写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

横浜如月 都筑<神奈川考②-3>  

二月は短い、あしたから三月です。ことしの二月は日本海側とりわけ鳥取方面で大雪でしたが、横浜あたりは暖かな冬でした。毎日あつくなって、上着を脱いで持てあましていました。横浜の冬というよりも、もう春ですね。

横浜如月001
コサギ

横浜如月002
お昼ごはん

横浜如月003
桜中メジロ

横浜如月004
桜花

横浜如月005
ミモザ

横浜如月006
工業団地倉庫

横浜如月007
かみかくし(地名)やや北

横浜如月008
泥さらい(かいぼり)中

横浜如月009
なにかな?1

横浜如月009-2
なにかな?2

横浜如月010
おたまじゃくし

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春待つ花と咲く花と 平沼橋<神奈川考②-2>  

横浜駅近くの平沼橋に「イングリッシュガーデン」があるので車で行った。第三京浜(片道190円)三沢経由で行くと30分ぐらいで行ける(ハズだったが)。鉄道と運河と古い町並みとで、近くまで行けるのに行き止まり、運河の向こうとか苦労してたどり着く。このガーデンはバラをメインにしてるようでこの時季、花は少なくまだ寂しい。それでもいろいろな花が咲いていて、蕾もふくらみ芽を出している。ただ残念だったのは、バラ開花期の準備ということもあるのだろうが石灰が撒かれ、美しい葉も白い粉がまぶされて台無しだった。またバラの時季に来てみよう。

イングリッシュガーデン001
横浜平沼橋イングリッシュガーデン

イングリッシュガーデン002
クリスマスローズ

イングリッシュガーデン003
福寿草

イングリッシュガーデン004
不明

イングリッシュガーデン005
クリスマスローズ

イングリッシュガーデン006
ヒナギク栽培種デージー

イングリッシュガーデン007
ウメ

イングリッシュガーデン008
スミレ園芸種ビオラ

イングリッシュガーデン009
ミツマタ

イングリッシュガーデン010
不明

イングリッシュガーデン011
スノードロップ

イングリッシュガーデン012
チューリップ

イングリッシュガーデン013
スミレ園芸種ビオラ

イングリッシュガーデン014
不明

前回の伊勢佐木町も、27回に渡る空襲、とりわけ1945年5月29日の「横浜大空襲」により焦土と化しました。以前、日ノ出町、黄金町、霞ヶ丘、平沼橋(<アジア太平湯戦争遺跡・遺品①-7>所収)を撮影しましたが、今回は京急の南側を当時の写真を手がかりに歩いてみました。伊勢佐木町と野毛は場所が確定できませんでしたが、吉田橋と馬車道(が一つながりであることに今回初めて気づいたのですが!?)は特定でき、また当時の建築物が現在も活躍していることに驚きました。

1)伊勢佐木町
馬車道野毛001泉門三郎氏寄贈45
泉門三郎氏寄贈(横浜市ウェブサイトより、以下同) 1945年撮影。

2)吉田橋
馬車道野毛003米国立公文書館
米国国立公文書館所蔵 1946年7月4日独立記念日のパレード。

馬車道野毛004
上の写真の撮影位置は現在JRの高架上あたりですので、かなり手前下方やや左手からの撮影になりましたが、正面の「BAZAR」と書いたビル(イセビル)はよく見るとほぼ同じ、胸ときめく。大修繕をやってのことでしょうが、1927年(昭和2年)落成です。なるほど、伊勢佐木町から馬車道へはまっすぐつながった道路で往年は賑わったのですが、現在は横羽線、JR高架と味気ない空間になって分断されています。人の流れもまっすぐいかず、関内駅に吸い込まれていきます。

馬車道野毛005
イセビル(現「第一イセビル)の階段 すり減って築90年を物語る。

馬車道野毛006
1859年(安政6年)横浜が開港し施設充実のために入海であったところに木橋をかけ吉田橋と銘々した。現在の橋は1869年(明治2年)イギリス人ブラントンによって付け替えられたトラス鉄橋が元の、5代目となる。下はすでに首都高横羽線になっている。初期に治安のために関所が設けられ、関の内側(港側)が「関内」、外側が「関外」と言われるようになったという。

3)馬車道
馬車道野毛007米国立公文書館4509
米国国立公文書館所蔵 1946年9月20日撮影。

馬車道野毛008
右手オレンジのオブジェのところは「横浜宝塚劇場」(現・市民文化会館関内ホール)、上の写真で人がいっぱい集まっているところ。道路奥にアーチが見えるが、その上の青いドームが「横浜正金銀行」(現・県立歴史博物館、休館中)。「宝塚」の向かいの四角く目立つ建物が見つかりました、次の写真で紹介します。

馬車道野毛009
広東料理で有名な「生香園」(本店)でした。

馬車道野毛009-2
「生香園」を対角から見るとけっこう大きな建物で、むかしは何に使われていたのか分かりませんでしたが。

馬車道野毛010
「横浜正金銀行」ここで記念写真を撮って赤レンガ倉庫に向かう定番コースですが「日銀は内国を経理して外国に当たり 正金銀行は海外を経理して以て内国を益し・・・(略)」(松方正義蔵相)と位置づけられた極めて重要な銀行でした。相次ぐ戦争を金融面から支えていたとも言えるでしょう。

