写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

運の良いことに国立慶州博物館では3/7~5/7まで、2015年に世界遺産に登録された百済Baekjeの歴史遺跡(公州、扶余、益山)の特別展800点を行っていました。現在の慶州を都とした新羅文化と、西に位置した百済文化を同時に見ることができたわけですが、今回は「小倉コレクション」との関連で新羅出土品・遺品をとりあげました。古都慶州は、韓国の市街としては珍しく「高層アパート群」のない(市内は規制されて、郊外にありますが)落ち着いた街です。市内いたるところに古墳が連なり(次回)、まだまだあちこちで発掘が行われています・・今後さらに古代の朝鮮半島の文化が解明されることでしょう(ただし、車には要注意!です)。

・001金冠5C新羅
金冠5C新羅。

・002金冠金袴帯6C天馬塚
金冠金袴帯6C天馬塚。

・003金製耳飾5-6C新羅
金製耳飾5-6C新羅.。

・004金鳥翼形冠飾
金鳥翼形冠飾。

・005金銅製飾履新羅
金銅製飾履新羅。

・006金銅仏立像9C統一新羅
金銅仏立像9C統一新羅。

・007人物土偶
人物土偶。

・008石像観音菩薩立像8C統一新羅慶州狼山
石像観音菩薩立像8C統一新羅慶州狼山。

・009石仏立体拓本新羅
石仏立体拓本新羅。

・010土製瓶類新羅
土製瓶類新羅。

・011南山弥勒三尊像7C新羅
南山弥勒三尊像7C新羅。

・012百済特別展石板文字
百済特別展石板文字に見入る人。

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以上「小倉コレクション」(既出)に極めて類似する出土品を中心に(これは、いっぱいありました)を載せました。以下「小倉コレクション」と、最後は1925年ごろに南山で出土した弥勒菩薩像の写真です。

小倉コレクション5C金冠
小倉コレクション5C金冠。

小倉コレクション金製耳飾
小倉コレクション金製耳飾。

小倉コレクション6C鳥形冠飾
小倉コレクション6C鳥形冠飾。

小倉コレクション 8C薬師如来
小倉コレクション 8C薬師如来。

小倉コレクション5-6C土偶
小倉コレクション5-6C土偶。

1925年ごろ発掘時
1925年ごろ発掘時の弥勒仏の写真。

乃台事件 釜山Busan<アジア太平洋戦争⑥-13>  

この2月に出版された小説『関釜連絡船上下』(李炳注イ・ビョンジュ、藤原書店)下巻の頭に出てくる事件です。また、2003年の『韓国歴史漫歩』(神谷丹路カミヤ・ニジ、明石書店)の189ページに「最後の独立運動-乃台事件-」と描かれてもいます。(『連絡船』からほぼ引用ですが・・・)
1940年11月23日釜山公設運動場で慶尚南道内の中等学生の第二回学徒戦力増強国防競技会が開かれた(種目は戦時色濃厚なものだった)。前年は東莱DONGNAE中学が1位だった、同中学は朝鮮人の通う学校だった。審判長の慶南地区衛戍(駐屯の意)司令官兼中等学校軍事教練総監督官の乃台大佐は、前年の優勝校から入場行進を始める規定を無視し日本人学校である釜山中学校を筆頭に入場させた。東莱中学生徒がこれに抗議したが受け入れられず、競技でも東莱中学が1位になった種目は「判定保留」として後に減点すること10数種目にわたった。優勝のかかる最終競技でも東莱中学が1位になったが、乃台審判長の命令で服装検査をし東莱中学を失格とし、釜山中学を優勝させた。閉会宣言後、東莱中学生徒を筆頭に抗議し、二手に分かれた抗議デモが運動場から始まり、一部は乃台大佐の官舎に投石した。デモ解散後の夜から一斉検挙が始まり、150名の生徒が検挙され、東莱中学学生4名、釜山二商生徒6名が拘束起訴された。・・・『歴史漫歩』では、閉会式の君が代斉唱の時に、朝鮮人生徒たちはアリランを歌い「テンノウヘイカゼンザイ!」を叫び・・・夜の憲兵隊の報復により東莱中学9名、釜山二商6名が拘束され6~8ヶ月の実刑に処されたという。東莱中学の後身の東莱高校では「11月23日」を「東莱高校の日」と定め、毎年記念行事を行っている~とのことです。
※(大佐とその取巻きたちの行為は)実に大人げないものですが、「内鮮一体」を標榜した植民地支配の実態をもまた現しています。

