写真集HIDSBY’s Photographs
『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!
大英博物館、ルーヴル美術館をはじめ、かつての植民地宗主国の主要な美術館収蔵品は、その植民地の(合法=購入など、非合法=収奪、強奪、盗掘など)宗教的歴史的文物や美術工芸品が中心になっている。旧植民地側からは当然ながら返還の要求があるが、メトロポリタン美術館などの一部を除いて返還の動きは少ない。
日本の植民地時代の朝鮮では、電力事業を推し進めた小倉武之助が古美術の収集を行い、数千点を所有していた。敗戦時にそのうちの1000余点を船で日本に運び「小倉コレクション」として保存していたが、1960年代の日韓条約の交渉時に韓国側から返還を求められた。しかし、日本側は「個人の所有物」ということで突っぱね、小倉の死後、国立博物館(上野)に寄贈され現在東洋館で一部であるが公開されている。この「小倉コレクション」については、もう少し調べていこうと考えています。追記:岩波新書『コロニアリズムと文化財』(2012年、荒井信一)が分かりやすくまとめている。とりわけ、21世紀に入り多くの美術館、博物館、大学などから「寄贈」という形が多いが、実質返還が実現している。とはいえ、それは全体のごくごくわずかな胎動でしかない。~3/1記
。

冠 5C

薫炉 BC2~1C

高坏 BC4~2C

毘盧舎那仏立像 9~10C

薬師如来立像 7C

獣文飾板 BC3~1C

単龍文環頭大刀 6C

土偶 5~6C

土製勾玉 5~6C

緑釉博山炉 1~3C

銅製三環鈴 5~6C

菩薩半跏像 7C
日本の植民地時代の朝鮮では、電力事業を推し進めた小倉武之助が古美術の収集を行い、数千点を所有していた。敗戦時にそのうちの1000余点を船で日本に運び「小倉コレクション」として保存していたが、1960年代の日韓条約の交渉時に韓国側から返還を求められた。しかし、日本側は「個人の所有物」ということで突っぱね、小倉の死後、国立博物館(上野)に寄贈され現在東洋館で一部であるが公開されている。この「小倉コレクション」については、もう少し調べていこうと考えています。追記:岩波新書『コロニアリズムと文化財』(2012年、荒井信一)が分かりやすくまとめている。とりわけ、21世紀に入り多くの美術館、博物館、大学などから「寄贈」という形が多いが、実質返還が実現している。とはいえ、それは全体のごくごくわずかな胎動でしかない。~3/1記
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冠 5C

薫炉 BC2~1C

高坏 BC4~2C

毘盧舎那仏立像 9~10C

薬師如来立像 7C

獣文飾板 BC3~1C

単龍文環頭大刀 6C

土偶 5~6C

土製勾玉 5~6C

緑釉博山炉 1~3C

銅製三環鈴 5~6C

菩薩半跏像 7C
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