4)野毛
馬車道野毛011山室忠一氏寄贈4506
山室忠一氏寄贈 1945年6月撮影。やや上方から撮影しているので野毛の高台からでしょうか、道路には市電の軌道らしきものがみえるので当時の経路を調べればもう少し分かってきそうです。正面には焼け残ったビルが多く見えるので尾上町や港近くの方向らしい。

馬車道野毛012
上の写真はもっと左手だと思いますが(よく写真を見ていて手前が県道218号、その向こうが大岡川~となると逆に右側!?)成田山別院から。この辺も同様な惨状だったことでしょう。

あなた知ってる港よこはま 伊勢佐木町<神奈川考②-1>  

伊勢佐木町は学生時代にたまに行っていました。といっても「伊勢佐木町ブルース」の夜の街ではなく、有隣堂本店と古書店が目当てでした。関内からの通りはまっすぐ伊勢佐木町1丁目から7丁目までが繁華街、そのまま南吉田町へいくと住宅街になって大岡川にかかる山王橋をわたり佐藤病院まで、このあたりにはカモメが舞っているのも横浜らしい。しかし、有隣堂本店は客もまばらで書店員もすっかり少なくなり向かいの松坂屋が撤退して寂しい。かつては不況になるとこの辺まで失業者があぶれてきていたものですが、いまは高齢化してあまりみかけません、ぎゃくにアジア系の人たちが多くなって町並みもずいぶん変わりました。4/3追記:かつての日雇労働者たちは現在寿町に6,000人いて、その9割が生活保護を受けているそうです(かつては住民票がないと受給できなかったのができるようになった)、しかし高齢化して引きこもりがちである。

伊勢佐木町吉田町001

伊勢佐木町吉田町002

伊勢佐木町吉田町003

伊勢佐木町吉田町004
欠けた豆や虫食いの豆をより分けていました「(手先を動かして)老化防止だよ」。わが家近くの「まめや」も系列の店だそうです。

伊勢佐木町吉田町005

伊勢佐木町吉田町005-2

伊勢佐木町吉田町006

伊勢佐木町吉田町007
そういえば岡本岡村喬生(オペラ歌手)は元気だろうか?

伊勢佐木町吉田町008

伊勢佐木町吉田町009

伊勢佐木町吉田町010

伊勢佐木町吉田町011
大英博物館、ルーヴル美術館をはじめ、かつての植民地宗主国の主要な美術館収蔵品は、その植民地の(合法=購入など、非合法=収奪、強奪、盗掘など)宗教的歴史的文物や美術工芸品が中心になっている。旧植民地側からは当然ながら返還の要求があるが、メトロポリタン美術館などの一部を除いて返還の動きは少ない。
日本の植民地時代の朝鮮では、電力事業を推し進めた小倉武之助が古美術の収集を行い、数千点を所有していた。敗戦時にそのうちの1000余点を船で日本に運び「小倉コレクション」として保存していたが、1960年代の日韓条約の交渉時に韓国側から返還を求められた。しかし、日本側は「個人の所有物」ということで突っぱね、小倉の死後、国立博物館(上野)に寄贈され現在東洋館で一部であるが公開されている。この「小倉コレクション」については、もう少し調べていこうと考えています。
追記:岩波新書『コロニアリズムと文化財』(2012年、荒井信一)が分かりやすくまとめている。とりわけ、21世紀に入り多くの美術館、博物館、大学などから「寄贈」という形が多いが、実質返還が実現している。とはいえ、それは全体のごくごくわずかな胎動でしかない。~3/1記
。       

小倉001 冠5C
冠 5C

小倉002 薫炉BC2~1C
薫炉 BC2~1C

小倉003 高坏BC4~2C
高坏 BC4~2C

小倉004 毘盧舎那仏立像9~10C
毘盧舎那仏立像 9~10C

小倉005 薬師如来立像7C
薬師如来立像 7C

小倉006 獣文飾板BC3~1C
獣文飾板 BC3~1C

小倉007 単龍文環頭大刀6C
単龍文環頭大刀 6C

小倉008 土偶5~6C
土偶 5~6C

小倉009 土製勾玉5~6C
土製勾玉 5~6C

小倉010 緑釉博山炉1~3C
緑釉博山炉 1~3C

小倉011 銅製三環鈴5~6C
銅製三環鈴 5~6C

小倉012 菩薩半跏像7C
菩薩半跏像 7C

ラスコー展2/19まで 上野科学博物館<東京TOKYO④-2>   

上野国立博物館東洋館へ行った帰り、科学博物館でやっている「ラスコー展」を見た。1940年に遊んでいた少年の犬が穴に落ちて、この洞窟を発見した。以降科学的な調査、写真撮影などがおこなわれる一方、見学はあまり規制を受けずにおこなわれ、壁画・洞窟の劣化が著しく現在は非公開になっている。1983年からレプリカが造られ、こちらが公開されているが、今回の展示はもちろんレプリカで一部分ですが、さすが科学博物館、現地に行ってレプリカとはいえ洞窟内を歩いて見てみたくなった・・・2/19日曜日までです。

ラスコー壁画レプリカ001

ラスコー壁画レプリカ002

ラスコー壁画レプリカ003

ラスコー壁画レプリカ004

ラスコー壁画レプリカ005

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