写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

1945年5月29日午前、500機を超えるB29が横浜を襲い72年が経ちました。霞ヶ丘丘友会館にある観音様が、この日は慰霊碑前に置かれるというので出かけました。10時ごろに空襲に遭った方々を中心に集まり始めました、お菓子や花を持ち、とくに法要とかはなく皆さんで72年前を想い、平和を願いつつおしゃべりをしていました。そのあと黄金町駅近くの普門院に顔を出すと、追悼の法要は14時からだというので、西戸部を歩いて桜木町で食事後にもう一度普門院を訪れました。※2011年9月「充電式日録」と重なります。

横浜大空襲法要001
京急黄金町駅。駅構内が鉄筋コンクリートのため多くの人々が避難し、逆に炎に巻かれて亡くなりました。駅前の空き地に遺体を積み上げ荼毘に伏し、数年後に地元の方々で慰霊のお地蔵様をまつり、やがて普門院に黄金地蔵尊としてむかえられました。

横浜大空襲法要002
大岡川太田橋。この川でも灼熱により多くの方が亡くなりました。

横浜大空襲法要003
霞ヶ丘丘友会館。石垣のところに大きな防空壕があったそうです(上の坂側からも出入りができた)。

横浜大空襲法要004
金ぴかの観音様と聞いていましたが、質素な観音様でした。

横浜大空襲法要005 (2)
坂と階段と崖の多い町は、防空壕の多い町でもありました。

横浜大空襲法要005
みなとみらい。

横浜大空襲法要006
桜木町駅地下。

横浜大空襲法要007
普門院の黄金地蔵尊。

横浜大空襲法要008
普門院。陸軍輜重大尉の墓は、焼夷弾の熱と爆風で破壊されています。

横浜大空襲法要009
住職のお父様・前住職は、大空襲のときに裏の防空壕に被災者を誘導していて被弾(もしくは熱で)亡くなられました(3歳だったそうです)。左手前の女性はお姉様が行方不明になり、「黄金町駅にいた」という話を聞き探したが見つからず、その縁で普門院の法要には毎年参加しているそうです。

横浜大空襲法要011
霞橋(霞ヶ丘と久保山をつなぐ陸橋、1928年竣工)。久保山はA級戦犯荼毘の墓地。

横浜大空襲法要012
霞橋に上る階段脇に、「皇太子殿下(現・天皇)御誕生記念植樹碑」がありました。

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