写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

前作「その1」で述べたが「それは満州国建設という侵略的な国策のもと「右手に鍬、左手に銃」として内原で訓練を受け「満州」に送られた少年たちの受けた二重の悲劇であった。その負の側面に触れることなく広大な内原の町に訓練所の遺跡が数多く存在する」その言葉をふたたび載せなければならない。しかも、多くの記念碑などは遺跡というよりも、近年になって建立されたものが多く過去の「満州開拓」の回顧ばかりでなく肯定的なメッセージすら読み取れる。最も多くの開拓団を出した(青少年も同様)長野県には、4年前に阿智村に「満蒙開拓平和記念館」が開設されたがそこの趣旨とは大変異なる~東京・横浜方面からは時間がかかりますが、一度阿智村を訪れることをお勧めします。

続内原訓練所跡001
水戸市内原町根古屋(または矢)ネゴヤ地区「宿・根古屋農村集落センター」内。農地改革記念碑というのはわたしの経験では珍しい、「専任書記(3名)」「昭和23年12月鯉渕村」と最後に書かれているが、あとは氏名が並んでいるのでおそらく農民組合の組合員名なのだと思うが、半分は解読できません。占領軍の指令による改革とはいえ、奪われる地主と得る旧小作との利害が鋭く対立したはずなので記念碑として残すのは少なかったのではないでしょうか?

続内原訓練所跡002
「農地改革記念碑」と通り一本向かい側に「11面観音堂」があり、その一角に、訓練所本部に1939年(昭和14年)に造営された「弥栄イヤサカ神社」が戦後ここ根古屋に移転された。地元では「護国神社」とよんでいるそうです。

続内原訓練所跡003
同 社ヤシロ。

続内原訓練所跡004
同 手水鉢。

続内原訓練所跡005
同 殉職供養碑。

続内原訓練所跡006
旧醸造所(現在の鯉淵の米屋さんの倉庫として移築・使用されている)。

続内原訓練所跡007
鯉渕学園内。「その1」に載せた「指導員養成所」のすぐ奥にある「幹部訓練所」、もう修復が困難で使用していないそうだ。

続内原訓練所跡008
旧訓練所を紹介した地図、右半分が周辺図で左半分が拡大図になっている、左図の多数の○印が「日輪舎」を現している。ここは「小林報徳地区」で、「弥栄神社」「興国(地名)」などその名に驚かされる。

続内原訓練所跡009
小林報徳地区の「訓練所之碑」(1975年-昭和50年建立)、内原訓練所跡地にある多くの碑や記念物が近年につくられたものであることにまた驚かされる。亡霊を見るがごとしか、時代を先取りしているのか?

続内原訓練所跡010
訓練所之碑のうしろに日輪舎(復元、「その1」のものよりは小型、記念館)。

続内原訓練所跡011
ここで訓練を終えた青少年義勇軍(現地では義勇隊と名乗らざるをえなかった)は数次にわたり8万6千余名を「満州」に送り込んだ。長野県、広島県出身が多かったと言うが、この記念塔(?)は1本(長野+岐阜)をのぞき広島県のもの。

続内原訓練所跡012
空襲で亡くなられた人々を慰霊した地蔵は東京や横浜で見たが、「勇者地蔵」というものは初めてでした。

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