写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

広電 袋町停留所前の旧日銀広島支店は、爆心地Hypo-center(島外科内科上空600m)から380m、ほぼ直撃だった。1、2階は鎧戸を閉じていたが、2階で書類を拡げ始めた18名の職員が被爆し8名が亡くなられ、3階に「建物疎開」で移転していた広島財務局職員12名が亡くなられ、通勤途上の職員も多数が犠牲になった。エレベーターは金属供出のため「空」だったため、火と風と放射線が一体となった巨大な熱風がここを通り抜け地下をも破壊した。建物本体が堅牢だったため残り、地下金庫も破壊を免れたので、破壊された周辺の銀行がここに集まり二日後から銀行業務を再開したという。天井の明かり取りも粉々となり、晴れた日には青空を眺めつつ、雨が降れば雨水をしのいで作業を遂行したという。

旧日銀001
停留所には電車が1台焼けただれていたという。

旧日銀002
真ん中が相生橋、その右手前が本川小学校、対岸(中州状のところは中島町~現 平和公園)が県産業奨励館(現 原爆ドーム)、その右に小さく赤い○×印が爆心地、さらに右へコンクリート建物の黒い影の最後が日銀ではないだろうか?
1946年1月米軍撮影。Paul w. Tibbetsは「エノラ・ゲイ」の機長(なお「エノラ・ゲイ」はTibbets大佐の母親の名前)、その他 爆撃手と航法士のサインがある(10/22追記)。

旧日銀003-1
1階。銀行らしい窓口だ。

旧日銀003-2
1階、通り側。

旧日銀004
2階支店長室には砕けたガラスが突き刺さった跡が残る。

旧日銀005
予約の生徒が来ないので、案内の女性が説明してくれた(左は見学者だが、市内の人のようでした)。

旧日銀007

旧日銀008

旧日銀009

旧日銀012(1)
地下。

旧日銀013 (2)
大金庫。

旧日銀014

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