写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

内原駅近くの地蔵院の「満蒙開拓殉職者之碑」説明板には「五族協和のもとに楽土建設を夢みて大陸にわたり殉職された8万有余柱の為に昭和20年に建立された。この納骨室には義勇軍戦士のうちふるさと探しも可(ママ)なわなかった17柱の実骨と帰山された分骨を合わせ34柱が安置合祀されております」(昭和58年に記された文の概略、建立は加藤完治によると記されている)。河和田の本法寺別院の「拓魂碑」(平成3年建立)には「五族協和、王道楽土、満州国建設の大志を抱いた8万6千5百3十名、戦争という極限のなかで昭和20年8月9日未明そのすべては壊滅、多数の青少年が大志半ばにして満州の地に没したる惨、農事訓練の場河和田の本法寺境内に拓魂碑を建立し後世に伝えるものなり」(概略)・・・スターリンのソ連参戦によって「10町歩」の土地」が約束された青少年(14~19歳)たちのうち2万4千人が犠牲になったのは事実であるが、それは満州国建設という侵略的な国策のもと「右手に鍬、左手に銃」として内原で訓練を受け「満州」に送られた少年たちの受けた二重の悲劇であった。その負の側面に触れることなく広大な内原の町に訓練所の遺跡が数多く存在する。

内原003
「満蒙開拓殉職者之碑」

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日輪兵舎(復元、モンゴルのパオがモデルであるという。この兵舎が200~300棟建って数千人~1万数千人の少年たちが訓練を受け次々と「満州」に送られた)。

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日輪兵舎内(1棟50名ぐらいで集団生活をした)。

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靴(制服などはしゃれていたというが、彼らが配備された「満州」ソ連国境近くなどの現実は悲惨なところが多かったという)。

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資料館近くの公園には、なぜか自衛隊のヘリコプターが展示してある??

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柳条湖事件(「満州事変」)直後に出された建白書によってこの訓練所がつくられた。中心の一人、農本主義者加藤完治が経営していた農業学校(訓練所時代は一体化したと思われるが)、現在は農業実践学校。

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農業実践学校真ん中にある「弥栄いやさか神社」への道。

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弥栄神社の中心は加藤完治の銅像だった。

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本法寺別院拓魂碑の隣「極楽世界」碑。「青少年義勇軍と開拓殉難者の納骨墓地「日本人墓地」がハルビン郊外に建てられていたが、改称改建し「極楽墓地」碑とした(いつか不明)。その名が中国墓園に相応しくないので新名称で建て替え、日本に持ち帰り本院に安置した(2003年)。史実保存と犠牲者の鎮魂供養の顕現を希う」(概略)なんか謎の多い碑。

内原014
本法寺別院「拓魂碑」(既述)

内原016
本法寺別院の裏手、訓練所跡地の一部。

内原017
訓練所の指導層養成の学校跡地、現在は鯉淵学園(農業栄養学校)、大変礼儀正しい学生さんたちでした。当時の建物が数棟残っている。

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