写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤⑥⑦』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

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西北から暗雲 荏田<神奈川考③-4>  

15時、たまプラーザ東急のワコールにカミさんの肌着を受け取りに行く。応対はとても丁寧で感じが良く、おとこ一人でも不自然な感じはない。さて向かおうとして駐車場にいくと、にわかに西北に黒い雲が湧きだしている。それまでは穏やかな快晴で冬の丹沢が美しく、くっきり見えていたというのに雨か?福井に大雪をもたらした日本海を渡る湿った寒気がまたやってきたのだろうか、少し走り出すとやはり雨が降り出した…つかの間。by iPhone7
YOKOは1/31に退院しました。両腕手指の痛みと機能は少しずつ改善されましたが、退院後も引き続き同じ病院のリハビリに通院することになりました、明日がその2回目です。


積雪1センチ? 多摩プラーザ11時<神奈川考③-3>   

テレビの天気予報を見るかぎり神奈川県西部、東京三多摩地区はもう少し積もったようだが、横浜北部はテレビが騒ぐほどには積もらなかった。それでも、カミさんは2ヶ月美容院に通えず髪がだいぶ伸びてきて、車で連れていってやる予定だったが寒いと言ってけっきょく行かなかった。寒さが、固まった筋肉には痛く(文字通り痛く)応えるようであった。午後寒さ強まる。by iPhone7

雪小0202001

雪小0202003

雪小0202004

雪楽 横浜都筑<神奈川考③-2>  

2018年1月22日大雪。首都圏の交通網とりわけ自動車道が大混乱、18キロの山の手トンネルでは10時間にわたる「トン詰め」に遇いトイレ付きのリムジンに借りに行かなければならなかったようだ。だいたいあのトンネルは怖いよね、それで脱出したひとも続出、まぁ当然でしょう。わたしは治らない持病の薬をもらいに行かなければならないので、バスを乗り継いで帰りは歩いて「雪楽」しました。暖かく晴れて見る間に溶けていく。

雪楽001

雪楽002

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1/22(月)17:00横浜北部8センチの積雪<神奈川考③-1>  

まだ降ってます。明日の路面凍結が心配です、2キロ先の病院に行かなければならないので(こちらは自分の病気)その後カミさんの病院にも行かなければなりませんが、簡易アイゼンが威力を発揮するでしょう! (17:00雪模様というと街灯が点灯してけっこう暗いです)

大雪001

大雪002

大雪003

大雪004

どうも情報に疎いので何周おくれかの「推薦本」になりますが、名古屋空襲を描いた『あとかたの街』(講談社KC全5巻、BE LOVE2014年連載)です。作者おざわゆき さんは1964年生まれの戦後世代、というか経済白書の結びで「もはや戦後ではない」と記述されたのが1956年ですから「戦後世代」よりもお若いといえますが、シベリヤに抑留されていたお父さまの体験をマンガで表現した『凍りの掌』(2012年小池書院)に続いてお母さまの名古屋空襲体験を基に描いたのがこの『あとかたの街』です。両作品は2015年の「第44回日本漫画家協会賞コミック部門大賞」を受賞(『凍りの掌』は2012年文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞)しています。お母さまの体験を基軸としながら、他の名古屋空襲体験者にも取材し、いわゆる時代考証も緻密に描かれています。学業も食べる物も恋愛も取り上げられて工場に動員され執拗な空襲に逃げ惑う少女「あいちゃん」とその家族の目を通して、戦争の残虐さとそこに動員されていく人々の弱さ(そして醜さ)に泣かされました、傑作です!

あとかた001









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昨年11月、常滑にロケット迎撃機「秋水」燃料用の巨大甕を撮影に行き(土管と甕の街 アジア太平洋戦争⑦-9)、やや駆け足でまわった名古屋市内の戦争遺跡です。第一次世界大戦で登場した飛行機はまだまだ初歩的なものだったが、20年後には恐ろしい兵器となっていた。1937年4月のドイツ軍機によるゲルニカ空襲により不幸にも無差別空襲・焼夷弾の威力が確認され、第二次世界大戦での主要な兵器となった。日本の航空機は関東の中島飛行機と、名古屋の三菱重工を中心に発達したため、マリアナ諸島陥落後の1944年11月中島飛行機武蔵野製作所と同年12月三菱重工大幸工場への空襲から(主たる)本土空襲が開始された。今回歩いた廿軒家(ニジッケンヤ)から大幸、千種は3キロ四方の範囲だが、土地勘のないわたしにとってはずいぶん広く感じられた。

名古屋空襲奉安殿001
廿軒家秋葉神社横の民家?