乃台事件001
東莱高校校門、横断幕はこのとき引き揚げられた「セウォル号事故3年の追悼」のものです。

乃台事件002
高校の周囲をまわってみました、小さな雑穀屋さん(その前に露天の八百屋さんに小さく味の良いトマトをいただきました)。

乃台事件003
伝燈寺。

乃台事件004
下が携帯電話店で、上が英語塾でしょうか。

乃台事件005
この奥は中層のマンションになっています、そのゲート。

乃台事件006
「運動場」の場所が分からず「近代歴史館」に向かう。植民地時代のメイン・ストリート「大庁路」からの「釜山タワー」(工事中)、このタワーを中心に日本租界があった(江戸期の草梁倭館跡地)、日本人街は埋め立てにより拡大された。

乃台事件007
釜山近代歴史館(旧東洋拓殖株式会社釜山支店1920年建立~単なる会社ではなく、植民地支配の中枢)。

乃台事件008
1930年の「大庁路」の写真(近代歴史館展示)、右が東洋拓殖株式会社釜山支店。

乃台事件009
近代歴史館で「運動場」を確定し、公設九徳運動場に行く。韓国の公園、河岸などにはこうした運動器具が設置され利用されています(九徳運動場)。

乃台事件010
現在は立派な運動場・競技場になっている、背後の高層アパートはいまでは韓国の典型となっています(既述)。

乃台事件011
運動場東方面。

乃台事件012
運動場南側(「エンジン修理」と書いてあります)。

韓国で地下鉄のある都市は、ソウル、仁川、釜山、大邱、光州、大田の6市。鉄道は在来線とKTX(快適な新幹線)ですが、バス網も発達していて多くの人々が利用しています。ちょっとした町には、「市外バスターミナル」その近くに「市内バスターミナル」があって繋がっています。そのターミナルの周囲には食堂、雑貨、宿泊施設などが最低限そろっていますので、大変便利です。※鉄道は、釜山~ソウル(植民地時代の「京城」)を経て中国東北部(同「満州」「満鉄」)に繋がっていて、日本の侵略の大動脈となっていました。※昨日、水原での韓国水原-川崎のサッカーで川崎サポーターが旭日旗を持ち込み没収されたということです、川崎サポーターはかつての侵略と戦争を知らないのでしょうか?(水原といえば、提岩里JEAMRI事件の地にも近いというのに・・・わたしの世代ではベトナム戦争時のソンミ村事件を思い出させます)

ノポ釜山総合バスターミナル001
地下鉄1号線終点「老圃NOPO」と釜山総合バスターミナル(東部-西部にもある)を結ぶ通路は食事、衣服、日用品など必要最低限の品がそろう。

ノポ釜山総合バスターミナル002
看板真ん中の黒いハングルが「ODEN」と読む、文字通り日本の「おでん」、練り製品が中心で味付けも少し違うが「おでん」そのものでした。

ノポ釜山総合バスターミナル003
大きなチケット窓口があるが、自動券売機を使って購入する人が増えているようだ。

ノポ釜山総合バスターミナル004
これは昼間撮影したものだが、右手に100台ぐらいが待っていて、発車時間が近づくと左のプラットフォーム(番線)に入る。

ノポ釜山総合バスターミナル005
乗車時にチケットをセンサーにかざすと、予約された席がオレンジに変わる、予約しても来ていないと緑のままなので運転士がさがす。

ノポ釜山総合バスターミナル006
韓国の交通費はとても安い。今回は釜山BUSAN~慶州GYEONGJUまで高速バスで50分、40キロ余だろうか、円換算すると480円(4,800ウォン、為替が関係するにしても安い、タクシー、KTXなど鉄道も・・日本が高すぎるとも言える)。

ノポ釜山総合バスターミナル007
老圃NOPO

ノポ釜山総合バスターミナル008
釜山の人気ナンバーワンは「ODEN」で間違いなし、朝も昼も夜も長い串のODENを食べている、カラシがないのが残念。

ノポ釜山総合バスターミナル009
共働きご夫婦(らしい人)の娘さんたちも地下鉄車内でこんな感じです。街中にもいっぱい屋台が出ます。

ノポ釜山総合バスターミナル010
黒っぽい服装の人がけっこういて、最初は警備関係の人かと思いましたが普通の労働者のようでした。一杯飲んでいっしょに帰るところです。

