写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

前回の伊勢佐木町も、27回に渡る空襲、とりわけ1945年5月29日の「横浜大空襲」により焦土と化しました。以前、日ノ出町、黄金町、霞ヶ丘、平沼橋(<アジア太平湯戦争遺跡・遺品①-7>所収)を撮影しましたが、今回は京急の南側を当時の写真を手がかりに歩いてみました。伊勢佐木町と野毛は場所が確定できませんでしたが、吉田橋と馬車道(が一つながりであることに今回初めて気づいたのですが!?)は特定でき、また当時の建築物が現在も活躍していることに驚きました。

1)伊勢佐木町
馬車道野毛001泉門三郎氏寄贈45
泉門三郎氏寄贈(横浜市ウェブサイトより、以下同) 1945年撮影。

2)吉田橋
馬車道野毛003米国立公文書館
米国国立公文書館所蔵 1946年7月4日独立記念日のパレード。

馬車道野毛004
上の写真の撮影位置は現在JRの高架上あたりですので、かなり手前下方やや左手からの撮影になりましたが、正面の「BAZAR」と書いたビル(イセビル)はよく見るとほぼ同じ、胸ときめく。大修繕をやってのことでしょうが、1927年(昭和2年)落成です。なるほど、伊勢佐木町から馬車道へはまっすぐつながった道路で往年は賑わったのですが、現在は横羽線、JR高架と味気ない空間になって分断されています。人の流れもまっすぐいかず、関内駅に吸い込まれていきます。

馬車道野毛005
イセビル(現「第一イセビル)の階段 すり減って築90年を物語る。

馬車道野毛006
1859年(安政6年)横浜が開港し施設充実のために入海であったところに木橋をかけ吉田橋と銘々した。現在の橋は1869年(明治2年)イギリス人ブラントンによって付け替えられたトラス鉄橋が元の、5代目となる。下はすでに首都高横羽線になっている。初期に治安のために関所が設けられ、関の内側(港側)が「関内」、外側が「関外」と言われるようになったという。

3)馬車道
馬車道野毛007米国立公文書館4509
米国国立公文書館所蔵 1946年9月20日撮影。

馬車道野毛008
右手オレンジのオブジェのところは「横浜宝塚劇場」(現・市民文化会館関内ホール)、上の写真で人がいっぱい集まっているところ。道路奥にアーチが見えるが、その上の青いドームが「横浜正金銀行」(現・県立歴史博物館、休館中)。「宝塚」の向かいの四角く目立つ建物が見つかりました、次の写真で紹介します。

馬車道野毛009
広東料理で有名な「生香園」(本店)でした。

馬車道野毛009-2
「生香園」を対角から見るとけっこう大きな建物で、むかしは何に使われていたのか分かりませんでしたが。

馬車道野毛010
「横浜正金銀行」ここで記念写真を撮って赤レンガ倉庫に向かう定番コースですが「日銀は内国を経理して外国に当たり 正金銀行は海外を経理して以て内国を益し・・・(略)」(松方正義蔵相)と位置づけられた極めて重要な銀行でした。相次ぐ戦争を金融面から支えていたとも言えるでしょう。

4)野毛
馬車道野毛011山室忠一氏寄贈4506
山室忠一氏寄贈 1945年6月撮影。やや上方から撮影しているので野毛の高台からでしょうか、道路には市電の軌道らしきものがみえるので当時の経路を調べればもう少し分かってきそうです。正面には焼け残ったビルが多く見えるので尾上町や港近くの方向らしい。

馬車道野毛012
上の写真はもっと左手だと思いますが(よく写真を見ていて手前が県道218号、その向こうが大岡川~となると逆に右側!?)成田山別院から。この辺も同様な惨状だったことでしょう。

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