写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

梅雨明けて 紫陽花の孤独 深く <東京TOKYO③-16>  

前にも紹介した大橋JCTの屋上「目黒天空庭園」で梅雨明けをむかえました。大橋の「日本地図センター」に立ち寄ったら地図・地理・地誌関連書の宝庫が4月から縮小してただの受付だけになっていてがっかり、天空に出て気分を変えようと。梅雨も明けたのだろうか、そこはかんかん照りで木陰というものがなく逃げ場がない。さて、天空の真下には地底があるのは必定、大橋JCTから(あくまで車で)山の手トンネルに下るぐるんぐるんぐるんもう一つぐるんと、スパイラルを下っていく。スリップ・横転が多発しているので、減速・要注意ですが。
前回の天空はこちら:天空の秋 大橋

天空庭園梅雨明け001
天空にはこの扉を開けて入っていく(?)

天空庭園梅雨明け003
カシワバアジサイ

天空庭園梅雨明け004
アベリア?

天空庭園梅雨明け005
ハマナス

天空庭園梅雨明け006
ブドウ棚の午餐

天空庭園梅雨明け007

天空庭園梅雨明け008
こちらは回廊風に作られたブドウ

天空庭園梅雨明け009
ヤブデマリ

天空庭園梅雨明け010
カズラ

天空庭園梅雨明け011
ススキ 天空には早くも秋の気配

天空庭園梅雨明け012
ヤブラン

天空庭園梅雨明け013
午後になって青空 1週間遅れの梅雨明けかな(7/28)
スポンサーサイト

チングと蚊に刺されつつ 国分寺<東京TOKYO③-15>  

ちょっと古い写真(今年の6月半ば)ですが、子どもたちが遊んでいる姿を久しぶりに見ました。圧倒的に元気なのは女の子ですが・・・。

国分寺公園 小

やまゆりの 花もかなしく 暴虐夜 <神奈川考①-7>  

やまゆりの 花もかなしく 暴虐夜  (7/20(水)相模原市緑区 石老山セキロウサン にて撮影)


陣馬山なんかがある小仏山地が日本列島の成り立ちに重要なカギになるところ、ということでその対岸から撮影できないか?と相模湖病院に行ってみた。すると、そこは「関東100名山」のひとつ「石老山セキロウサン」の登山口だった。そしてこの山は一歩登り始めると巨石がごろごろ、地震でもあったらお終いだなとか考えながら坐骨神経痛をおして登りました。小仏山地の写真も撮りましたが、今回は巨石の一部を特集しました。神奈川は、4つの巨大プレートが集中しているところで、世界でも注目をあびているところなのです(南部フォッサマグナ)。

石老山001

石老山002

石老山003 (2)

石老山003

石老山004

石老山005

石老山006

石老山007

石老山008

石老山009 (2)

石老山009

石老山010

石老山011 (2)

石老山011

石老山012

石老山013

梅雨のおわりに 港北001<神奈川考①-5>  

九州では大雨が続きましたが関東では先日雷雨があったものの雨が少なく、利根川水系ではダムが干上がろうとしています。相模川水系は水不足ということはないと思いますが、強い日差しに照りつけられると後頭部からクラクラする梅雨の終わりが近づいている気配がします。横浜の北=港北の早淵川周辺をクラクラと歩いてみました。

梅雨の終わりに001-1
人工せせらぎ、上流に井戸を掘って流している。休日はザリガニよりも子供たちのほうが多く供給が追い付かない。

梅雨の終わりに001-2

梅雨の終わりに002
葡萄フジミノリ(藤稔)を強い日差しから覆う作業。このあと水が少なければ、給水しないと甘味が少なくなると。

梅雨の終わりに003
貸農園も実りの夏ちかし。

梅雨の終わりに004

梅雨の終わりに005
早淵川。

梅雨の終わりに006
日中戦争で徴発されたこの村(現在は町)の馬たちの慰霊碑前。

梅雨の終わりに007
シュロ。カラスが種をばらまきます。

梅雨の終わりに008
カンナ。

かなたより みなとみらい<神奈川考①-4>  

横浜の新しい港地区「みなとみらい」の象徴的ビル・ランドマークタワー(296m)ができてから20年以上が経ち、「みなとみらい線」も開通して横浜駅界隈と関内官庁街(+α)とが結ばれてさすがに土日は人手が多い(平日はそれほどでもな~い)。そのランドマークタワーあたりの大理石(石灰岩)の床と壁が化石の宝庫だそうで、さっそくでかけました(一時期都内は歩いたのですが、いまでは都内も化石が多いと思います)。目が慣れるにしたがい何となくわかるようになってきました、アンモナイトと貝類でしょうか?恐竜とともに滅びたアンモナイトというとはるかかなたの世界(6500万年前絶滅)ですが、「がんばる!」なんていう小さな文字も現れて、時間的にも精神的にも大きな距離を感じる神奈川考でした。

みなとみらい化石001

みなとみらい化石002

みなとみらい化石003 (2)

みなとみらい化石003

みなとみらい化石005

みなとみらい化石006

みなとみらい化石007

みなとみらい化石008

みなとみらい化石010

みなとみらい化石011

みなとみらい化石012

みなとみらい化石014

みなとみらい化石016

震生湖 秦野<神奈川考①-3>  

わが家のベランダから丹沢がドーンと見える。この丹沢が意外とやっかいで、遠い南の島々がプレートに乗って沈み込むことなく乗り上げた山々なのだそうだ。高校生のときに地学の先生が(主に)貝の化石発掘に連れていってくれました、ちょうどプレートテクトニクス論が数多くの蔑みを経てようやく認められてくるころでした。
1923年(大正12年)相模湾を震源とした関東大震災で、ここ丹沢山塊の南・秦野の丘陵に陥没・崩壊がおこり「震生湖」が出現した。出現した、というほどには大きくはないのだが(周囲1キロ)、調査に訪れた寅彦の句碑「山さけて成しける池や水すまし」が建っている。崩れた崖の跡と、下校途中に行方不明になった女子小学生2名の供養塔を訪れた(秦野では200名をこえる死者)。ところがこの供養塔が地元の人に聞いてもわからず、市内をぐるぐるめぐることになったが、けっきょく初めの震生湖の上の木陰にあった・・・100年近く経つと人の記憶からも忘れ去られていくものか。

秦野震生湖001
震生湖。

秦野震生湖002
震生湖。

秦野震生湖003
湖畔の大きな芭蕉のわきの芽吹き。

秦野震生湖004
湖畔の弁天様。

秦野震生湖005
だんだんと釣り人が増えてくる、野鳥も多い。

秦野震生湖006
寺田寅彦の句碑。

秦野震生湖007
崩壊の跡をのこす崖(ソーラーパネルが設置され入れないが)。

秦野震生湖008
供養塔は、写真左上の木陰にあった(実は最初にこの人に尋ねたのだが)、右上のきれいな稜線が大山。※()内訂正です、湖畔にあった「池窪の大悲観音」矢印が2少女の供養塔だとわたしが思い込み、この方に聞いたのですが「よくわからない」ということでした。「池窪の大悲観音」は江戸時代に大きく水のたまる場所で村の青年が遭難し建てられたものでした。7/10訂正。

秦野震生湖009
丹沢の東京寄り(東)。

秦野震生湖010
塔ノ岳方向。

秦野震生湖011
ツバメが多い。

秦野震生湖012
ようやく見つけた供養塔。

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

QRコード

ご意見・ご感想などこちらから

カウンター