名古屋空襲奉安殿002
廿軒家秋葉神社の奉安殿(天皇皇后の写真「御真影」、教育勅語の写しが納められ、小中学校を中心に建てられた)

名古屋空襲奉安殿003
陸自守山駐屯地(旧陸軍第三師団騎兵第三連隊)へ着陸中。

名古屋空襲奉安殿004
谷田川南側の旧三菱重工名古屋発動機製作所大幸工場の跡地はマンションなど、右手(西)奥にナゴヤドームがある。

名古屋空襲奉安殿005
同、旧大幸工場一角。

名古屋空襲奉安殿006
同、旧大幸工場一角。

名古屋空襲奉安殿007
千種公園(旧陸軍造兵廠千種製造所、飛行機の発動機を主に生産)に名古屋空襲痕跡を残す塀の一部が保存されている。

名古屋空襲奉安殿008
同塀の部分。

名古屋空襲奉安殿009
同塀の部分。

名古屋空襲奉安殿010
千種公園。

名古屋空襲奉安殿011
千種公園、山本正道「切株と少女」1988年。

名古屋空襲奉安殿012
千種公園前。

このシリーズはあまり続けたくないのだが、いまや全生活となっている。でもきょう1/11は森田一朗先生の写真展「時代の光と闇」を見に、銀座8丁目まで行ってきました。YくんとSさんを引き合わせて、よかった、でもみなさん確実に老けていく。先生へのレポートをどうまとめようか?やはりサーカスが中心だろう。YOKOは奇跡的な早さで歩けるようになり、階段の上り下りもしている。両手両腕は思わしくないが。明日は諸手続きで役所をいくつか回る。

YOKO病室から銀座001
YOKO病室から246

YOKO病室から銀座002
GINZA6

YOKO病室から銀座003
銀座8

YOKO病室から銀座004
銀座7

YOKO病室から銀座005
銀座8高速下

YOKO病室から銀座006
GINZA6裏

YOKO病室から銀座007
GINZA6裏

YOKO病室から銀座008
銀座8ヴァニラ画廊

・銭湯の出口で待ち合わせた夏目坂そんな歌が流行っていた
・左右3キロの握力は握れるということ
・初入浴あとの6メートル歩行腕振り看護師拍手
・装具に固められた頬に笑顔
・箸をつかめた文字が書けたと幼子見る母のごとし第三京浜夜
(1/1からのリハビリで驚くべき回復力を示しています。きょう1/12は外を歩行しました。退院後のリハビリが課題ですが)




病院へ病院で<樹木派YOKO編①-1>  

2017年12月23日9時58分はわたしたち夫婦には忘れられない「時」となった。YOKOの転倒と神経系統の損傷。年賀状も投函し、クリスマスと新年へと盛り上がる街の中で呆然と孤立感と不安感を感じる年の瀬となった。日常、気まぐれに無手勝流で作っていた「1行詩」を末尾に入れてみました。


by iPhone7 病院まで歩いて45分、快晴が続くが心はどんより


by iPhone7 上体(首と両腕・手)が動かないYOKOは足にテントウ虫のナースコールを付けて、引っ張る、胴体部分のマグネットが外れナースステーションに伝わる

・血流し横たわる妻246渋滞し電車は定時に走っている
・手術室に入るYOKOのじゃあねに返す言葉なし
・待合い通路日向ぼっこの手術待つ日差しも弱く
・手術室入る(イル)YOKOふるさとの大雪を想う
・ストレッチャーに括られ泣き叫ぶ少女元旦
・YOKO不在正月朝のコーヒー旨し寂し
・10メートルの歩き初めどこから涙が湧いてくるのか
(2017/12/23事故、12/29頸椎手術成功、2018/1/1~リハビリ開始、「料理ができるところまでは回復しましょう」理学療法士とYOKOが目標を据えた)


明けましておめでとうございます、本年もよろしくお願いします!
(まんさくの花)(昨年末に家内が大けが、12/29に手術成功あわただしい年越しとなり今日からベッド上でリハビリ開始、今年は「家内安全第一カミサンノカイフクイチバン」ペースでやっていきますので写真ペース大幅ダウンになりそうですが)

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