写真集HIDSBY’s Photographs

『樹木派』『アジア太平洋戦争遺跡遺品①②③④⑤』、さらに『田園の憂鬱』が2011年5月完結、『充電式日録』『或日或処』『東京TOKYO』と、てんこ盛り過ぎ!

あなた知ってる港よこはま 伊勢佐木町<神奈川考②-1>  

伊勢佐木町は学生時代にたまに行っていました。といっても「伊勢佐木町ブルース」の夜の街ではなく、有隣堂本店と古書店が目当てでした。関内からの通りはまっすぐ伊勢佐木町1丁目から7丁目までが繁華街、そのまま南吉田町へいくと住宅街になって大岡川にかかる山王橋をわたり佐藤病院まで、このあたりにはカモメが舞っているのも横浜らしい。しかし、有隣堂本店は客もまばらで書店員もすっかり少なくなり向かいの松坂屋が撤退して寂しい。かつては不況になるとこの辺まで失業者があぶれてきていたものですが、いまは高齢化してあまりみかけません、ぎゃくにアジア系の人たちが多くなって町並みもずいぶん変わりました。

伊勢佐木町吉田町001

伊勢佐木町吉田町002

伊勢佐木町吉田町003

伊勢佐木町吉田町004
欠けた豆や虫食いの豆をより分けていました「(手先を動かして)老化防止だよ」。わが家近くの「まめや」も系列の店だそうです。

伊勢佐木町吉田町005

伊勢佐木町吉田町005-2

伊勢佐木町吉田町006

伊勢佐木町吉田町007
そういえば岡本岡村喬生(オペラ歌手)は元気だろうか?

伊勢佐木町吉田町008

伊勢佐木町吉田町009

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大英博物館、ルーヴル美術館をはじめ、かつての植民地宗主国の主要な美術館収蔵品は、その植民地の(合法=購入など、非合法=収奪、強奪、盗掘など)宗教的歴史的文物や美術工芸品が中心になっている。旧植民地側からは当然ながら返還の要求があるが、メトロポリタン美術館などの一部を除いて返還の動きは少ない。
日本の植民地時代の朝鮮では、電力事業を推し進めた小倉武之助が古美術の収集を行い、数千点を所有していた。敗戦時にそのうちの1000余点を船で日本に運び「小倉コレクション」として保存していたが、1960年代の日韓条約の交渉時に韓国側から返還を求められた。しかし、日本側は「個人の所有物」ということで突っぱね、小倉の死後、国立博物館(上野)に寄贈され現在東洋館で一部であるが公開されている。この「小倉コレクション」については、もう少し調べていこうと考えています。
追記:岩波新書『コロニアリズムと文化財』(2012年、荒井信一)が分かりやすくまとめている。とりわけ、21世紀に入り多くの美術館、博物館、大学などから「寄贈」という形が多いが、実質返還が実現している。とはいえ、それは全体のごくごくわずかな胎動でしかない。~3/1記
。       

小倉001 冠5C
冠 5C

小倉002 薫炉BC2~1C
薫炉 BC2~1C

小倉003 高坏BC4~2C
高坏 BC4~2C

小倉004 毘盧舎那仏立像9~10C
毘盧舎那仏立像 9~10C

小倉005 薬師如来立像7C
薬師如来立像 7C

小倉006 獣文飾板BC3~1C
獣文飾板 BC3~1C

小倉007 単龍文環頭大刀6C
単龍文環頭大刀 6C

小倉008 土偶5~6C
土偶 5~6C

小倉009 土製勾玉5~6C
土製勾玉 5~6C

小倉010 緑釉博山炉1~3C
緑釉博山炉 1~3C

小倉011 銅製三環鈴5~6C
銅製三環鈴 5~6C

小倉012 菩薩半跏像7C
菩薩半跏像 7C

ラスコー展2/19まで 上野科学博物館<東京TOKYO④-2>   

上野国立博物館東洋館へ行った帰り、科学博物館でやっている「ラスコー展」を見た。1940年に遊んでいた少年の犬が穴に落ちて、この洞窟を発見した。以降科学的な調査、写真撮影などがおこなわれる一方、見学はあまり規制を受けずにおこなわれ、壁画・洞窟の劣化が著しく現在は非公開になっている。1983年からレプリカが造られ、こちらが公開されているが、今回の展示はもちろんレプリカで一部分ですが、さすが科学博物館、現地に行ってレプリカとはいえ洞窟内を歩いて見てみたくなった・・・2/19日曜日までです。