ノポ釜山総合バスターミナル011
韓国の鉄道駅周辺の典型的風景となった高層アパート群と教会・・・一号線車内から。

ノポ釜山総合バスターミナル012
西面SEOMYEON。

湘南晴れ 葉山一色長者ヶ崎<神奈川考②-9>  

北海道の従弟から、「桜どころかこっちは吹雪です」と雪の写真が送られてきました。それでも満開前線は明日が仙台で、着実に津軽海峡を越えて札幌に行きます、5月ライラックと同じ頃?。葉山の神奈川県立近代美術館で「砂澤ビッキ展」をやっているので、あまり宣伝されないうちに見に行こうと朝一番。最初から最後までわたし一人で、贅沢な一日を過ごすことができました。最後にビデオを見ると、ビッキの工房は激しい吹雪に埋もれかかっていました、そうだ次は北海道でビッキを見なければ!

葉山へ001
展覧会のためにビッキの作品「樹華」を再制作したもの。中は写真撮影禁止。

葉山へ002
美術館で。

葉山へ003
西雅秋「イノセンス-火」1991年作、(るつぼだそうです)。

葉山へ004
西雅秋「大地の雌型より」2003-2005年作。

葉山へ005
タブノキ。

葉山へ006


葉山へ007
保田晴彦「地平の幕舎」1993年作。

葉山へ008
オオシマザクラか分かりませんが、2017年最後の桜(館内)。

葉山へ009
館内より。

葉山へ010
美術館前。

葉山へ011
美術館前。

葉山へ012
長者ヶ崎。きれいに晴れてもきょうは富士山は見えず、伊豆半島がぼんやりと横たわっていました。

さかの街はなの街 横浜山手<神奈川考②-8>  

南風が一日中つよく吹きたったいま収まりました。でも天気は上々、横浜のソメイヨシノにもきょう満開宣言がでました。横浜は山というか丘と谷の街です。ほんとうは階段が多い山手地区の階段を徹底的に撮ってやろうと考えましたが(いつも妄想ばかり)、せっかくの満開なので花と階段を撮ることに方針替え。尾根直下の崖にいっぱい咲いています、しかし区画整理がされていないので階段も多いのですが、同じ理由から上っていっても袋小路が多く満開の木にたどり着けません。けっきょく最後は「山手公園」に上ってしっかり堪能しましたが。
「山手公園」あたりは有名な学校や教会などが多く、日本最初の「西洋式公園」で最初の「テニス」を始めたところで最初の「電話ボックス」を設置したところで・・・横浜はいたるところにそんな看板が出ています。むかし外国の居留地だったからですね。


001山手満開日
その崖のみごとなソメイヨシノなのですが、けっきょくたどり着けず、対岸(北側の丘)から。

002山手満開日
こんな階段ばかり、上っていくと2~3軒あってどん詰まりだったり・・・。

003山手満開日
ハナニラ、階段の途中で。

004山手満開日
ここは階段と桜、理想的です。右の桜の花を手にした男の子の家、女の子もここの桜を手折りたかったのですがわたしがいるので躊躇しやめました、ごめんね。

005山手満開日
まぁこんな感じ、この階段は山手公園にかろうじてつながっていました。

006山手満開日
山手公園、ギター片手の若者が歌を・・うまいので動画を撮ったのですが編集がうまくいかず(明日か?)

007山手満開日
ソメイヨシノ。

008山手満開日
ソメイヨシノ。

009山手満開日
オオシマザクラ?イヌと見上げる男性と・・・。

010山手満開日
オオシマザクラ?

