写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

Hiroshima, looking east January, 46 <アジア太平洋戦争⑦-7>  

*お断り:「アジア太平洋戦争⑦」は、これまでの「アジア太平洋戦争遺跡遺品①~⑥」の継続です。
前々作「380m(旧)日本銀行広島支店 袋町」の米軍撮影(William E Jones軍曹撮影、エノラ・ゲイ機長、爆撃手、航法士がサインしている)写真に写っている範囲で、今回わたしが撮影したところを掲載しました。本川小学校、袋町小学校など既報のところは今回省きました。

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その写真の左手前にある建物が、ここ「広島中央電話局西分局」跡、現 NTT広島西営業所(スポーツ施設)です。西十日市町。

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同写真で、爆心地(赤○×印)やや右奥が、360m(旧)帝国銀行広島支店、その後パン屋のアンデルセンが入り営業しているが、現在は建て替えのために鯉城通り紙屋町で営業中。ここが建て替え後にどういう形で残されるのかは不明ですが、「民間のパン屋さんがよく保存・維持してきました」という町の声を聞きました。

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被爆直後の(旧)帝国銀行広島支店(アンデルセン)、爆心側の西側が大きく崩壊しているのが分かります。広島市では被爆建物の当時の写真入り解説プレートを整備しています(写真の無いものもありますが)。

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同じ写真で相生橋を渡って向こう(東)にしばらく行った右側の建物が、八丁堀(胡町)の福屋デパート。蜂谷院長の「ヒロシマ日記」には「広島一の豪華版だった福屋デパートは爆風で窓が吹き飛び、中が焼けてしまって真黒になっている」「まるで洞窟そのものだ。その中から患者のうめき声がきこえてくる」。壊滅状態といえども外形が残った建物は被災者の救護の場となりました。

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広電「本通」停留所。

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比治山下の多聞院鐘楼(比治山町、1750m)は梁と天井板が破壊されたままの状態で保存されている。原子爆弾の炸裂と大火災によって焼き尽くされた広島の町で、木造建築物が残っているのは貴重です。

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その鐘楼の鐘には「NO MORE HIROSHIMA」と、梵語サンスクリットでも記されています。

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多聞院の仏塔の後ろに「駆逐艦浦波戦死者慰霊」のプレートがありました。1944年10月の「レイテ沖海戦」で撃沈されました。

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多聞院から比治山に上っていくと「陸軍墓地」があり、現在は市営墓地になっている。※陸軍墓地は隣接してか別の場所にあるようです、次回の撮影後に紹介させていただきます。
比治山で最も悲しい話は(ABCC関連の話もありますが)、張本勲氏(張勲チャンフン氏)が語るお姉さんの死の情景です。

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比治山の上には、旧ABCCのカマボコ舎があります(現 放射線影響研究所)。米軍はここで治療をせずに、多くの被爆者のデータを集め「来るべき」!?核戦争の準備をしていたのです。

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広島駅そばの浄光寺山門2100m。倒壊した本堂の陰になり残った、これも貴重な木造建築物です、原子野にぽつんと立っていました。

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広島駅そばの井戸ポンプ跡、これも2100mぐらいでしょうか?紙に「被爆ポンプです 残してください 永原富明 被爆二世」と書いてあります。駅前は再開発で近代的なビル群が、ジワジワと旧市街を締め付け追い詰めているように見えます。


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