ラスコー壁画レプリカ001

ラスコー壁画レプリカ002

ラスコー壁画レプリカ003

ラスコー壁画レプリカ004

ラスコー壁画レプリカ005

木曜日冬晴れ 小石川植物園<東京TOKYO④-1>  

西日本の日本海側を中心に大雪だが東京は晴れ(昨日1/26)。風もなく暖かでおだやかです。毎年行く小石川植物園は、花といえばいまは、マンサク(貧弱な木が少し)、ツバキ、カンザクラ、そして日本庭園のウメだけで、あまり華やかな時季ではないので午前中はほとんど人がいませんでした。昼ごろから少しずつ入園者が出てきましたが、人出というほどでもありません、それだけのんびりと見てまわれるわけです。【付録】は補修工事が終わった「旧東京医学校本館」(現東京大学総合研究博物館~公開中)は植物園の一番奥にあり、いったん植物園を出ることになるので今回は外観だけとなりました。

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マンサク

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イトラン?

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シダ

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カンザクラ

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クスノキ

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クマザサ

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トキワマンサク

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ツバキ

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ウメ

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イタリアヤマナラシ

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ミズカンナ

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メタセコイア

【付録】旧東京医学校本館(重文)
32171004230_5b3dd4ccf7[1]

あたたかな日ざしもとめて 南房総<或日或処⑥-2>  

毎年恒例となった冬の南房総サイクリング、今年はうまく予定が立たず直前の1/17晩に宿の予約を入れ、1/18早朝家を出た。あたたかい南房総とはいっても例年10時ぐらいまでは寒さをがまんの走りだが、今回はまったく寒くない?スギ花粉がもう舞っているのか、涙と鼻水に見舞われる。毎回海岸に沿った道を走るのだが、今回は少し迂回してさらに海側の小集落へと入ってみた~しかしはじめてだと思ったところが記憶があり、これまでに走ったことがあるところばかり、それでも久々の新鮮爽快!

南房総2017001
保田。アジを大中小と分けて桶に入れる。

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保田。セイゴ(小さめのスズキ)。

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鋸南。

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鋸南。若者がスズキを釣り上げ計測中(70センチ)。

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鋸南。網の整理作業。

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北条(館山湾、駅前の繁華街はさびれてこの海岸側にきれいな道路ができたが・・・)。

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勝山。ウミウ。

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小浦。ロウバイ。

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波左間。

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小浦。

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千倉。

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東京湾(海ほたるより、真ん中右寄りにランドマークタワーがかすんでいる)。



昼に雪が少し舞ったが江東の寺社は「七福神巡り」で人が出ていた。昨年の2月3月と「江東墨田の地蔵尊」として、1945年3月(9日から)10日の東京大空襲を4回にわたって追ったが、江東区側をが写していなかった。その宿題として年明け早々(昨日1/14)、木場公園の周囲をぐるっと回ってみた。3キロ×3キロほどの狭い範囲だったが、慰霊と平和を願う地蔵尊や慰霊碑、遺跡があり、地元の方と話せば肉親たちが東陽町方面に逃げて行ったきり行方不明になり、母親は小名木川に浸かって助かった(川や池に逃げて亡くなられた方も多いのだが)という話をしてくれました。いまはあまり活用されていませんが、水路が縦横に発達した水の町でもあります。

木場公園周辺の地蔵尊001
木場 新田橋

木場公園周辺の地蔵尊002
洲崎

木場公園周辺の地蔵尊003
西洲崎橋 親子地蔵尊と慰霊碑

木場公園周辺の地蔵尊003-2
西洲崎橋

木場公園周辺の地蔵尊004
平久橋(へいきゅうばし) 江戸期の高潮被害時の「波除碑(これより先に家を建ててはならないの碑)」、戦災殉難者慰霊塔とならび橋の遺構と思われるものがあった(地元の人に聞いたが、何かは分かりませんでした)

木場公園周辺の地蔵尊005
木場

木場公園周辺の地蔵尊006
冬木弁財天(七福神巡り)

木場公園周辺の地蔵尊007
冬木弁財天境内

木場公園周辺の地蔵尊011
白河 延命地蔵尊

木場公園周辺の地蔵尊012
森下 八百霊地蔵尊(深川高橋五丁目町民犠牲者800人を慰霊して)

