写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

横浜大空襲その2 元町周辺<アジア太平洋戦争⑥-11>  

わたしが小学校1年というとそろそろ戦後10年というころですが、日本への空襲は「木と紙の家」を焼き尽くす焼夷弾が主でしたから(通常爆弾、機銃掃射、艦砲射撃もあったが)鉄筋コンクリートの建物は比較的のこっていた。その焼け跡に人が住み、通学のときになぜか怖い思いを抱いた・・・住んでいる人に大変申し訳ないことでした。※モノクロ写真は横浜市のサイトのものをお借りしました。※ついでに言っておくと、都内には空襲で焼け出された人々がバラックに住んでいるところがいくつもありました(1964年の東京オリンピック前に取り壊し都営住宅などに移転・入居)。わたしのクラスにもそこから通っている子がいて、何か無くなると先生が彼を疑る(公言する)のですからひどい民主教育でした。こういうことを書くと抑制が効かなくなってあれもこれもとなりそうですがひと言、1958年に東京アジア大会が開かれ、オリンピックの誘致が目的でした。このころから、外国人にきたないところを見せてはみっともない~という日本人特有の意識が強く働き、バラックの撤去、まだ漁村だった羽田は日本の玄関口になるのに汚いというので、都内に入る道路の両側に企業の大看板を付けて見えなくしました「臭い物にはフタ」です。川は暗渠(どぶ下水)になりました。

001汐汲坂から中華街方面
汐汲坂から中華街方面(手前が元町)

002百段坂公園から中華街方面
百段坂公園(汐汲坂の東側、むかしは百一段の階段の上だったが関東大震災で階段は崩壊した)から中華街、左手が「みなとみらい」、まったく面影がない!

003フェイリスから西の橋
フェリスから、手前の大きな橋が西の橋むこうが関内方面(磯子線は1964年にできる)

004フェイリスから石川町
フェリスから石川町、前の写真の左手にあった3つのビルがこの右手のビル(現在も似たようなビルがあるが、戦後のもののようだ)。おなじ連続写真だが横浜中心部はビルが多いので焼け残っているが、こちらは「木と紙の家」なので焼夷弾によって焼け野原になっているのが分かる。

005堀川西の橋東寄り
現在の西の橋(東側より)。東京同様、川・運河の上は首都高3号線と横羽線が交差していて昔の面影がないというか、土地勘のないわたしなどはどっちがどっちだか分からなくなる。右に行くと中華街へ(中華街から元町商店街へと人が流れる)

006元町商店街
丸焼けとなった元町商店街

007元町商店街
現在(4/2)の元町商店街、おしゃれな街として人気がある

008元町商店街
同じく元町商店街、4/2は日曜日それも久々に暖かくなったのでこれから人がでてくる







スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://hidsby.blog112.fc2.com/tb.php/3180-7b548487
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

QRコード

ご意見・ご感想などこちらから

カウンター