写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

きょうのいちおし④ 三井為友『南海虜囚の詩』  

「いちおし」今年最初の本ですので、ぜひ皆さんに読んでいただきたいのですが・・・なかなか手に入らない詩集です。いまamazonを覗くと『南海虜囚の詩』は1976年著者本人版で出ているものと1981年(諏訪市)檸檬社版の二種類がありますが、いずれも「現在在庫切れです」となっています。元々の出版部数が少ないので、古書店をさがしてもなかなか見つからないようです。
前者(豪華装丁)と後者は装丁を別とすれば同じなのかというと少し違うようです。1981年版の「まえがき」によると、前者は「北ボルネオ捕虜収容所で書きとめておいた詩や感想文(を)~1976年末の誕生日の記念(の)詩集として刊行」したが(300部)、知友・戦友の要望が強く「帰国後書いた二篇と、前回省略した六篇を加え、三部に編成しなおした」のが後者1981年版だそうです(わたしが読んだのは1981年版です)。三部編成の全23の詩篇となっていますが、うち4番目の詩「自由」は豪州兵 隊内新聞に載ったT.H.サンダーズ伍長の詩を著者が訳したものです。詩と、詳細な「あとがき(詩の注記)」をもって全作品となっています、じっさい「あとがき」がなければ前後の事情が分かりません。
1944年5月に赤紙招集され、金沢から「北満」に配属も束の間、同年7月に「北ボルネオに移動し、信州初年兵600名のうち、500名が南方の露と消え」「編入された~速射砲中隊へは、信州初年兵30名が入ったが、このうち生還し得た者は4名であった」という、制海権がすでになく輸送船が次々と沈められていくなかで9月にボルネオ西部に上陸、10月にはサンダカン東のタンビサン水道を移動中に敵機に襲われ・・略・・1945年4月サンダカンから、西方の現コタキナバルまでのジャングル内の横断行軍「死の行進でたおれた者は、初期にサンダカンから護送された英軍人捕虜を含め、実に1万をこえるといわれる」。1ヶ月余の一方的に激しい弾雨にさらされる戦闘中に敗戦を迎え、捕虜収容所に入れられる。
帰国後に書いた2篇以外の20篇は、すべて「刺線無情(ばらせんつれなく)」(第一部の題名)ふるさとの想い出、少年時代、父母、戦友、そして行軍と戦闘が詠われていくがそれらは鉄条網の内側からの詩でありました。海のない信州で育った著者の詩篇「遠い遠い少年の日」の「~海は恐ろしく 声たかく 荒々しく 私の心を呑みこんだ~」海は、30代の筆者に「~襲いかかる大波と滝の雨に抗して われわれは死にもの狂いで 船底の水を搔き出した~」記憶を失いやがて「そこにあるものは黒い無限の大地と 青い無限の海だけだ」として目の前に現れます。また、詩篇「ある墓碑銘」は狂い死にしていった戦友を詠う、「ここ―南海の小島の 椰子の葉しげるところ 南沢 実―ついに眠らず」眠らずなのです。
今回の「いちおし」の詩集は、じつは高校の同級生三井さんのお父様のものです。なお、この死の行軍中に多くの豪州・英国の捕虜を死なせ、のちに「サンダカン死の行進」として豪州軍により戦争犯罪が裁かれる問題はこの詩集の主たるテーマではないようですが、同時に押さえておくべき事実ではあります。


南海虜囚の詩 小
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