木場公園周辺の地蔵尊013
猿江 重願寺みまもり観音と関根正二の墓の案内

木場公園周辺の地蔵尊016
砂町 六地蔵の暗い片隅に

木場公園周辺の地蔵尊017
砂町 六地蔵

木場公園周辺の地蔵尊018
東陽 深川親子地蔵尊

木場公園周辺の地蔵尊019
小名木川

京都仏像巡り 泉涌寺広隆寺東寺など<或日或処⑥-1>  

土日とか連休といった人の出るときは家か近所でひっそりしているのが通常ですが、今回はたまたま正月の7日からの3連休に会社の保養所が空いていて、かみさんと京都仏像巡りとなりました。国立博物館、泉涌寺、国立博物館、三十三間堂、広隆寺、六波羅密寺、東寺とまわりましたが、雨がちの天気のせいか市内は落ち着いた感じで、お寺も見学者が少なく広隆寺などは私たちだけでゆっくりと見ることができました。広隆寺の有名な弥勒菩薩は、その昔、京大生がその魅力に取り憑かれ頬ずりをしようとして指を折ってしまい逃亡した「大事件」がありました~そういうことはよく覚えているので調べてみると1960年8月で、わたしの大入院生活を終えた=退院したときで印象が強いのかも知れません。残念ながら、仏像はすべて撮影禁止ですので写っておりませんが。

京都仏像めぐり001
京都駅新幹線下

京都仏像めぐり002
泉涌寺手前

京都仏像めぐり003
泉涌寺

京都仏像めぐり004
広隆寺

京都仏像めぐり005
京都国立博物館、玉眼を内部から見る

京都仏像めぐり006
同、再度組み立てる

京都仏像めぐり007
太秦広隆寺駅

京都仏像めぐり008
仏光寺西洞院

京都仏像めぐり009
上記近く

京都仏像めぐり010
京都国立博物館

京都仏像めぐり011


京都仏像めぐり012
嵐山

明けましておめでとうございます!!!  

皆さま、明けましておめでとうございます!!! 旧年中は大変お世話になりました、本年もよろしくお願いいたします。

ウメ春右上24617377906_94718fcfae_z

ともだち2016年<或日或処⑤-13>  

今年お会いした人々です、友人・親戚・知らないひとも・・・お世話になりました、来年もよろしくお願いいたします。


鳥取からNさん、池袋


イタリアからAlessandraとかれ、池袋


I くん、四谷


Kくん(左)、Fくん(右)、駒込


Oくん、Oさん、神田


Eくん、代々木


Sくん、代々木


おれ、横浜


鳥取駅フォームで


伯母、育ての母97歳、永福町


左から、おれ、Fさん、Aさん、Spike、秩父


Kさん(自転車仲間)、東久留米


自転車仲間Jさん偲ぶ会で、ご長男ご夫妻、大森


Kくん(中学同級)、四谷


心の唄Kくん、Kさん、四谷


うさぎの着ぐるみアーティストSpikeは、毎日克明な日記を綴る、秩父


Sくん(左、キャパのポーズ?)、Yくん(右、上田で大写真展、来年は某県立美術館らしい)、上田


Mさん(左)、Uさん(ちょっと元気なかった?)、駒込


心の唄、波の音、駒込
いつも当ブログへのアクセス、誠にありがとうございます。
これまでは、4~5本/月ペースで写真をアップしてきましたが、ごらんのように11月と12月は各1本となり申し訳ありません。ひとえに、わたしの個人的な事情でこうなっております。年が明けましたら、ぼちぼちと(一気とはいかないと思いますが)元のペースに戻れるかとは思いますので、引き続きアクセスのほどよろしくお願いいたします。
今回の<きょうのいちおし>コーナーは、故有吉佐和子氏の『複合汚染』上下、『その後』の3冊を通読しましたので紹介させていただきます。本書は1974年~75年に朝日新聞朝刊に掲載された新聞小説です。刊行後すでに40年をすぎ、古典的なものになりそうですが、ここに書かれている公害の現実は、まさにわたしの若き日の体験そのままです。朝鮮戦争に伴う特需景気により息を吹き返した日本経済は、1960年の池田勇人「所得倍増計画」を打ち出し、アメリカにおもねつつ工業を中心にした経済成長を追求した。その歪みは農業と国民生活に様々な毒物(その元は戦時中の火薬であり毒ガスであった)として現出し、農民の体を蝕み土の劣化をもたらし、都市生活者にも(多くは原因不明の)病気として結果している。有吉氏は従来の小説的手法にこだわらず、この問題を鋭く指摘し、科学者や官僚たちの言葉を分かりやすく「翻訳」し啓蒙の書とした。いま2011年のFUKUSHIMAを踏まえて、「複合汚染」の現状と放射能による汚染の現状を有吉氏の手で再度書いてもらいたいものだが、氏は惜しくも本書刊行9年後に53歳で亡くなってしまった。
堅い本の紹介となりましたが・・・来年もよろしくお願いいたします、良いお年をお迎えください!
文庫、kindle版あり。

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