011山手満開日
出口~裏から入ったので入口です。人はあまり出ていません。

012山手満開日
クヌギ。

きょうのいちおし④ 三井為友『南海虜囚の詩』  

「いちおし」今年最初の本ですので、ぜひ皆さんに読んでいただきたいのですが・・・なかなか手に入らない詩集です。いまamazonを覗くと『南海虜囚の詩』は1976年著者本人版で出ているものと1981年(諏訪市)檸檬社版の二種類がありますが、いずれも「現在在庫切れです」となっています。元々の出版部数が少ないので、古書店をさがしてもなかなか見つからないようです。
前者(豪華装丁)と後者は装丁を別とすれば同じなのかというと少し違うようです。1981年版の「まえがき」によると、前者は「北ボルネオ捕虜収容所で書きとめておいた詩や感想文(を)~1976年末の誕生日の記念(の)詩集として刊行」したが(300部)、知友・戦友の要望が強く「帰国後書いた二篇と、前回省略した六篇を加え、三部に編成しなおした」のが後者1981年版だそうです(わたしが読んだのは1981年版です)。三部編成の全23の詩篇となっていますが、うち4番目の詩「自由」は豪州兵 隊内新聞に載ったT.H.サンダーズ伍長の詩を著者が訳したものです。詩と、詳細な「あとがき(詩の注記)」をもって全作品となっています、じっさい「あとがき」がなければ前後の事情が分かりません。
1944年5月に赤紙招集され、金沢から「北満」に配属も束の間、同年7月に「北ボルネオに移動し、信州初年兵600名のうち、500名が南方の露と消え」「編入された~速射砲中隊へは、信州初年兵30名が入ったが、このうち生還し得た者は4名であった」という、制海権がすでになく輸送船が次々と沈められていくなかで9月にボルネオ西部に上陸、10月にはサンダカン東のタンビサン水道を移動中に敵機に襲われ・・略・・1945年4月サンダカンから、西方の現コタキナバルまでのジャングル内の横断行軍「死の行進でたおれた者は、初期にサンダカンから護送された英軍人捕虜を含め、実に1万をこえるといわれる」。1ヶ月余の一方的に激しい弾雨にさらされる戦闘中に敗戦を迎え、捕虜収容所に入れられる。
帰国後に書いた2篇以外の20篇は、すべて「刺線無情(ばらせんつれなく)」(第一部の題名)ふるさとの想い出、少年時代、父母、戦友、そして行軍と戦闘が詠われていくがそれらは鉄条網の内側からの詩でありました。海のない信州で育った著者の詩篇「遠い遠い少年の日」の「~海は恐ろしく 声たかく 荒々しく 私の心を呑みこんだ~」海は、30代の筆者に「~襲いかかる大波と滝の雨に抗して われわれは死にもの狂いで 船底の水を搔き出した~」記憶を失いやがて「そこにあるものは黒い無限の大地と 青い無限の海だけだ」として目の前に現れます。また、詩篇「ある墓碑銘」は狂い死にしていった戦友を詠う、「ここ―南海の小島の 椰子の葉しげるところ 南沢 実―ついに眠らず」眠らずなのです。
今回の「いちおし」の詩集は、じつは高校の同級生三井さんのお父様のものです。なお、この死の行軍中に多くの豪州・英国の捕虜を死なせ、のちに「サンダカン死の行進」として豪州軍により戦争犯罪が裁かれる問題はこの詩集の主たるテーマではないようですが、同時に押さえておくべき事実ではあります。


南海虜囚の詩 小

横浜大空襲その2 元町周辺<アジア太平洋戦争⑥-11>  

わたしが小学校1年というとそろそろ戦後10年というころですが、日本への空襲は「木と紙の家」を焼き尽くす焼夷弾が主でしたから(通常爆弾、機銃掃射、艦砲射撃もあったが)鉄筋コンクリートの建物は比較的のこっていた。その焼け跡に人が住み、通学のときになぜか怖い思いを抱いた・・・住んでいる人に大変申し訳ないことでした。※モノクロ写真は横浜市のサイトのものをお借りしました。※ついでに言っておくと、都内には空襲で焼け出された人々がバラックに住んでいるところがいくつもありました(1964年の東京オリンピック前に取り壊し都営住宅などに移転・入居)。わたしのクラスにもそこから通っている子がいて、何か無くなると先生が彼を疑る(公言する)のですからひどい民主教育でした。こういうことを書くと抑制が効かなくなってあれもこれもとなりそうですがひと言、1958年に東京アジア大会が開かれ、オリンピックの誘致が目的でした。このころから、外国人にきたないところを見せてはみっともない~という日本人特有の意識が強く働き、バラックの撤去、まだ漁村だった羽田は日本の玄関口になるのに汚いというので、都内に入る道路の両側に企業の大看板を付けて見えなくしました「臭い物にはフタ」です。川は暗渠(どぶ下水)になりました。

001汐汲坂から中華街方面
汐汲坂から中華街方面(手前が元町)

002百段坂公園から中華街方面
百段坂公園(汐汲坂の東側、むかしは百一段の階段の上だったが関東大震災で階段は崩壊した)から中華街、左手が「みなとみらい」、まったく面影がない!

