写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

真田氏10万石の松代はNHK「真田丸」に沸いていたというほどの活気はなかった。その松代城(跡)から南へ800メートルほども行ったところに象山(佐久間象山にちなんだ名、壕は佐久間象山とは全く無関係)475mがある。その脇腹に掘削した地下壕6キロが残り(周辺地下壕をあわせ10キロ余)無料で見学ができます。壕横には小さな資料館があり、丁寧な説明付で200円、保存運動を担う方々の努力で公開されています。象山ばかりではなく弘法山、舞鶴山、皆神山などこの地域一帯が「首都・国家・大本営=軍中枢疎開」のために、1944年11月から工事が始められました。天皇・皇族・賢所・政府機関・大本営・軍上層部・NHK・通信施設・印刷局等々がここに疎開し、自らは周囲の山々と地下の壕とぶ厚い(1m)のコンクリートで守られながら「本土決戦」を準備していたのです。沖縄を時間稼ぎの「捨て石」にしながら、地元の人々の農地を強制収容し、多くの国民と6000名の朝鮮人を各地の現場からの動員と朝鮮半島から強制連行し突貫工事を行い、敗戦時には75%を完成させたが未完成のまま連合軍上陸前に一切の文書を焼き払いました。

松代大本営・象山地下壕001
ここは政府・電話局・NHKなどが入る予定だった。

松代大本営・象山地下壕002
1995年に建立実行委員会により建てられた「松代大本営朝鮮人犠牲者慰霊碑」、壕入り口すぐ右手。

松代大本営・象山地下壕003
突貫工事に携わった人々が頼りにしたカーバイトカンテラ。

松代大本営・象山地下壕004
「三種の神器」を置く「賢所」(これによって天皇が崩御しても「国体護持」がはかれるのだそうだ)を弘法山(ここ象山の南側)に建設するに当たり、熱海の丹那トンネル工事に従事していた鉄道学校生徒たちを「純粋の日本人」として動員したという、ここの管理者の方の話が「優生思想」を思い起こしリアルにひびいた。

松代大本営・象山地下壕005

松代大本営・象山地下壕006
資材、ズリなどを運ぶためのトロッコの枕木跡も残っている。

松代大本営・象山地下壕007
構内には作業者の記した文字(漢字、ハングル)が多く残っているという。左は「大邱(テグ)府大邱」、右は(わたしは)制帽をかぶった軍人か監督官の絵ではないだろうか。

松代大本営・象山地下壕008
ダイナマイト用の穴を掘る削岩機のロッドが残っていた。

松代大本営・象山地下壕009
縦穴と横穴がクロスする。ときおりコウモリがひらひらと舞っていく。

松代大本営・象山地下壕010
1873年(明治6年)疲弊した松代に産業をと、大里忠一郎らが民間製糸場「六工社」をつくり「六工社生糸」は世界的にも知れ渡った。その一角の女工娯楽所が労務(朝鮮人職制)慰安所になった。

松代大本営・象山地下壕011
天皇、侍従、侍従武官用のⅠ号舎(厚さ1mのコンクリートで造られ地下御座所とつながる)。現在は、気象庁の観測所で無人となったがデータが気象庁に送られている。なお1965年から5年間続いた「松代群発地震」は皆神山を震源とするが、いまなお小さな地震が続いているという。

松代大本営・象山地下壕012
同外観(草木でカモフラージュされていた)、同じような建物が3棟並んでいる(それぞれ、天皇、皇后、宮内省用)。
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