡くなった、関東大震災時の男性職員2名もともに慰霊されている。

本所戦災地蔵尊006厩橋東詰地蔵尊
厩橋(東詰)地蔵尊。

本所戦災地蔵尊007厩橋東詰ベンチ
厩橋たもとのベンチ(両サイド)も被災していると思われるが?

本所戦災地蔵尊008吾妻橋東詰地蔵尊
あづま地蔵尊(吾妻橋東)。この辺は、浅草からスカイツリーへ行く外国人観光客であふれかえっている。

本所戦災地蔵尊009言問橋
ここも悲劇の現場となった言問橋。隅田川にかかる橋には両岸から火に追いつめられた人々が殺到し、修羅場と化した。

本所戦災地蔵尊010言問橋東牛島神社慰霊碑
牛嶋神社(言問橋東)の慰霊碑。「本所区の戦役・事変・戦災により、祖国防衛のために」亡くなられた人びとの慰霊ということで1955年に「在郷軍人の有志と趣旨に賛同した同志」により建立と記され、かなり異質だが、こういう慰霊碑もけっこうある。多くは「二度とこのような戦争をおこさないために」とうたわれているのだが・・・。

本所戦災地蔵尊011とうきょうスカイツリー駅下安全地蔵尊
とうきょうスカイツリー駅裏側にひっそりと建っている安全地蔵尊(平和への祈りと交通安全祈願)。

江東墨田の地蔵尊 菊川~立川<アジア太平洋戦争⑤-11>  

過去何度か取り上げた地域だが、1945年3月9日深夜から10日未明にかけて行われた「3.10東京大空襲」(120回も空襲されたなかの最大規模)では、10万人以上が亡くなり数百万人が焼け出された。広島・長崎の原爆投下とならぶ無差別大量虐殺だった。なかでも墨田川と荒川に挟まれた三角地帯がもっとも激しい被害を受けた。その地域には、都の慰霊堂を中心にして多くの慰霊碑、供養塔、地蔵尊が建立され大空襲の惨劇を伝えている。きょうの都心は20℃を越え、暑さに負けて予定の3分の1も歩けなかったので、北側は次回に訪れよう。

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菊川橋。この橋周辺で3000名余の犠牲者。

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夢違之地蔵尊。悪夢を消滅させて善夢に導くことを願い建立された。

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榎稲荷神社の竪川地蔵尊(右手、ご婦人が手を合わせている。左は江戸の歴史ウォーキング)。

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竪川地蔵尊。

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古いレンガ塀を見つける。

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中には構造物の基礎部?も残っていた。

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レンガ塀の内側。現在は建築足場レンタル業、戦前はガラス工場だったらしいとのこと。時おり、外のレンガ塀に花を手向ける年配の方がいらっしゃるという話でした。

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大正湯(銭湯。最近休業したらしい)。ここに逃げた人々は助かった。

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弥勒寺の戦災殉難慰霊観音像。この観音像下には、この地域で被災し亡くなった3500名の方々が眠っている。3.10に慰霊の式典を行うので列席させていただくことになりました。

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要津寺の平和地蔵尊。父母と子をもあらわしている。

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江島杉山神社の空襲に焼け残ったイチョウ。

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江ノ島の洞窟で断食祈願をした江戸初期の杉山和一検校の屋敷と鍼治講習所があった。ちなんで、江ノ島洞窟に模した洞窟内に検校の像が祀られている。

立飛(たちひ)駅周辺 立川<アジア太平洋戦争⑤-10>  

かつて陸軍の練習機・通称「赤とんぼ」や戦闘機「隼」などを生産した立川飛行機(立飛たちひ)は、現在は「立飛ホールディングス」として主に不動産事業を営んでいる。昨年秋には多摩モノレール駅直結の「ららぽーと立川立飛」をオープン、立川駅北側の国有地も落札し市街化著しい立川を牽引する企業のようだ。かつての航空機工場の給水塔は同社のシンボルタワーでもあるようで、その横に「立飛企業株式会社発祥の地」碑が建っている。2/4追記~阪神競馬場(旧川西航空機敷地の一部)裏手が川西航空機を継いだ新明和工業だが、かつて海軍の飛行艇などを生産した技術を受け継いで「救難飛行艇」「対潜哨戒機」などを現在は生産している(日本の主要企業が軍需産業に関わっているのだが)。ことの良し悪しを別として、立飛というのはずいぶん異なる道を歩んでいるように感じました。

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2014年8月『立川南北 多摩モノレール<東京TOKYO②-12』で紹介した立飛の給水塔。

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立飛の工場。

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立飛の工場。

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真っ平らで広いので自転車が行きかう。

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ウドの根(『玉川上水その3 拝島~玉川上水駅<東京TOKYO③-2>』 2015年2月より)、立川市はウド(「東京うど」)の栽培都内一をほこるが後継者難・市街化などで年々生産量は減っている。

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