003フェイリスから西の橋
フェリスから、手前の大きな橋が西の橋むこうが関内方面(磯子線は1964年にできる)

004フェイリスから石川町
フェリスから石川町、前の写真の左手にあった3つのビルがこの右手のビル(現在も似たようなビルがあるが、戦後のもののようだ)。おなじ連続写真だが横浜中心部はビルが多いので焼け残っているが、こちらは「木と紙の家」なので焼夷弾によって焼け野原になっているのが分かる。

005堀川西の橋東寄り
現在の西の橋(東側より)。東京同様、川・運河の上は首都高3号線と横羽線が交差していて昔の面影がないというか、土地勘のないわたしなどはどっちがどっちだか分からなくなる。右に行くと中華街へ(中華街から元町商店街へと人が流れる)

006元町商店街
丸焼けとなった元町商店街

007元町商店街
現在(4/2)の元町商店街、おしゃれな街として人気がある

008元町商店街
同じく元町商店街、4/2は日曜日それも久々に暖かくなったのでこれから人がでてくる







萌え出づ 神代植物公園と周辺<東京TOKYO④-3>  

昨日(3/28)撮影しました。季節物、とりわけ植物は成長・変化が早いのですぐにアップしないといけませんね。サクラは早咲きのカンザクラなどがもう見頃を過ぎていましたが、神代植物公園が本家のジンダイアケボノはまだ2分咲き、ソメイヨシノは開花したばかりでした。急に冷えたので例年より遅いようです、かえってモクレン、コブシ、ミツマタなどが見頃といえば見頃でした。園内には一部武蔵野の面影をのこした区画があります、とくに花が咲いているわけでもない一画ですが落ち着くところです。

深大寺001
クスノキ、神代植物公園入口

深大寺002
モクレン、植物公園内

深大寺003
イヌシデ、植物公園内、武蔵野を代表する「クヌギ」「コナラ」などとともに代表選手

深大寺004
イヌシデ、同所

深大寺005
イヌシデ、同所

深大寺006
トサミズキ、同所

深大寺007
ミツマタ、同所

深大寺008
ハンノキか? 水性植物園内

深大寺009
不明、植物公園内

深大寺010
これもイヌシデか?植物公園内

深大寺011
不明、咲く時季にもう一度、植物公園内

深大寺012
ユズリハ、深大寺前


2/2付の「小倉コレクション」の続編となります。異国の文化財とりわけ美術品に魅了されて蒐集する、その気持ちは理解できます。20世紀初頭から東京にきたイギリス人弁護士ジョン・ガスビーはそうした蒐集家の一人で、高麗青磁に憑かれ「ガスビーコレクション」といわれていた。しかし1936年の「226事件」を契機に日本とイギリスの関係を危惧し、全コレクションを韓国人の澗松(全鎣弼)に手渡し、日中戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争にも耐え抜き現在も韓国に保存されている(「失われた朝鮮文化」李亀烈)、という話もありますが(ガスビーの手に渡るまでの高麗青磁の遍歴は?という問題は残りますが)むしろ例外的な話で、日本を始め諸外国のコレクターに「死蔵」されているものの方が圧倒的に多いようです。

001多紐細文鏡BC3-1C慶尚南道小倉
多紐細文鏡BC3-1C慶尚南道

002壺BC1-AD3C平壌小倉
壺BC1-AD3C平壌

003緑釉竈1-3C楽浪古墳小倉
緑釉竈1-3C楽浪古墳。竈かまどのミニチュア、死者があの世でも暮らしていけるようにとの副葬品。

004金冠塚出土刀装具5C慶州小倉
金冠塚出土刀装具5C慶州

005銅製鐎斗6C慶尚南道小倉
銅製鐎斗6C慶尚南道

006鳥翼形冠飾6C昌寧小倉
鳥翼形冠飾6C昌寧。死者(強大な首長)に着ける飾り。

007印花文壺6-7C土製小倉
印花文壺6-7C土製

008緑釉壺7C陶製小倉
緑釉壺7C陶製

009孔雀明王座像7C小倉
孔雀明王座像7C

010慶州南山出土品8C小倉
慶州南山出土品8C

011瓦塔8-9C土製小倉
瓦塔8-9C土製

012金銅八角舎利塔8-9C光陽小倉
金銅八角舎利塔8-9C光陽


上野三色 東博<東京TOKYO④-2>  

東博(東京国立博物館)東洋館の撮影に行き、本館裏の庭園をみてきました。モクレンは、よそはもう咲きすぎていますがここは日当たりが悪いせいかちょうどよく満開でした。桜はエドヒガンシダレが見頃。上野公園のソメイヨシノはまだですが、人が出る前に家族連れでお弁当を食べたりプチ花見を楽しんでいる人も少し、賢い選択かも知れません。※1点「ミカドヨシノ」を追加で「三色」にしました(3/24)。


モクレン


サクラ-エドヒガンシダレ


ミカドヨシノ


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