写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

爆心地から北へ1370mの白島ハクシマに逓信病院があった。一階と地下は焼失を免れ外形も残り、被爆後の被爆者治療(および被災者と蜂谷院長の生活の場ともなった)の拠点のひとつとして大わらわであった。1991年刊行された『日本の原爆記録』第6巻所収の、当時の院長 蜂谷道彦「ヒロシマ日記」(2010年日本ブックエースより再刊)をぜひ読んでいただきたい。院長も太ももに棒切れ、首にガラスが突き立った状態で丸裸で廃墟と化した自分の病院にたどり着き、外科の勝部先生に全身30個所の大手術を受け一命を取り留める。後日克明なメモを整理しまとめた「日記」であり、8/6から9/30までが記録されている。8/11の日記には「痛快なニュース」として「あれと同じ爆弾が日本にもあったのだ」「アメリカ西海岸は大変なことだ。やっとるぜえ、シスコやサンチェゴ、ローサンゼルス、カリホルニア、西海岸は処置なしだ」「病院一同愁眉を開いた」といった流言飛語や差別的発言もふくめではあるが、実に貴重な記録です。(現在は逓信病院の北側に保存され、事前に連絡すれば警備の人が鍵を開けてくれます)

逓信病院資料室小001
北側別棟4階の貯金局にあった時計。

逓信病院資料室小002
資料室(旧 逓信病院外来棟の南側のみ保存)を南側より。一階の一番右がベイウィンドウになっている(復元。この写真では木に隠れている)外光を大きく採りこむ手術室。

逓信病院資料室小003
1945年10月8日菊池俊吉氏撮影(展示。キャプションが付いているが違っているようなのでカットしました)。被爆後ほぼ2ヶ月だが、久しぶりの晴天なのか布団が干され、左下(一階)では看護師か?本を読んでいる。

逓信病院資料室小004
タイル貼りの手術室。被爆時のままのタイルで、資料室のなかでも貴重なもの。

逓信病院資料室小005
同じく被爆時当時のままのタイルが貼られた殺菌室(器具などの殺菌)。

逓信病院資料室小006
ここは見学用ビデオと資料を置いた部屋(旧 化膿手術室と外科診察室を合わせて一室にしたと思われる)。外光を採り入れるように目一杯ガラス窓が取り付けられたのが建築家 山田守氏の優れた設計であったが、皮肉にも被爆によりガラスが吹き飛び、9月中旬の台風など風雨吹き込むなかでの治療&生活が強いられた。

逓信病院資料室小007
東側階段の踊り場も大きな窓になっている。

逓信病院資料室小008
東側を外から見る。

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